神奈川区「神之木」の地名の由来・・・。ご神木があった場所は「MEGAドンキ」!?
ココがキニナル!
神奈川区に神之木台、神之木町、神之木公園と神之木が付いた地名がありますが、昔に御神木的な木があったのでしょうか?(ぱなさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
かつて神之木町2丁目にあったという「第六天」を祀った社のご神木が由来。第六天は焼失しているが、入江町の横浜一之宮神社に合祀されている
ライター:はまれぽ編集部
神奈川区の神之木町、そして神之木台という地名。初めて目にした瞬間から、「絶対にご神木が由来のはず!」と思っていた。
はまれぽでも2012(平成24)年にこの地名の由来に関するキニナル投稿を受けて調査をしているが、その際には情報が足りないということで記事化を断念している。
時を経て、再度調査に踏み切った。
というわけで、最寄りの大口駅に降り立つ
神之木町、神之木台はJR大口駅の北東側のエリア一帯を指す地名。このあたりに「ご神木」のようなものがあればそれが有力候補になるはず。まずは周辺の様子を見てみよう。
木々は豊かだが、ご神木は・・・?
大口駅近くに流れる入江川を渡った先に広がるのが神奈川区神之木町。その先には神之木台が広がっている。
一帯が「神之木」と呼ばれてきたようだ
写真のエリアは神之木町、その先には神之木台が広がる
神之木台一帯は住宅街
神之木町を東へ歩いて神之木台に出ると、目立つのが「神の木公園」だ。
「神の木」がありそう!
公園内には木々が生い茂り、緑豊かな公園という印象。だが、実は北側に出るとすぐに住所が「西寺尾」になる立地で、神之木エリアの中では端の方にある公園でもある。ここにご神木があったなら、神之木と名付けられる土地の位置はもう少し北寄りになりそうだ。
探してみると立派な木はいくつか見つかったが、「神の木」とまで呼べるものは残念ながら見当たらなかった。
冷静に考えれば、公園に「ご神木」はないのでは?
神之木町から神之木台のエリアは新築の一戸建てやマンションなども多く、開発が進みつつある印象。公園から見て南側、神奈川県青少年課神之木台分館が位置する丘のエリアも緑は濃いようだが、やはり「ご神木」はなさそう。
神之木台は坂が多く、神之木町から見て丘になっている
ここで、地域の方にお話を伺うと「昔あった『第六天』を祀った神社にご神木があったと聞いたことがありますよ」と有力な情報をゲットすることができた。第六天? 駅周辺には神社は見当たらなかったが、どこにあるのだろう。
「第六天」の情報を求めて資料を探すと、約40年前の1980(昭和55)年に刊行された横浜市西寺尾小学校創立三十周年記念誌『にしてらお』にたどりついた。この資料によれば、ご神木があったという第六天の社は、今の神之木町2丁目あたりに位置していたという。
今はMEGAドン・キホーテUNY大口店があるのも2丁目だ
第六天は、織田信長が信仰していたという「第六天魔王」として有名な神様。主に関東近郊で広く信奉されているようだ。
もともとは仏教の存在である「他化自在天(たけじざいてん)」を神仏習合(しんぶつしゅうごう)によって神社で祀り始めたのが「第六天神社」だが、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって祭神を「面足命」などに変更した社も多いという、少々複雑な経緯を持っているよう。
港南区野庭町などにも第六天の名残が残る
地名の変更により、「神之木」あるいは「神ノ木」が正式に登場するのは、1878(明治11)年~1879(明治12)年ごろ。だが、それ以前からこの「第六天」という神様に祀られていた大木にちなんで、「神之木」の呼び名が広まっていたようだ。
当時、地域の方たちにヒアリングしたという『にしてらお』によれば、第六天の社にそびえていた杉の大木があったという。「神様の木」であることから、呼び名の由来になったという説が紹介されている。
旭区の嶋崎金子稲荷社のご神木はタブノキ
さらにもう一つ、この大木が神事に用いるさかき(榊)だったことから、この漢字を分解して「神ノ木」と地名がついたという一説もあるようだ。
神棚などに飾られる榊(写真はフリー画像)
「いずれにしろ社(とご神木)があり、高い方を神之木台とした」ということが結論のようだ。
この第六天の社は、失火により焼失。ご神木も三日三晩燃え続けて焼け落ちたという。第六天は1897(明治30)年に神奈川区入江町の横浜一之宮神社に奉還された、と記録されている。
新子安駅近くにある横浜一之宮神社
祭神には確かに面足惶根命(第六天社)の名前があった
横浜一之宮神社は東海道の宿場町でもあったこの場所で長く信奉されてきた神社だが、由緒書きによればこの地域には「神之木台遺跡」をはじめ縄文時代から人が住みムラを形成していた形跡があり、古くから祠などが祀られていたようだ。
同神社には周辺の神々が集められているようで、境内には小さな社がいくつもあった。
この中に、第六天社のものも含まれている
「神之木」の地名の由来になった大木も、そうした歴史に残らないほど古くから信仰されていたものなのかもしれない。そしてその木がなくなっても、地名として残り続ける・・・長い長い時代を超えたロマンを感じる。
取材を終えて
神之木の由来になったご神木は、想像していた以上に古い時代に失われているようだ。特徴的な地名から「ご神木があったようだ」とする資料はあっても、その詳細を正確に語ることができているものは非常に少なかった。
自分が住む土地の歴史も、なかなか知る機会はないもの
遠い昔のできごとのヒントが、地域にはまだまだ残されているように思えた。
参考文献
『にしてらお 創立三十周年記念誌』(横浜市立西寺尾小学校創立三十周年)1980年
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Bolgerさん
2018年09月02日 18時04分
横浜市三千分の一地形図http://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/3000map/020s.htmlの 白幡(昭18)には、現在のメガドンキの少し南隣にロータリーのような丸印があります。ここが第六天の跡地ではないかと思われます。この地図は、実質昭和4年測量なので、昭和4年頃までは、第六天の跡地が残っていたのではないでしょうか。この第(大)六天は、新編武蔵風土記稿にも記載されていないようですから、非常に珍しいと言えます。ちなみに、この近辺では、上の宮2丁目に大六天社が残っているようです。ここも、新編武蔵風土記稿には記載されていません。
mimichanさん
2018年08月24日 18時22分
この町名は、正式には昭和41年にできている。そのことを抜きに、地名の由来は語れないだろう。現地に行くだけでなく、地名の基礎文献を読んでいくべき。なお、「横浜の町名」櫻井澄夫執筆。横浜市刊、に、この町名についての記述がある。
ハマスタ桃次郎さん
2018年08月24日 14時57分
昨日用事で西寺尾行き、ドン・キホーテありました。あの辺りは諏訪氏や里見氏にゆかりのある寺社があるらしく。昔はあそこから海がきれいに見えたのかな。貨物線トンネルや新しい高速のトンネルもでき、大口は賑やかで変化が激しい。