東急東横線大倉山駅の近くに、天然氷を張ったスケートリンクがあった?
ココがキニナル!
昭和の初めごろ、大倉山の麓にスケートリンクがあったそうです。冬に池に張った氷をそのまま利用した、「天然のスケートリンク」だったそうです。当時はそんなに気温が低かったのでしょうか?(ねこぼくさん)
はまれぽ調査結果!
1947(昭和22)年に閉鎖したスケートリンクの名称は「大倉山天然スケート場」。閉園時と現在(2013年時点)を比較したところ、日平均で3.1度も低かった
ライター:河野 哲弥
今でも氷が張るという、当時から残る池
平井先生に冨川家の場所を教えていただき、大倉山精神文化研究所から、そのまま徒歩で向かうことにした。なお、個人宅にあたるので、正確な位置は伏せさせていただく。
東急東横線大倉山駅から、歩いて15分程度の場所
赤い枠内を、南側から眺めた様子
冨川家では、善三氏の孫に当たる、当主の光哉(こうさい)さんに話を伺うことができた。
ところが、父親の成一氏がちょうど昨年亡くなり、スケートリンクの資料なども処分してしまったのだという。したがって、画像などの資料は残っていないそうだ。
冨川家の邸宅内にあった、当時から続く池
この池は、『冨川善三氏宅地平面図』にも記載されていた(ピンクで囲った部分)
「大倉山天然スケート場」の様子(他誌に掲載されたコピーより)
この切り抜きの人物は、成一氏の奥さんにあたる美代子さん。1930年代には、写真はスタジオなどで撮影するのが主流で、レジャーにカメラを持参することはあまりなかったそうだ。このため、当時の様子が分かるような写真は、これ以外にないのではとのこと。
気になる気温についてだが、上述した池は、今でも凍結することがあるそうだ。かつての大倉山は、造成が進む前はもっと高くそびえ、樹木などが生い茂って日の光を遮っていたらしい。
また、池にたまる水は大倉山からわき出た水であり、もともと冷たかった。そうしたこともあり、一度凍結すると、なかなか氷が溶けなかったという。
階段下からの眺め、今では直射日光がまぶしい
光哉さんにスケートリンクの思い出をたずねてみたところ、「当時はホースなどもなかったので、水位の調整などは、バケツを使って手作業で行っていたと聞いています」とのこと。
閉鎖後約70年がたとうとしている「大倉山天然スケート場」は、光哉さんですら、伝聞の域なのだ。
氷と横浜の意外な関係
天然氷を使用した「大倉山天然スケート場」は、地場産業となっていた製氷技術に支えられていた。
閉館の理由が暖冬の影響だとすれば、閉館当時と現在の気温は平均値を比べると3度ほどの違いがあるようだが、氷が張るタイミングがあれば、日陰など立地を生かして、しばらくはスケートリンクが維持できていたのかもしれない。
今はただ、アイデアマンだった冨川善三氏と成一氏のご冥福を、祈るばかりである。
―終わり―
いるかさん
2013年10月30日 11時12分
氷を維持できるかどうかは、最低気温ではなく、最高気温もしくは日平均気温が重要だと思います。