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京急線黄金町駅のそばに、撤去しようとすると心霊現象が起きる駐車場がある!?

京急線黄金町駅のそばに、撤去しようとすると心霊現象が起きる駐車場がある!?

ココがキニナル!

京急線黄金町駅のそばに、撤去しようとする度に心霊現象が多発するので撤去できない駐車場があるって本当ですか?(ハマ坊さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

黄金町駅周辺では横浜大空襲で多数の方が亡くなった。心霊現象と呼ぶのは難しいが、駐車場に何かを建てようとすると色々な出来事が続いたのは本当。

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ライター:松宮 史佳

横浜大空襲の生き証人


 
女性は現在88歳。横浜大空襲があった1945(昭和20)年は20歳。川崎で働いていたそうだ。

当時は「警防団(防空や消防に従事する地域団体)」から一家のうち“1人は(避難せず)消火のため家に残らなくてはいけない”と言われていた。5月29日、横浜大空襲の朝。父は東京の会社へ行っており不在。女性は5月23日の空襲でやけどを負った母と妹を避難させるため、自分が家に残った。空襲に使われる焼夷弾には油が詰めてあり、「やけどするとケロイド状になるのよ」と女性。

空襲当初、女性は近所の人と火を消していた。だが、「ザーッ」という音とともに大量の焼夷弾が投下。「皆チリジリになって逃げた」という。

「神奈川県の戦争遺跡(神奈川県歴史教育者協議会編)」によると、空襲は9時22分開始。B29は517機、P51戦闘機は101機、計618機が横浜を襲撃した。わずか1時間8分の間に投下された焼夷弾の量は2570t。3月10日の東京大空襲と比べて約1.5倍という量だった。
 


「神奈川県の戦争遺跡(神奈川県歴史教育者協議会編)」

 
当時、日本の家屋はほとんど木造だった。米軍は市街地の外側と港側から家を焼き尽くす焼夷弾攻撃を始め、前後を火の壁で包囲。“内側へ内側へ”と市民を追い込み、隙間なく辺り一面に爆撃するじゅうたん爆撃を行った。そして、逃げ惑う人には低空で機銃掃射が浴びせられた。
   


B29による無差別爆撃。「南区制50周年記念誌南・人・街・こころ」より

 
周囲は火の海。女性は「頭から水を被ろう」と井戸があった黄金町駅の入口へ向かった。当時はほかにコンクリートの建物がなかったため、「ここへ逃げれば大丈夫」と道を埋め尽くすほど伊勢佐木町方面などから「多くの人が黄金町駅に逃げてきた」そうだ。
 


湘南電気鉄道(現京急)黄金町駅は大きな被害が集中した場所の1つだった

 
女性は駅構内に逃げようとした。だが、3月10日の東京大空襲に遭ったという同僚が「駅に逃げ込むと(狙われるので)ダメ」と言っていたのを「突然、フッと思い出した」。そこで1人、黄金町駅に逃げ込む人とは反対の伊勢佐木町方面へ。焼夷弾が降る火の中を無我夢中で逃げ惑い、気づいたら「市大(横浜市立大学附属市民総合医療センター)の手前辺りに辿り着いた」そうだ。しかし、周囲が燃えて「もうダメか」と思ったが、空襲が終わり「(女性がいた)一角だけが焼け残った」。

 


女性がたどり着いた市大辺りは空襲の被害を免れた