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中区の野毛坂に仏具店が多いのはなぜ?

ココがキニナル!

野毛坂にはなぜ仏具店が多いのでしょう?わずか100m程度の間に数店舗の仏具店が並んでいます。葬儀場があるのは隣の久保山だし、野毛山は関係ないと思うのですが(駅馬車さん、あずきさん)

はまれぽ調査結果!

今は3店しか残っていないが、かつて野毛坂周辺には、葬儀を行う大規模な仏閣があった。そのため門前町として栄え神奈川有数の「仏具の街」を形成した

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ライター:河野 哲弥

野毛には、同規模の仏閣がもう1つあった



疑問に感じたのは、「成田山横浜別院」を中心に考えるなら、「仏具の街」は、むしろ桜木町駅寄りに展開したのではないかということだ。
そこで、もう一軒の「関神仏具店」を訪ね、確認してみることにした。
 


現代的な内観が印象的な、内部の様子


同店の関靖幸社長によれば、今の野毛中央図書館の下あたりに、「大聖院(だいしょういん)」という大きな仏閣があったそうだ。場所を案内してくれるというので、連れて行ってもらうことに。
 


野毛坂交差点から南西方向、この一帯に「大聖院」があったそうだ
 

野毛中央図書館手前にある白い壁が、当時の境目の名残


残念ながら「大聖院」は、戦火で焼失してしまい、現在西区に移転したとのこと。一方の「横浜成田山」は、本堂などを焼失したものの本尊が奇跡的に残ったため、現在に続いているという。
かつての野毛は、こうした大規模な2つの寺があったので、その門前町として栄えたそうだ。

では、当時の様子が分かる写真などはないのだろうか。すると「苅部(かるべ)さんなら、何か持っているかも」と近くの書店へ。こうした親しみやすさは、下町野毛ならではのものだろう。
 


同じ野毛坂に店を構える「苅部書店」


「ずいぶん昔の話だからね、はたしてあるかどうか・・・」と、同店店主の苅部さん。何とか2枚の写真を探し出してくれた。
 


野毛坂の上にある老松中学校付近から撮った写真、山の形をした屋根が「大聖院」
 

関東大震災直後の参道の様子、現在の野毛坂交差点のあたり


2枚目の写真を見ると、このころは、野毛坂交差点自体が存在していなかったようである。写真に向かって左下が「ちぇるる野毛」の方向で、中央の平らなところに「大聖院」の敷地を分断するかのように、道路が敷かれたことになる。

「大聖院」は、まるで現在の野毛坂が参道であるかのような、大規模な仏閣だったようである。そこで、関さんに紹介してもらい、現在の「大聖院」を訪ねてみようと思う。


当時は「野毛さん」と呼ばれていた「大聖院」



JR保土ケ谷駅から歩くこと15分ほど、閑静な住宅街の中に「大聖院」はあった。住職の吉田密則(みつのり)さんによれば、正式名称は、「日明山宝泉寺大聖院」で、高野山真言宗の流れをくむそうだ。
 


近代的な外観の「大聖院」


横浜港に近かったため、関東の真言宗系列寺院に届けられる荷物などは、いったん「大聖院」に送られてから、各寺に配られたらしい。「真言宗の関東代表のような役割を担っていた」と、住職は話す。
 


駐車場から横浜市街地方向への眺め


実は「大聖院」は、戦後だけでなく、関東大震災のときも大火に見舞われたらしい。2度にわたる火災のため、以前の資料はほとんど手元に残っていないという。外部で製作された絵図ならあるというので、見せていただいた。
 


だいたいの位置関係図、1902(明治35)年刊行『横濱真景一覧図絵』より


この地図によれば、赤く囲った部分に、かつて「大聖院」があったらしい。境内の広さは約804坪というから、ざっと50メートル四方といったところだろう。明治時代の横浜では珍しく、「車止め(ホテルの入口にあるようなロータリー)」を備え、財界人の弔事なども営まれていたそうだ。

そう考えると、投稿にあった「久保山の葬儀場」は、当時の野毛坂とはあまり関係がなかったのだろう。後生になって地図などを見たときに、たまたま近かったということなのかもしれない。

そんな野毛の歴史について興味深い話を聞いたので、紹介したい。
野毛山のような小高い場所には、寺社仏閣のほか、病院も建てられる傾向にあるのだとか。市街地の出火から、患者を守るための工夫なのだろう。
また、寺は古来、現代の小学校のような役割を担う「寺子屋」を開設していた。本来の野毛は、こうした「治療の場」と「勉学の地」という、2つの特性を持ち合わせていたようだ。今では想像も付かない。



横浜が栄える前の、神奈川の中心地

真言宗の行者が足早に行き交い、負傷した武士が運ばれ、子どもたちは読み書きを教わる。そんな門前町が、500年ほど前の野毛に、展開していたのだろう。考えてみれば、当時の横浜は名も知れぬ漁村で、市街地すら形成されていなかった。
 


「大聖院」にわずかに残る、古文書の地図


野毛はかつて、各分野で、神奈川の中心的な役割を担っていたのかもしれない。そのことはすでに「仏具の街」が証明しているし、戦後に闇市が立ったのも、横浜ではなく野毛だった。
仏具店に端を発して、意外な歴史が垣間見えた、今回の取材だった。


―終わり―
 

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コメントする
  • 図書館に通ってた頃もっとあったような、と思ってたら、ちょうど90年代終わり頃でした。ピークの時代だったんですね。

  • 商工会の古老に話をうかがった事があるんですが昔は野毛や初音町などに様々な問屋さんやメーカーがあったんですが、全部東京とか大企業に持ってかれた様です。今後の横浜の発展を考えるなら、新たな横浜発のメーカーやお店の育成に力を注いで欲しいものです。東京の経済植民地になった横浜はそれはもう横浜じゃない、ただの地方都市ですよ。

  • 仏具店は、その商品構成から直射日光を嫌うので、すべてのお店が、中央図書館に向かって野毛坂の左側の日陰に位置しています。

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