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横浜博覧会は今の横浜にどんな影響を残してる?

ココがキニナル!

横浜博覧会の特集をお願いします。コスモクロックと動く歩道以外で今も残っているものはある?ブルアちゃんに会いたい!(マルタンさん)/横浜博覧会は今の横浜にどのように影響したのでしょう?(ひろりん。さん)

はまれぽ調査結果!

横浜博覧会は横浜の発展の起爆剤になったと言えるだろうし、多くの人の記憶に大切な思い出として残っていた。そして今もいくつかの名残を発見できる!

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ライター:橘 アリー

今も残っている、横浜博覧会の面影!



横浜博覧会当時の様子を辿ってみると、その名残りがいくつか残っている事がわかる。
横浜博覧会の時に作られた「動く歩道」「横浜美術館」「横浜マリタイムミュージアム(現:横浜みなと博物館)」、交通手段として利用された「汽車道」、また、場所を移動しているが「大観覧車」、そしてヨコハマゾーンにあった「シーサイドパーク(現:臨港パーク)」も、様子は変わってはいるが現在も公園スペースとして残っている。
 


横浜美術館
 

横浜博覧会の時に建てられた4棟のタワー
 

コスモクロックと横浜みなと博物館


横浜博覧会は、400億円もの費用を掛けて計画され、現在でも使われている施設もある。動員数も目標を越えているので、意義のあるイベントであったと言えるであろう。

しかし、動員数に関しては、目標を達成するために会期後半の9月になってから無料招待を行ったようである。「パビリオン感謝デー」という名目で出展業者に15万枚の無料入場券を配ったり、65歳以上の人を無料招待する期間を設けたりしたそうだ。

こうした無料招待と、8月の台風による悪天候で抑えられていた客足が9月に集中したのだという。なんと、9月の1ヶ月間で総入場者の3分の1が集中してしまい、人気のパビリオンなどは混雑してゆっくりと見ることができないという事態もあったようだ。


盛大な峻工式が行われた!



ところで、このように盛大な横浜博覧会の準備は、どのように進められたのだろうか。
工事など準備の様子を調べてみることに。

1987(昭和62)年8月11日の産経新聞によると、横浜博覧会の施設建設のための工事事務所が、西区高島町のビルの一画に設けられ、工事が始まったとある。
そして、同年10月20日に工事の起工式が行われた。

起工式の様子を伝える新聞記事(10月21日の毎日新聞)によると、工事中の安全と横浜博覧会の成功を祈って、細郷横浜市長、長州神奈川県知事、横浜博覧会協会の関係者、市内の小中高生、横浜インターナショナルスクールの生徒たちによって、クワ入れが行われたとある。
そして、その後、ファンファーレとともに花火が打ち上げられ、色とりどりの風船6000個が空に舞い上がったそうである。
 


工事の竣工式の様子(横浜市史資料室より)
 

起工式で風船が飛ばされる様子(横浜市史資料室より)



横浜博覧会は、横浜発展の起爆剤となったのではないだろうか」

では、実際のイベントの現場はどのような様子だったのだろうか?
公益法人横浜観光コンベンション・ビューローのPRパーソンコーディネーター課長・齋藤宏さんにお話しを伺った。

齋藤さんは、横浜博覧会当時、「横浜人形の家」に在籍していらしたそう。
 


齋藤宏さん


横浜博覧会では国際交流の担当ということで、上海などから人形劇団を呼んで人形劇の公演を行ったという。
公演に使う舞台道具には刃物のようなものもあったので、通関を通すのが一苦労、公演の当日にやっと通関を通ったなどということもあったそうだ。

また、横浜博覧会が現在の横浜にどのように影響していると思うかを伺うと、「横浜博覧会
は、横浜という一都市の名前を世界に向けて発信できたイベントだったと思います。横浜博覧会の後からみなとみらい地区は計画的に整備されていきましたし、横浜の発展の起爆剤になったのではないでしょうか」と話してくれた。

横浜博覧会は、横浜から世界へ向けて「ここに横浜がある!」というメッセージを発信したイベントであったのだろう。
そして、横浜博覧会には、未来に向けてのメッセージもあったようだ。
 


会場内の様子(横浜市史資料室より)
 

横浜館の中の様子。未来のみなとみらい地区の模型(横浜市史資料室より)



横浜博覧会の思い出



多くの人が訪れた横浜博覧会は、人々の心にさまざまな思い出を残していることであろう。

横浜市のパビリオン横浜館では、当時小学3年生の来館者に、2001年に20歳になる自分へのメッセージを書いてもらい、それを光ディスクに収録して、2001年の成人式に受け取るようにする「タイムカプセル21」というコーナーがあったようだ。
そういった未来につながる思い出としても人々の心の中に残るイベントだったのだ。

ちなみに、引っ越しなどで住所が変わり、成人式でメッセージを受け取れなかった人たちの手紙を「横博同窓会」というところが保管しているそうだ。連絡をすればメールなどで送ってくれるそうなので、この記事で思い出した方はぜひ思い出をタイムスリップさせてみてはいかがだろうか。「横博同窓会」の窓口は、横浜市教育委員会生涯学習部生涯学習科である。
 


開会式の様子。中央にはブルアちゃんが!(横浜市史資料室より)


そして、横浜博覧会のマスコットのブルアちゃんも多くの人の思い出の中に残っているであろう。キニナル投稿にも「ブルアちゃんに会いたい」と懐かしむ気持ちが伝わってくるが、残念ながらブルアちゃんに会えるのは、図書館にある横浜博覧会の写真集などしかない。

写真集の中でしか会えないのはちょっと淋しいかもしれないが、思い出のアルバムをめくるように、横浜博覧会の写真集をめくって、楽しかったことを思い返してみるのも良いのではないだろうか。


− 終わり −
 

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  • いつも楽しく拝見しています。初めて書きこみさせていただきます。横浜博の実物大ロケットが茨城県つくば市に移設されて、現在は街のシンボルになっているんですよ。つくば市民の噂では、夜な夜な知らぬ間に発射されているっているのでは?とのことでした。

  • そごうからゴンドラ出てましたね。当時のそごうは随分大きく見えてたけど、今は小さく見えてしまいます。

  • いやぁ、懐かしいですね。実はこの時期臨港パークで妻にプロポーズしました。本当に懐かしい!

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