日吉の「赤門坂」、赤門は血を隠すために赤い?
ココがキニナル!
日吉にある赤門坂。噂では事故とかで亡くなった方の血で染まった門を、何度色を塗っても赤が染み出てしまうため赤色に塗り、坂の名前も赤門坂になったとかいう怖い話。本当なの?(つよまるきさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
ウワサは単なるウワサ! 実際は、お寺に言われて門を赤く塗ったのが元になっていた!
ライター:田中 大輔
赤門坂の赤門をくぐって・・・
というわけで、赤い門がデンと構える大きなお宅へ話を聞きにうかがった。対応してくれたのは、横山イネさん。突然の取材にも関わらず、丁寧に話を聞いてくださった。
92歳というイネさんだが、とてもお元気。年齢を聞いてビックリ!
こちらのお宅は300年も前から続く旧家で、イネさんが嫁いで来たのが70年前。その時にはすでに門は赤かったそうだ。
まずは、あの門が坂の名前になったのかを確認すると、「日吉の赤門」と書くだけで手紙が届くほど知られた門らしく、それは間違いがないようだ。
立派な門はきれいに赤く塗られていて、とにかく目立つ存在
では、血染めの門というウワサは実際のところ、どうなのだろうか。その話を聞いてみると、ウワサ自体を知らなかったそうで、とても驚いていた。
イネさんによれば、坂の名前が「赤門坂」となったのは「日吉台中学ができた後なの」。
確認をとったところ、日吉台中学の創立は1947(昭和22)年4月1日のこと。つまり、イネさんがお嫁に来た後なので、イネさんがこのウワサを知らないということは、単なるウワサということになる。
坂を下って、少し歩いた先にある日吉台中学校
昔の赤門坂は今よりずっとせまく、当時の荷車が通れる程度だったそうだ。なので、事故自体起きるような場所ではなく、血染めの赤門というのは「とんでもない」ウワサということが分かった。
赤門が赤い理由に迫る!
では、なぜ赤いのか。
イネさんによれば、横山邸は金蔵寺の鬼門、すなわち北東の方角に当たる。そのため、お寺から言われて門を赤く塗ったんだそうだ。つまり、門が赤いのはお寺の鬼門除けのためというのが真相のようだ。
赤門を内側から撮らせてもらった。当然こちら側も真っ赤
あれ? 住職、そんなこと言ってなかったな・・・と思ったが、イネさんが先々代の住職に聞いた話ということで、実際に赤く塗られたのは相当前のこと。なので、当代の住職はそのいきさつを知らなかったようだ。
現在建っている門は、30年ほど前に建て直した新しいものだが、新しい門にも以前と同じように赤い塗装を施したんだそうだ。
取材を終えて
どうやらウワサは単なるウワサだったようだ。
ただ、事実はウワサより奇なりという感じで、宗教的な理由での赤門だった。近所に住む男性によれば、赤門の向かい側は最近まで全部山だったらしいので、命名当時は、それこそ坂の名前になるほどのインパクトが今以上にあったのだろう。
しかし、自分の家が地名になるとは、ちょっと自慢したくなる出来事に違いない。
さてさて、ほかにも地名や坂の由来、それに関するウワサがあれば、はまれぽ編集部までご連絡を!
―終わり―
たちゃんさん
2022年01月02日 15時22分
赤門は血を隠すためという噂だった話は初めて聞きました。以前赤門坂の近くに住んでいて、住民の方に聞いた話ですが、神奈川県初の横綱がこのお宅の方だったとの話でした。噂かもしれませんが。そのお話も聞いていただきたかったなぁ。
1945ashizawaさん
2015年05月13日 13時55分
日吉・横山さんの赤門、改築前の赤門も知っています。この先の製靴会社に勤めていて、通勤時には赤門坂を利用しておりましたから。 さて赤門ですが、天領の地では他にも結構あったそうです。なぜかと言うと、農家の有力者を名主に選び代官の代わりに村の農民の管理をさせていました。さらに複数の村を統括管理していたのが「惣名主」ということになります。 名主や惣名主は農民ですが名字帯刀を許され、とくに惣名主宅は役所のような機能を持っていましたので、赤門とすることを許されておりました。 ‥‥したがって金蔵寺の鬼門とは直接の関係はないはずです。
あやざるさん
2014年11月11日 13時00分
35年位前ですが、一時シロか白木の色?だった時がありました。友達がよく赤門にしなさいと、門をノックしていた記憶があります。