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    毎日横浜公園でおもちゃを用意してくれたり、子供と遊んでくれるおじさんがいるのですが、キニナリます。子供に危害が加える人ではないですし、非常に助かっているので感謝していますが、素性を知りたいです。

    中居屋さん

    Instagramで「元町ラバーズ」と言う名前で横浜元町を紹介しているのをよく見かけます。いろんなイベントやお店を紹介してるのですが一度はまれぽさんも取材拒否してもらいたいなぁと思いました。双方向コラ...

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    先日、桜木町から新港地区へのロープウェイが計画されているという報道が出ましたね。その報道の中で、以前に報じられた横浜駅東口から山下公園へのロープウェイも協議中であるとの話がありましたが、こちらの進捗状...

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横浜のココがキニナル!

横浜市内18区の区名の由来を教えて下さい(KZさんのキニナル)

はまれぽ調査結果

各区によって由来はそれぞれある!
今回は鶴見区、神奈川区、中区、保土ヶ谷区、磯子区の由来をお届け!

ライター:河野 哲弥 (2012年01月27日)

はじめに

江戸末期の1859(安政5)年、横浜港開港当時の「横浜村」は、人口わずか482人の小さな寒村だったと伝わっている。

以来、約150年という年月が経過する間、横浜市は数回にわたる市域拡張を繰り返してきた。
そしてそのたびに、横浜市の人口は増え続けてきたのである。
 


市の発表によれば、2012年1月1日時点の市の推計人口は約369万人
(参照:http://www.city.yokohama.lg.jp/ex/stat/jinko/news-j.html


市内18区の名前を調べていくと、こうした市域拡張の歴史と関係しているものが、少なからずあるようだ。そこで、区制が開始された1927(昭和2)年当時から順に、それぞれの名前の由来を明らかにしていこうと思う。

参照文献は主に、横浜市民局が発行する『横浜の町名(平成8年度版)』。
同局にも取材協力を頂いた他、各区役所などでも補完をした。
 


名前の由来を調べる上で外せないバイブル、『横浜の町名』
 

各区の区民活動センターなどにもご助力いただいた


この特集は、全4回を予定している。

今回はその第1回目として、1927(昭和2)年に最初に誕生した、鶴見区、神奈川区、中区、保土ヶ谷区、磯子区を特集する。掲載順は、年代が同じ場合、『横浜の町名』に準じている。

では、区制の施行が行われる前の横浜市の様子から、振り返ってみよう。




横浜市の誕生、そして関東大震災からの復興

人口500人足らずだった「横浜村」は、横浜港開港の翌年1860(安政7)年に、横浜町と改称した。

その後、新橋~横浜間に鉄道が開通すると、人や物資の輸送量が増えはじめた。そこで、1878(明治11)年の郡区町村編制法に基づき、横浜区が誕生。続いて1889(明治22)年4月1日に市制が施行され、横浜市となった。この30年を経て、市の人口は10万人を突破していた。

大正時代に入ると、そんな横浜市に転機が訪れる。
1923(大正12)年9月1日午前11時58分。相模湾海溝北東端の深さ15kmを震源とする巨大な地震「関東大震災」が、関東地方を襲った。

震災による瓦礫の山からの復興にあたり、都市部(下図:ピンク色の箇所)などは都会で設備が整っていたため、都市整備が速やかに進んだ。しかし市の周辺域の二町七か村(下図:緑色の箇所)である保土ケ谷町、鶴見町、大岡川村、日下村、屏風ヶ浦村(びょうぶがうらむら)、旭村、大綱村、城郷村、西谷村は人口も少なく、なかなか復興が進まなかったようだ。
 


緑色の地域が、1927(昭和2)年に合併された二町七か村
【転載/「横浜の町名」(横浜市発行)】


そのため、当時市に属していなかった二町七か村は復興促進を目指し、道路・上下水道の整備などを市に要望。市側も町村との共存共栄を目指していたことから、1927(昭和2)年の4月、市と二町七か村は合併について合意をし、市として共に復興を進めていくことになる。

さらに同年の10月、主に市政執行の便を図るため、市内を5つに分割し、区制を施行することになった。
上記5区の誕生である。

さて、おおまかな時代背景が分かったところで、いよいよその名前の由来を調べていこう。




鶴見区の由来

区名は、同区のほぼ中央に位置していた「鶴見町」の名前をそのまま採用することになった。
では、その「鶴見町」の由来は何なのだろうか。

 


鶴見区役所外観


『横浜の町名』では、言語学者の中島利一郎著『日本地名学研究』を引用している。それによれば、

「源頼朝がここで鶴を放ったという伝説もあるが」とした上で、「荒地の義から起こった名」という説に力点を置いている。地名研究によれば、「ツル」とは「水路や河川周辺の地」という地形地名で、全国に分布しているらしい。同様に「鶴見のミ」とは、「まわり、めぐり」を意味する語の「廻」だとしている。」【転載/「横浜の町名」(横浜市発行)】とある。

  


鶴見橋から見る鶴見川の景色


区名の由来となった鶴見町近辺は、鶴見川が大きく湾曲している場所である。
「鶴を放った」という話よりも、河川に囲まれた土地という意味の方が、現実味があるのではないだろうか。

なお余談だが、この後分区や統合をしていく各区の中で、唯一鶴見区のみが、誕生当時に近い形を残している。(海側の埋め立て地を除く)



次のページでは神奈川区と中区の由来を解決!
 

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