戸塚区鳥が丘で鳥に遺体を食べさせる鳥葬が行われていたって本当?
ココがキニナル!
昔、戸塚区鳥が丘で、鳥葬という葬儀が行われていたという話を聞いた事があります。本当にあったのか事実解明と、歴史について知りたいです(てるさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
鳥が丘で「鳥葬」、またはそれに近い「野葬」が行われていた史実はないが、戸塚周辺地区には古代の埋葬地としての歴史があった
ライター:坂本 嶺
鳥が丘へ
鳥が丘と戸塚斎場の最寄り駅、横浜市営地下鉄ブルーライン踊場駅
鳥が丘へ続く道
長閑で閑静な住宅地
踊場駅から徒歩10分ほどで鳥が丘に到着
戸塚斎場外観。近代的な建物
斎場周辺はうっそうと木々が茂っていた。鳥の姿は見当たらない
数分歩いたところで出会った婦人に、「この地で鳥葬が行われていたという話をご存知ですか?」と聞いてみた。
火葬場についてのお話をしてくれたAさん
「ここが鳥が丘という名前になる前から住んでいるけど、そんな話は聞いたことがない」とのこと。だが、「この空き地が斎場ができる前からある火葬場だったんだよ」と教えてくれた。
火葬場跡。ここで鳥葬や野葬が行われていたのだろうか
また、「もしかすると、リサイクルショップ大西の安西さんなら、代々長くこのあたりに住んでいるから何か知っているかもしれないよ」という情報をくださった。あまりの情報の少なさに途方に暮れかけていたので、少し希望がわき、足取りも軽く「リサイクルショップ安西」に向かった。
リサイクルショップ安西
お店を営む 安西正一さん
安西家は今から400年ほど前に鎌倉からこの地へ移り住んだそうで、この一帯は埋め立て地だったと言う。
50年前の鳥が丘風景。のどかだ
鳥葬については「知らない」とのことだったが、「戸塚区の歴史 上巻」と「戸塚区郷土誌」という文献を紹介してくださった。それによると、「鳥が丘」に隣接する上矢部町には篠塚(円墳)が、上矢部町東台には県内でも珍しい前方後円墳があると記されており、戸塚駅周辺を流れる柏尾川、県西部の境川流域は横穴古墳が非常に多いともある。
安西さんのご両親の家の隣に、ご自身が生まれる以前より建つ塚がある、とのことで向かってみることにした。
道端にポツリと立つ塚。塚の前に有刺鉄線が張られている
現在の鳥が丘は「墓地」が多くあるわけでもなく、古墳があった時代の「埋葬の地」としての文化はあまり残っていないようだった。
ただ、竹林の生い茂る道沿いにポツンとある塚を見ると「異空間」のように感じられ、昔、鳥葬や野葬が行われていてもおかしくないだろう、という印象を受けた。
もしかすると、その史実は空を自由に飛ぶ鳥たちが知っているのかもしれない。
取材を終えて
宅地開発により、新しい町となった鳥が丘。鳥葬について確たる証拠をつかむ事はできなかったが、火葬場跡と路傍の塚は鳥が丘以前の地区の様相を垣間見せてくれた。そして、最後に見た安西家の塚に、かつてこの地に暮らした人々の思いを感じ、感慨深かった。
―終わり―
yuzさん
2022年12月10日 23時40分
>「この空き地が斎場ができる前からある火葬場だったんだよ」という証言だけは貴重。
詮議いたすさん
2014年09月04日 06時43分
http://www.city.yokohama.lg.jp/izumi/55miryoku/rekinabi/izimamukasi/michi-03/michikawa-5.html 鳥が丘のすぐ近くに腰抜け坂という処刑場に向かう道があったそうな。処刑場も比較的近いし、通常、処刑された死体は近くに放置されるので鳥がツツクことも珍しくなかっただろう。その話を聞きかじった人が鳥葬とごっちゃにして噂した、と考えたらどうだろう。
mimichanさん
2013年10月12日 14時44分
白黒つかないではなく、こんな俗説は完全否定しないと。鳥だから鳥葬などとんでもない。いったいいつの時代のことですか?2000年前?3000年前?そんな時代にこのような地名はあったのか?ないでしょう。鳥葬については民俗学者にでも聞いたらはっきりするだろう。葬儀屋にきけばなどとの意見は論外。思いつきの民間伝説と史実ははっきりり区別しないと、波及効果が大きいと思う。