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かつて青葉区に存在したという「餓鬼塚(がきつか)」、ちょっと怖い感じがする名前の由来は?

ココがキニナル!

青葉区、都筑区に餓鬼塚と言った怖い地名があったそうです。由来などを調べてください。(南区のはまりんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

現在の恩田駅からやや東側に当たる地域にあった。時代は定かではないが、飢えて亡くなった方を葬っていた場所であったことが由来

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ライター:人見 静馬

横浜が誇る高級住宅地、青葉区・都筑区。著名人も多く住む地域である。しかし、その付近に過去「餓鬼塚(がきつか)」という名称で呼ばれていた地域があるらしいとの情報が入った。現在のイメージとはとても重ねることができない、なんとも禍々しい地名である。なんとなく――で付く名前でもないだろう。
一体、この「餓鬼塚」は何が由来なのか。いつごろまで使われていたのか。文明に塗り潰された過去に迫る!
 


過去への足がかり



一口に青葉区・都筑区といわれても広過ぎる。まさか漠然と青葉区に行って道行く人に聞き込みをしまくるというわけにもいかない。もちろんその方法でもいつかは辿り着くのだろうが筆者の体力が持たない。
ということで、まずは文献にて調査。
 


困った時の横浜市中央図書館
 

筆者が訪れると、丁度パソコンのネットワークトラブルで本の検索ができない状態に。己の引きの弱さに嘆きつつ司書さんに尋ねるが、割合すんなりと過去の地名を紐解ける資料を教えてくれた。
どうやら有名な書籍らしい。運が良いのか悪いのか。
 


『新編武蔵風土記稿』
 

武蔵、とは現在の東京・埼玉・神奈川にまたがる地域。この『新編武蔵風土記稿』は、19世紀前半に徳川幕府が武蔵地域の村の人口、地名、神社や寺の由来を村人自身に調べさせたもの。つまりは、平たくいえばアンケートのようなものである。

そして、この中に餓鬼塚の記載があるという。
索引で第何巻に「餓鬼塚」があったであろう恩田の記載があるかを調べ、当該の巻を紐解く。
 


あったあった、恩田村
 

ここから慎重に、目を皿のようにして記載を見ていくと――
 


あった! 餓鬼塚の記載
 

アップ
 

村の西の方にあり、僅(わずか)の處(ところ)に數(かず)七ヶ所ありて、或は二間或は三間のさしわたしなり、土人云、古へ亂世(らんせ)の頃うえて死せるものを葬るとぞ、今より定かには知べからず

との記載。要するに、恩田村の西側の狭い場所に七ヶ所、飢死してしまった人を葬った場所があると、そういうことのようである。
19世紀初頭で既に「古(いにし)へ」といっているので、江戸時代初期から戦国時代辺りだろうか。乱世といっているので、戦国時代が濃厚か。いずれにせよ、その時代では、確かに食料が確保できずに亡くなられた方は多かっただろう。
 


餓鬼塚の今



由来は分かったが、餓鬼塚とは今でいうどの辺りになるのだろうか。恩田村の西の方とは漠然としている。仕方がないので、現在では恩田町と呼ばれている辺りの西端を目指してあてなく歩く。現地に行けば何か知っている人がいるかもしれない。
東急田園都市線の長津田駅から、こどもの国線という筆者にとっては馴染みのない路線に乗って降り立つ。 
 


その名も恩田駅
 

駅を出ると、実に穏やかな光景が広がっていた。筆者の故郷、岩手を思い出す。
 


住みやすそうだナァ
 

ここで聞き込みをすれば、何か掴(つか)めるだろう! と快気炎(かいきえん)を吐いたのも良いが今では苦い思い出である。結果からいえば、有力な情報が何も得られなかったのだ。古くから伝わるお寺からも、その辺一体を所有している大地主からも、地元を愛する気合いの入った中学生からも。
 


こんなところや
 

朽ちたお堂
 

の、中 
 

(地元では)有名な謎の洞穴(地主の方によると戦時中の弾薬庫とのこと)
 

情報に振り回された末の大冒険が全部パー。まぁ、無計画に歩き出した自分が悪いといえばそれまでなのだが。
どうやら、餓鬼塚の名は完全に失われてしまっているらしい。