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横浜市内18区の区名の由来Ⅰ【区政施行時編】

ココがキニナル!

横浜市内18区の区名の由来を教えて下さい(KZさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

各区によって由来はそれぞれある!今回は鶴見区、神奈川区、中区、保土ヶ谷区、磯子区の由来をお届け!

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ライター:河野 哲弥

はじめに



江戸末期の1859(安政5)年、横浜港開港当時の「横浜村」は、人口わずか482人の小さな寒村だったと伝わっている。

以来、約150年という年月が経過する間、横浜市は数回にわたる市域拡張を繰り返してきた。
そしてそのたびに、横浜市の人口は増え続けてきたのである。
 


市の発表によれば、2012年1月1日時点の市の推計人口は約369万人
(参照:http://www.city.yokohama.lg.jp/ex/stat/jinko/news-j.html


市内18区の名前を調べていくと、こうした市域拡張の歴史と関係しているものが、少なからずあるようだ。そこで、区制が開始された1927(昭和2)年当時から順に、それぞれの名前の由来を明らかにしていこうと思う。

参照文献は主に、横浜市民局が発行する『横浜の町名(平成8年度版)』。
同局にも取材協力を頂いた他、各区役所などでも補完をした。
 


名前の由来を調べる上で外せないバイブル、『横浜の町名』
 

各区の区民活動センターなどにもご助力いただいた


この特集は、全4回を予定している。

今回はその第1回目として、1927(昭和2)年に最初に誕生した、鶴見区、神奈川区、中区、保土ヶ谷区、磯子区を特集する。掲載順は、年代が同じ場合、『横浜の町名』に準じている。

では、区制の施行が行われる前の横浜市の様子から、振り返ってみよう。




横浜市の誕生、そして関東大震災からの復興



人口500人足らずだった「横浜村」は、横浜港開港の翌年1860(安政7)年に、横浜町と改称した。

その後、新橋~横浜間に鉄道が開通すると、人や物資の輸送量が増えはじめた。そこで、1878(明治11)年の郡区町村編制法に基づき、横浜区が誕生。続いて1889(明治22)年4月1日に市制が施行され、横浜市となった。この30年を経て、市の人口は10万人を突破していた。

大正時代に入ると、そんな横浜市に転機が訪れる。
1923(大正12)年9月1日午前11時58分。相模湾海溝北東端の深さ15kmを震源とする巨大な地震「関東大震災」が、関東地方を襲った。

震災による瓦礫の山からの復興にあたり、都市部(下図:ピンク色の箇所)などは都会で設備が整っていたため、都市整備が速やかに進んだ。しかし市の周辺域の二町七か村(下図:緑色の箇所)である保土ケ谷町、鶴見町、大岡川村、日下村、屏風ヶ浦村(びょうぶがうらむら)、旭村、大綱村、城郷村、西谷村は人口も少なく、なかなか復興が進まなかったようだ。
 


緑色の地域が、1927(昭和2)年に合併された二町七か村
【転載/「横浜の町名」(横浜市発行)】


そのため、当時市に属していなかった二町七か村は復興促進を目指し、道路・上下水道の整備などを市に要望。市側も町村との共存共栄を目指していたことから、1927(昭和2)年の4月、市と二町七か村は合併について合意をし、市として共に復興を進めていくことになる。

さらに同年の10月、主に市政執行の便を図るため、市内を5つに分割し、区制を施行することになった。
上記5区の誕生である。

さて、おおまかな時代背景が分かったところで、いよいよその名前の由来を調べていこう。




鶴見区の由来



区名は、同区のほぼ中央に位置していた「鶴見町」の名前をそのまま採用することになった。
では、その「鶴見町」の由来は何なのだろうか。
 


鶴見区役所外観


『横浜の町名』では、言語学者の中島利一郎著『日本地名学研究』を引用している。それによれば、

「源頼朝がここで鶴を放ったという伝説もあるが」とした上で、「荒地の義から起こった名」という説に力点を置いている。地名研究によれば、「ツル」とは「水路や河川周辺の地」という地形地名で、全国に分布しているらしい。同様に「鶴見のミ」とは、「まわり、めぐり」を意味する語の「廻」だとしている。」【転載/「横浜の町名」(横浜市発行)】とある。

  


鶴見橋から見る鶴見川の景色


区名の由来となった鶴見町近辺は、鶴見川が大きく湾曲している場所である。
「鶴を放った」という話よりも、河川に囲まれた土地という意味の方が、現実味があるのではないだろうか。

なお余談だが、この後分区や統合をしていく各区の中で、唯一鶴見区のみが、誕生当時に近い形を残している。(海側の埋め立て地を除く)