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子安台にあった米軍高射砲陣地の歴史とは?

ココがキニナル!

神奈川区子安台にかつて米軍キャンプがあったことを最近始めて知りました。どのような経緯ででき、どれくらいの規模だったんでしょうか。また、その跡地はどうなっているんでしょうか?(浜のすーさん)

はまれぽ調査結果!

子安台には1950年から1955年まで米軍の高射砲陣地があった。1975年以降、2万6382平方メートルの跡地は子安台公園として整備されている

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ライター:ムラクシサヨコ

数少ない歴史証言



羽田さんによると、子安台公園が朝鮮戦争のさなか、米軍の高射砲陣地として接収されていたことに関する資料はほとんど残っていないという。その前の、日本軍が高射砲陣地として使用していたころについては、若干の資料が残されている。以降、資料によって史実をもう少し追っていきたい。

飛来する敵機を攻撃する高射砲陣地は、見晴らしのよい小高い丘のような場所が適しており、横浜では、子安台のほかにも数多くの場所が高射砲陣地として使用されていた。その総本山となったのは野毛山だった。
 


穏やかな雰囲気の現在の野毛山公園。ここはかつて高射部隊の本部が置かれていた

 
現在の野毛山公園内におかれた高射砲陣地は、戦時中の1942(昭和17)年、横浜に飛来した米軍のB25に応戦したという。

1944(昭和19)年になると、各地で米軍の空襲があり、東京の代官山に「高射第一師団」が編成された。その下部組織である「高射第一一七連隊」の本部が野毛山におかれ「第二大隊本部」が菊名に置かれた。その中隊の一つが子安台だ。
 


三式12cm高射砲

 
終戦直後、米軍が上陸する中、子安台の陣地は少数の隊員によって守られていたという。『瑞穂陣地』(田実博著・NHK学園受講者作品集)に、当時の様子が記されている。

一部を引用すると「その日の朝(筆者注:1945<昭和20>年9月2日)、私は子安陣地に行くことにして家を出た。この陣地は神奈川区の現在の子安台公園のところにあった。子安台地への急坂を登りきったところで、私は振り返って横浜港内の海を見た。多数の米軍艦船が入港していた。(中略)この陣地は十二センチ砲(十二高)を六門備えていた。(中略)十二高は、瑞穂隊の七高とは比較にならないほど大きく、強力に見えた」とある。
 
横浜市道路局のホームページによると、子安台は米軍に接収された後、1955(昭和30)年に12月に米軍の接収解除。約2万7000平方メートルが返還され、そのうちの約2万1000平方メートルが陸上自衛隊子安分屯地となった。自衛隊の分屯地は1969(昭和44)年までで、その後、1975(昭和50)年3月に公園として整備された。



砲弾と砲身を発見



戦後70年が経ち、子安台が公園となってから40年の歳月が経つ。現在は戦争のことなど微塵も感じさせない、のどかな公園だ。

だが、戦争の傷跡は残っている。戦時中、日本軍の高射砲陣地は米軍から爆撃されており、戦後、不発弾が残っているのではないかと心配する声もあったという。
 


現在も横浜環状北線の工事中

 
園内では横浜環状北線の工事が行われているが、2008(平成20)年5月8日の朝、この工事現場で砲弾・砲身が発見された。砲弾は12cm径、長さ110cm。調査によると、旧日本軍の高射砲の砲弾と砲身であることが分かり、陸上自衛隊が撤去した。
 


2008年に発見された砲身(フリー画像より)




取材を終えて



子安台公園。緑が多く、横浜港まで見渡せる絶景スポットで、夜景スポットとしても人気が高い。そんな公園と戦争が結びつかなかったが、ここに高射砲陣地なるものが置かれていたと知り驚いた。さらに、ここだけでなく、野毛山公園、岸根公園など、周辺のあちこちが同じように高射砲陣地が置かれていたなんて、まったく知らなかった。

関東大震災の後、横浜市はここを公園にしようとしていたが、戦時情勢によってかなわず、最終的に公園となったのは1975(昭和50)年のこと。当初の予定から、ずいぶん年月がたっていた。この公園が今後いつまでも平和の公園であるように願ってやまない。

資料が少なく、調査を断念しそうだったが、横浜市史資料室の羽田博昭さんにお話を伺い、貴重な資料を紹介いただき、助かった。ありがとうございました。


―終わり―
 

参考文献
『横浜市史』
『瑞穂陣地』(田実博著・NHK学園受講者作品集)
 

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  • 子安台の幼稚園に通っていた頃、幼稚園の先生も子安台公園のことを自衛隊公園と呼んでいました。地元のかたはいまもそう呼んでいます。どうしてだろう?と思っていましたが。その後、戦後の歴史を知り、納得しました。米軍に接収された小柴貯油地も気になります。

  • 米軍に接収された横浜市内にはいたるところにその痕跡が残っているのではないでしょうか。磯子の岡村公園も戦後米軍に接収されてカマボコ宿舎が並んでいました。その後、自衛隊の駐屯地になりましたが米軍の残したカマボコ宿舎は残っていました。岡村天神の大きな鳥居を、自衛隊員を乗せたトラック(?)が埃を立てて通り抜けってったのがとても印象的で未だに覚えています。私たち兄弟はその駐屯地の前に有った岡村幼児園に通っていたのですが、兄が通っていた時は米軍が駐屯していたので、クリスマスには当時日本では手に入りにくいハーシーのチョコレートやらなにやらいっぱいお菓子をもらったようです。 私の時は既に米軍は引き上げ自衛隊の時代で、地元との交流もなにもなく、兄が羨ましかったのを覚えています。 社会のこと世間のこと何にも知らない子供時代の話です。

  • 以前に花見台交番裏山の高台に高射砲があったらしいと投稿したのですが、正にここにも朝鮮戦争時にはアメリカ軍の高射砲があった話を後で知りました。

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