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大通り公園ってどういう経緯でできたの?

ココがキニナル!

阪東橋から関内にかけて大通り公園がありますが、どんな経緯でできたのでしょうか。とくに何もない公園で浮浪者の方も多くみます。(matugさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

大通り公園は、吉田新田と吉田川を埋め立てた跡地に、横浜の都心部強化事業の一つの「緑の軸線構想」の一環として作られた。

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ライター:橘 アリー

みどりの森の様子は?

みどりの森の中には、横浜市営地下鉄「伊勢佐木長者町駅」の出入り口がある。
 


横浜市営地下鉄の出入り口


地下鉄の出入り口の所に、以前はまれぽでも取り上げたことがある将棋をしている人たちがいた。
 


晴れた日は毎日のようにここで将棋をしているそうだ


そして、この近くにも彫刻が!
 


踊っているのだろうか?


これは、岩野勇三さんの「笹と少年」という作品である。

そしてまた、彫刻を発見!
 


彫刻の様子。これも有名な、ザッキンの作品である
 

ここから緑の空間が広がっている


ここにも、寄贈された木が植えられている。
 


ライオンズクラブ国際協会が寄贈した「啓翁桜(けいおうざくら)」
 

長谷川潔画伯のレリーフも!
 

石で作られたオブジェの様子


貴重な桜の木を発見!
 


桜の様子


これは、「紅枝垂桜(べにしだれざくら)」といって、国の天然記念物になっている「三春滝桜」の子どもだという。近くにある横浜橋商店街の方々が、商店街の名誉顧問を務める桂歌丸師匠にちなんで、この桜に「歌丸桜」という愛称を付けたそうだ。
 


平和記念碑がある


あまり特徴が無いと思っていたが、貴重な彫刻や樹木があったのには驚いた。

公園の様子が分かったところで、公園が作られた経緯などを、公園の管理をしている横浜市環境創造局に聞いてみることに。



緑の軸構想で作られた!

横浜市環境創造局公園緑地部 南部公園緑地事務所 都心部公園担当課長の綱河功さんに、お話を伺った。
 


綱河功さん


頂いた大通り公園のパンフレットで、大通り公園の場所の歴史背景をみてみると、ここは、江戸時代の初めまでは南北を山に囲まれた入り海だった。1656(明暦2)年に、吉田勘兵衛が幕府の新田開発奨励にこたえて、入り海の埋め立てを行い、吉田新田と呼ばれていた。(なお、吉田勘兵衛については過去の記事を参照のこと)。
その新田に掘られた吉田川運河が、現在の大通り公園の場所である。
 


吉田新田の様子
(1987年発行の大通り公園パンフレットより転載:横浜市提供)


続いて、公園が作られた経緯を伺った。

―どうして新田や吉田川を埋め立てることになったのでしょうか?
戦後、社会情勢の変化にともなって横浜が都市として発展していく中で、新田や運河はその役割を無くしていったためです。

―それで、埋め立てて公園を作る計画が立てられたのですね
はい、埋め立てをして、地下には地下鉄を、地上には公園を作って、南区の蒔田公園から横浜公園・日本大通り・山下公園へ続く緑の軸を作るという、緑の軸線構想が立てられました。

―緑の軸線構想はどのように進められていったのですか?
緑の軸線構想は、横浜の都心部の再整備を目的とした都心部強化事業の一つで、また、同じ事業に高速道路計画もあり、その予定地が同じ場所になっていました。
 高速道路も、関内地区の利便性の強化のための計画ですが、公園の上に高速道路を作ってしまうと、緑の軸線が分断されてしまうので、国や首都高速道路公団と話し合い、関内周辺の高速道路を地下化するようにして、緑の軸線構想を優先させることになりました。

―大通り公園の概要を教えてください
大通り公園は、長さ1.2㎞、総面積3.6haで、1971(昭和46)年着工で1978(昭和53)年完成です。※1ha=1万平方メートル
全体が、石の広場・水の広場・みどりの森の3つのゾーンに分かれています。

―有名な作家の彫刻がありますが、どのような経緯で置かれるようになったのですか?
公園の周辺の企業から、彫刻設置のための寄付金が数年にわたって贈られたので、美術評論家などがメンバーになっていた「彫刻委員会」が協議して、世界の彫刻史における、古典・現代・キュービズムという各時代を代表する作家、ロダン・ムーア・ザッキンの作品を設置しました。
 


ロダンの彫刻とシンボルタワー
(1987年発行の大通り公園パンフレットより転載:横浜市提供)


上の写真のシンボルタワーは、現在の公園には無い。
そのほかにも、現在は廃版となっている大通り公園のパンフレットには、公園が作られた当初の様子が載っている。
 


バザーで賑わう大通り公園
(1987年発行の大通り公園パンフレットより転載:横浜市提供)
 

噴水と池の様子が載っているページ
(1987年発行の大通り公園パンフレットより転載:横浜市提供)
 

イベントで賑わっている様子が載っているページ
(1987年発行の大通り公園パンフレットより転載:横浜市提供)


パンフレットを見ていると、大通り公園が賑わっていた当時の楽しそうな様子がうかがえる。



取材を終えて

現在の大通り公園は、賑やかではないが、シンプルで心地良い空間になっている。
12月25日に終了してしまったが、それまでは夜にイルミネーションが点灯されていた。このイルミネーションもシンプルな雰囲気であった。
 


イルミネーションの様子


寒い季節だが、有名な作家の彫刻を見ながら、のんびりと散歩してみてはいかがだろうか。


―終わり―


 

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  • 原稿の更新をお願いします。今現在をぜひ記録として残していただけませんか。1年後には、公園がリニューアルされます。よろしくお願いします。大通り公園水の広場愛護会 笠原光子

  • 超亀コメで、しかも2度目のコメントですが・・・「野外ステージの撤去」について思い出したことがあったもので、書いておこうかと。たしか「横浜浮浪者襲撃殺人事件」が関係していたと思うのです。事件についてはWikipediaに詳細がありますが、いまから約30年前に起きたこの事件が嚆矢となって「オヤジ狩り」などという言葉とともに類似の事件が連鎖し・・・弱者に対する平然とした集団リンチは昨今の「いじめ」にまで連綿とつながっているような気がします。で、なぜ野外ステージが撤去されたかというと、当時ホームレスの人々の「宿泊所」化していた大通り公園からそうした犯罪の温床となる「ものかげ」をなくし、見晴らしをよくしよう・・・という声があがったのではなかったかと。その判断が正しかったのかどうかはわかりませんが、「いじめ」はなくなりませんねぇ。「ものかげ」はきっと、人の心の中にあるのでしょう。

  • 飛鳥田市長時代に企画調整局長だった亡田村明さんの「都市ヨコハマをつくる」(中公新書)の中に、建設省が進める高速道路ではなくみどりの軸としての大通公園建設について当事者の苦労した話が書かれています。スムーズに実現したわけではなかったんですね。往時を偲ぶというと年寄り扱いをされますが、当時のまちづくりの状況が活写されております。

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