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横浜と青森は縄文時代から関係アリ!? 長津田の遺跡群「なすな原遺跡」って一体何?

ココがキニナル!

東急田園都市線、長津田検車区のある場所は「なすな原遺跡」という埋蔵文化財のある土地。発掘調査は事前に行われ、出土品は何?また調査で分かったことは?(ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

縄文時代を中心に、東北地方とのつながりや農耕が行われていた形跡を、土器などを手かがりに発見。祖先の暮らしがより具体的に把握できるようになった

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ライター:河野 哲弥

まるで、映画「マトリックス」を思わせる出土品の陳列棚


では、調査の結果、どのようなものが発掘されたのだろう。
後藤さんによれば、地区によって、内容に違いが確認されたという。地区別に古い順で並べると、

No.2地区~縄文時代草創期(約1万3000年前)から平安時代まで
No.1地区~縄文時代後期(約3000年前)から奈良時代まで
No.3地区~古墳時代前期(約1700年前)

となる。
 


もう一度、見取り図と比較してみよう


地区ごとにまとめられた、調査報告書


その理由としては、地形が深く関係しているそうだ。例えば丘陵地なら、狩猟採集が行いやすいだけでなく、住居を構えるにしても外敵から身を守りやすい。一方、平地に利用価値が認められたのは、農業技術の発達以降になる。

造成が進んだ今の姿からは考えられないが、かつては町田市側が高台で、そこから横浜市に向かってなだらかな平野が広がっていたのだろう。そこに暮らしていた人々が、1万年の間に居住エリアを変えていったことを考えると、地理的かつ歴史的な広がりを感じる。
 


現場付近から、北側(見取り図の右側)の眺め
 

一方、発掘調査の中身はどうだったのだろうか。「基本的には、ほかの遺跡とそれほど異なるというわけではありません。住居跡やお墓などの遺構、土器や装飾品といった出土品です」と後藤さん。それでも、貴重な資料が数多く見つかったそうである。
 


縄文時代草創期の「深鉢形土器」、復元されたものとしては日本最古の土器

 

縄文時代後期の「注口土器」
 

古墳時代後期の「須恵器(かめの一種)」、よりシンプルな形に変化してくる


それにしても、一体どのくらいの出土品が発掘されたのだろう。
そのヒントを得るために、部外者立ち入り禁止の倉庫を案内してもらうことになった。

 

うずたかく積まれているコンテナの数々
 

注口土器の一部だけでもこんな感じ
 

形をとどめているものの方が少ない


後藤さんは、「細かな破片も含めると、コンテナ数にしておよそ1000箱もあります。ですから総点数は、正直想像もできません。復元された土器だけでも500個ほどあるでしょう」と話す。

そして、これらの土器を整理してみると、時代ごとの違いやトレンドのようなものが見えてくるらしい。では、いよいよ「調査によって何がわかったのか」について、話を伺っていこう。



縄文時代後期から晩期の都会は青森だった?

横浜は、今でこそ人口約370万人を抱える大都市だが、縄文時代の後期から晩期は単なる片田舎。当時は青森県などが、国内文化の中心地であったらしい。

その点を踏まえると、これだけの規模を誇る集落が南関東に展開していたということ自体、ひとつの発見なのだという。
 


縄文時代後期の土偶、長さ約10センチメートル


そして、発掘品や遺構の一部などに東北地方との共通点がうかがえることから、当時でも何かしらの交流があったと考えられるとのこと。

また、トピックスとしては、縄文時代の地層の中から、エゴマなどの種子が発見されたこと。一般的に農耕は弥生時代以降の特徴と考えられているが、原始的な栽培が縄文時代から行われていたことを示唆する、貴重な証拠が見つかった。
 


土器に「軽くて便利」を追求すると、「薄くても丈夫な工夫」が求められる


個人的には、縄文時代の土器に「獣の毛」が含まれていたことが、おもしろく感じられた。繊維質を土に混ぜることで、薄くても丈夫な土器を作り出していたのである。これは、例えるなら、鉄筋コンクリートと同様の手法。縄文人の知恵に驚かされるエピソードだ。



1万年前のハマっ子も、今と同じ星を見ていたのか

このように、縄文時代の生活がより深く理解できるようになったのが、「なすな原遺跡」の意義ではないだろうか。もちろん当時は「横浜」という地名ではなかったが、先祖の暮らしが、少しだけ身近に感じられた気がする。
 


縄文時代のピアス、飾り部分の直径は約2センチメートル


視点を変えて、1万年後の考古学者が現在の地層を発掘したとき、そこに何を見るのだろうと考えるとおもしろい。横浜は、依然「横浜」と呼ばれているのだろうか。もしくは、ヨコハマと読めるのだろうか。

ほかにもいろいろと紹介したいが、細かく挙げていけば、報告書が完成してしまう。興味のある方は、町田市考古資料室を訪ねてみては。


-終わり-
 
町田市考古資料室(開室日注意)
所在地/町田市下小山田町4016
電話/042-797-9661
開室日/7・8月は土・日曜日、祝休日に開室。7・8月以外は毎月第2・第4土・日曜日、祝休日に開室(12月28日~1月4日は休館)
開室時間/午前10時~午後4時
 

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  • 私はこの遺跡の目の前の南成瀬中学校出身です。小学生の頃、傍らの今は公園となっているところには、土器の破片がたくさん落ちていて、よく拾いました。歴史に興味を持つ大きなきっかけとなりました。その後少し造成したようだから、今は土器を拾えないのかなぁ。

  • 長津田はヨコハマじゃない・・・ ハマッコじゃない・・・この地域も南北に直進すると府中~湘南方面に至る立地じゃないですか? とするとヨコハマ誕生よりはるか前 平安京の前頃からの歴史のある地域 とするとヨコハマよりも多摩や鎌倉や湘南や高座に分類する地域ですよ。ヨコハマの歴史はやはり開港後からなのがヨコハマが他の地域と違いヨコハマたる所以でしょう。あと、ちなみにこの辺りを通っていた東海道というのは比較的後の方のものかと。当時は東海道のルートも何度も変更されていたのだとか?

  • 「注口土器」は、骨董屋さんで昔の急須として売られていそうな精巧さです。

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