用途不明な三角地帯が2億円!? JR横浜駅―桜木町間、「入れない三角形」の土地はどうなる?
ココがキニナル!
京急に乗っていると、横浜から戸部のあいだに謎の三角地帯を通ります。JRと京急と川に挟まれていて、大雨の日は浸水しています。所有者は?利用予定は?(reさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
所有者は「田辺建設」。京急線から見える三角地帯は道路に隣接していないため、商業施設としての利用が不可能で買い手がほしくても見つからない状態
ライター:山崎 島
三角地にアタック!
で、そのまま編集部・山岸と三角地へ。今まで一瞬で通り過ぎる景色か、写真でしか三角地を見ていなかったため、歩いてじっくり見てみた! わくわくする、ざきやまぎし。
JR横浜駅東口の郵便局のすぐ横の道をまっすぐ行くと帷子川が見える。
万里橋を渡らずに、川沿いを歩くよ
台風一過の空
緑が萌えている一角が件の土地。京急線の踏切から見える
正面から。塀しか見えない
近くにいるのに・・・全然中が見えないよ!! なんだこの久々に切ない気持ちは。周りを見回す。
そんなときは振り向くと手がかりが・・・ってことなの?
京急線のすぐ横のあの建物!! 三角地だけ見ていて気がつかなかった。早速、撮影の許可をお願いした。
「スカイメナー横浜」
事務所へ行くと、優しい管理人さんが即許可をくださり、最上階へ。
JR根岸線と
見えたー! ついに全貌を肉眼で確認。ザキヤマギシサイレント歓喜! 思っていたよりも荒れてはいない。投稿にあった「大雨の日は浸水している」という内容も、台風直後の様子を見るとうなづける。
細部1。水と杭
細部2。湿地?
三角地は人が立ち入った形跡がなさそうで、自然が豊かな印象。調査開始当初はここで生き物観察をし、おにぎりを食べる予定だった・・・残念。でも見られてよかったー。
この三角地、いつごろからあるのかを調べたがなかなか資料がなく、正確なことは分からなかった。横浜市中央図書館で『西区明細地図』を確認したところ、1964(昭和39)年には既にこの形の空き地だったことが確認できた。
明治時代の初代横浜駅(桜木町)周辺の様子。ここからは三角地らしき様子はうかがえない
その後、約3年おきにさかのぼっても建物が建てられていた様子はなかった。それ以前の地図が、まっことに残念ながら見つからず・・・「JRと京急の線路が敷かれた時にこの形になったんじゃない?」との山岸の意見を参考に調べてみると、
JR側の線路は新橋駅から現在の桜木町駅まで開通した1872(明治5)年から。京急側の線路は横浜駅―黄金町間が開通した1931(昭和6)年からだと分かったので、恐らく1931(昭和6)年からあの形になったのでは? と思っている。
ちなみに、JR東日本横浜支社に「三角地を購入するか」問合わせたところ「わかりません」とのこと。そうですか・・・しばらくは手つかずの自然が残る謎の三角地としてこの街に残っていきそうだ。
取材を終えて
会社としてはあまり触れて欲しくないであろう資産のことを、ご丁寧にお話しくださった田辺建設さんにとても感謝しています。ありがとうございました。
横浜の街は余すところなく人の手が加えられているが、その中に長いあいだ手つかずの場所があるのはすごいことだな、と思った。なんだ横浜が更に親しみやすくなったように感じる。こういう不思議な場所について、個人的にも興味を持ち、調べていきたい。
―終わり―
参考文献
『西区明細地図』 (有)経済地図社
『京浜急行百年史』 京浜急行株式会社
『JR横浜線・根岸線 街と駅の1世紀』 株式会社彩流社
金沢のよっさん
2016年12月07日 08時20分
京急から見えるあの沼気になってました!田辺建設が持っていたんですね。売り手がいないなら2000万の簿価を付けておくのもマズイ(減損しないといけない)気はしましたが(笑)
∵さん
2016年12月05日 11時21分
これを2億かぁ…で、今や2000万と。本当によくぞ語ってくれましたって感じ。取材する方もすごいけど。
呑屋の狸さん
2016年12月03日 10時10分
反対側の道路から川を渡る橋を架け、駐車場にでもすれば有効に運用できるかも…。役所とかの許可がいるのかな?