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空き地に堂々と構える狛犬!三ツ沢南町にある神社跡地の歴史を探る!

ココがキニナル!

神奈川区三ツ沢南町の神社の廃墟がキニナル。手水盤と崩れかけた狛犬一対だけが残り、昭和初期の地図には日枝神社の記載がありますが横浜空襲で焼けたのではないそう(三ッ沢さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

かつては「日枝神社」があった場所だった。明治時代に御神体は移され、お社は昭和40年ごろになくなったと思われる

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ライター:田中 大輔

神様のいない神社(つづき)


住職によれば「あそこにあったのは日枝神社」で間違いないそうで、これはキニナルにも書かれている通り。
少なくとも明治時代にはすでにお社はあったそうだが、明治期には御神体はなくなっていた、と言う。その辺りを考えると、歴史としては江戸時代以前まで遡れるのかもしれない。
 


狛犬と並び、もうひとつ残された手水盤
 

日枝神社にいた神様が引っ越しをした理由は分からないそうだが、一説には青木橋の洲崎(すさき)大神に引き取ってもらったそうだ。
近所のおばあさんからも同じ話を聞いたため、洲崎大神にも問い合わせてみたが「うちでは知らない」という答えだった。
 


お祭りでは多くの人でにぎわう洲崎大神


ともあれ、明治期に御神体のなくなった日枝神社だが、それでも地元の人からは信仰を集めていたそうで、「近所の人はお参りをしていたと聞いていますし、もしかしたら縁日もあったのではないか」と住職は言う。
地元の人に大切にされていた証拠に、戦争に行く際に出征を祝ったり、戦地から戻ってきた報告をしていたとお年寄りの方から聞いたそうだ。
近所の人も「今でも頭を下げて通るお年寄りがいる」と言っていたし、お社があった時代を知る人にとっては特別な場所に違いないようだ。



お社が消えたのは



では、お社はいつごろまであそこにあったのだろうか。
キニナルには1944(昭和19)年の地図にないとあるが、実はそれ以降の地図にも「日枝神社」として記されていて、戦後も神社があそこにあったことが確認できる。

ところが、1968(昭和43)年にこの近所へ引っ越してきたという70代の男性は、「その時にはもうお社はなかった」と話す。

また、1959(昭和34)年生まれという別の男性は「小学生のころに神社で遊んだ記憶がある」というから、どうやら昭和30年代の後半から昭和40年ぐらいにお社がなくなったということになりそうだ。
 


お社の基礎と思われる石。特別大きな建物ではなかったそうだ


お社が撤去されたハッキリとした理由は不明だが、豊顕寺の住職は「時代の流れとともに参拝者の数が減り、建物の状態も悪くなったための撤去だったのではないか」と話す。
すでに御神体がないとなればお社の補修や再建という話になりにくいのも想像に難くない。
 


石段から続く石畳の両脇にあった。鳥居が建っていたのだろうか


その後、地元の人たちから「あのままにしておくのは物騒だし、公園にしてくれないか」という旨の嘆願書が豊顕寺に届いたそうだ。
しかし、この公園化案は当時の豊顕寺の役員会で否決され、実現には至っていない。戦地に赴く若者を送り出したりした特別な場所をそのまま残したいという思いが根強かったからだろうと住職は語る。

それ以降は特にどうしようという話も出ず、結果的に空き地のままで現在のあの姿になっているのだそうだ。



取材を終えて



住職は「寺としていつから持っていたかは分からない」と話すが、「御神体があったころは神主さんがいただろうから、そう考えると御神体の移動後に豊顕寺で世話をしたのではないか」と推測している。

現在でも、近隣住民の迷惑にならないようにと草刈りや掃除は行っているそうだ。
狛犬なども危険があれば撤去を考えているとのことで、まったく放置しているというわけではない。
 


狛犬の台座には穴が。撤去となる日も遠くないのかもしれない


「戦争が終わってだいぶ経った」と言う住職は、ご自身の考えとして「今のままで近隣の方にご迷惑をかけるよりも、公園などにして地域に貢献できればという気持ちがある」と話してくれた。
地元の人からは空き地を巡るトラブルや不満はまったく聞かれなかったが、「あのままよりは神社を建て直すとか公園にする方がいい」という声もあった。

今のところは具体的な動きはないそうだが、近い将来、公園として新しい役割を果たすかもしれないあの空き地。狛犬たちも御役御免となる日を待っているのかもしれない。


―終わり―

 

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  • 豊顕寺のかつてあった豊橋市多米地区には日枝神社があるので、寺の移設と同時に神社もこちらに分霊されたものと思います。明治時代に神仏分離令が出るまでは神社がお寺の敷地内にあるのは普通の状態でした。神仏混交は江戸時代まで続いたからです。日枝神社が荒れてしまったのは所有者のお寺も壇林を失い管理する余力がなくなり、仕方なく神体を他の神社に移したのでしょう。神社と寺が別々にある状態に慣れてしまった寺の人もどう管理していいのか途方にくれていたのではないでしょうか。史跡としての調査をきちんと行い公園化するのが最善だと思います。

  • 面白かった!これこそはまれぽ!って記事ですね。今後も面白い記事を期待しています

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