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「上大岡」があって「下大岡」がないのはなぜ?

ココがキニナル!

上大岡によく行きますが、「大岡」「上大岡」があるのになぜ「下大岡」がないのか前々からキニナルので、ぜひとも調べてほしいです。(ロイヤルさん/浅田真央子さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

現在の南区大岡のあたりは、かつて「下大岡村」と呼ばれていた。村々の合併や、横浜市への編入を経て消失した。

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ライター:ナリタノゾミ

下大岡村の人々の暮らしぶり(つづき)

江戸時代の集落分布図を確認すると、下大岡村の人々は、現在の若宮町から大岡1丁目にかけての高台を中心に集落を形成していた。大岡川の氾濫による水害を避けるためであろう。

上大岡村の人々が大岡川の水を利用した水田を中心に生活を営んでいたのに対し、下大岡村の人々は高地に畑を耕す生活を営んでいた。
 


横浜国立大学の敷地裏手には高台が広がっている。
高台の中腹にある吉祥寺(大岡1丁目)


下大岡村の人々は、大岡川から村まで水を引くための小さな用水路をいくつか設けていた。用水路は蒔田村で大岡川本流と繋がる。

かつて、この分水と大岡川本流の間には洲が作られており、中島(なかのしま)と呼ばれた。現在の中島町の名前の由来はここにある。

古地図を参照すると、大岡川沿いから鎌倉街道方面へと伸びる路地が、かつて下大岡村の集落まで引かれていた用水路の跡であったことを確認できる。
 


かつて用水路が走っていたであろう路地(大岡2丁目)
 

用水路は鎌倉街道を横切り、蒔田村方面へと伸びていた(大岡1丁目)
 

住宅街の一角。かつて、この一帯の土地を所有していた一族の墓地が残る(大岡一丁目)


なお、大岡川の氾濫の歴史については、過去の記事を参照してほしい。

下大岡村が頻繁に大岡川の氾濫の被害にあっていたことは、村の鎮守とされていた若宮八幡宮(大岡1丁目)が高台に存在することからもうかがえる。
 


下大岡村の鎮守とされていた若宮八幡宮


創立年代は不明であるが、遠く鎌倉時代、源頼朝が幕府を立ち上げる際、鬼門にあたるこの土地に厄除けの目的で、鶴岡八幡宮の境内社である若宮八幡宮の別宮として創建したものと伝えられている。それがやがて、「下大岡村の鎮守」となった。
 


社殿は急な階段の上に設けられている


純農村ともいえる、田園に囲まれた地域であった下大岡村。
江戸時代には、この地域一帯に住む者は、日用品を入手するため、保土ケ谷宿まで繰り出さなければならなかった。また、換金作物の売買も宿場町を通じて行ったという。
 


鎌倉街道の道標


江戸時代末期まで、そうした自給生活が営まれていた地域であったが、やがて、金沢街道・鎌倉街道を通じて、貨幣経済が徐々に浸透していった。それに伴い、村々の民の生活様式も変化していったのである。

1889(明治22)年、市町村制の施行によって、上大岡村と下大岡村は周辺の村々と合併し、「大岡川村」へと名称を変える。このとき、下大岡村だったエリアは、「大岡川村大字下大岡」と名付けられた。

ところが、1911(明治44)年の横浜市域第二次拡張に伴い、下大岡村だったエリアは、大岡川村から分離して横浜市に編入され、「大岡町」となる。こうして、「下大岡」という名称が完全に地図上から消えることとなった。

なお、1928(昭和3)年に、大岡町の一部が切り離され、大橋町・中島町・通町・若宮町と名付けられた。1974(昭和49)年には大岡町から「町」の字が外され、代わりに「丁」(1~5丁目)が設けられて、現在に至る。



取材を終えて

1つの村として存在した、「上大岡村」と「下大岡村」。
上流にあった上大岡村では平地に集落が形成されたのに対し、氾濫から逃れる必要があった下大岡村では高台を中心に集落が形成された。

花街(現・大久保町)や横浜刑務所(港南)の影響のもとで発展していった上大岡村エリアと、弘明寺商店街の影響のもとで閑静な住宅街が形成されていった下大岡村エリア。もとは双子のような存在であった両エリアの間に、現在も感じられる鮮やかなコントラストには、かつてより田畑に恵みを与え、ときには民を苦しめた大岡川の存在が深くかかわっているのかもしれない。


-終わり-

 

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  • 旧字一ノ沢(うろ覚えですが、要は大岡4丁目)の元住民です。この辺の子供会にチロリン子供会がありますが、チロリンという名の由来は、一節には昭和40年代まであった自動車プール(現藤の木中学校か)の俗称(チロリン村?)だとか。

  • 元・下大岡は洪水に悩まされてきたようです、しかし、先人は知恵を働かせ多くの溜池を作ったのです代表的なのが、前田用水沿いにあった前田池です弘明寺商店街中央部から大岡小学校に至る大きなものです。他に大岡地区センター入口近く、蒔田南太田まで何箇所もありました、今は、江戸末期明治から昭和にかけ埋めたれました、又又洪水に悩まされるようになりました、そして大岡川のしゅんせつ工事嵩上工事げ暗渠排水工事とものすごい工事を繰り返してきました。

  • 「上大岡村の人々が大岡川の水を利用した水田を中心に生活を営んでいたのに対し、下大岡村の人々は高地に畑を耕す生活を営んでいた」と書かれていますが、上大岡村は大岡川の水利権がなく利用できませんでした。上大岡村の水は二つの溜め池だけでした。(文政6年 上大岡村地誌取調書上帳 北見家文書参照) 下大岡村は関の下あたりにあった堰から用水路を利用し盛んに水田耕作をおこなっていたのです。畑中心と書かれているのは間違いです。

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