新山下運河に掛かる4本の橋、激動の歴史とは?
ココがキニナル!
2013年に霞橋が架け替えになったと思いますが、新山下運河にはたくさん歴史ある橋がかかっています。あのエリアの橋の歴史を霞橋も含め一気に教えてください(tmngマンさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「新山下運河」に架かる4本の橋。架け替えに引っ越しなど、それぞれに物語を持つ個性的な橋たちだった!
ライター:岡田 幸子
「霞橋」120年の時を超え、受け継がれる物語
引っ越した橋という点では、霞橋も負けてはいない。115年の時を超えて、2度移設された。なんと「橋自体」が約40kmもの距離を移動してきたのだ。
最初に竣工したのは東京都荒川区から足立区にかけて、隅田川を渡るプラットトラス(3本の部材を三角形に連結した“トラス”を組み合わせた構造)橋としてだった。
1896(明治29)年、隅田川橋梁として架橋(※)
40㎞を移動したと書いたが、それは最初の竣工後、国内での移動距離のみ。それ以前を含めると実際は世界を股にかけてかなりの長距離を移動している。この橋を構成するトラスは、イギリス中部の工業都市にある「Andrew Handyside & Co.(ハンディサイド社)」で製作され、長い旅をして日本にやってきたのだ。
さらに、今回の新山下への転用に際して表面のサビなどを落とした結果、鋼材から「DALZELL STEEL」の刻印が見つかり、スコットランド、グラスゴウの製鉄会社「Dalzell Steel & Iron Works(ダルゼル社)」で製造された鋼材であることが分かったという。
ダルゼル社は、かの「タイタニック号」にも鋼材を提供した会社だ
当時としては最大規模であった隅田川橋梁は、材質的にも構造的にも目を見張るものがあり、架け替えに際して転用が行われることとなった。明治生まれの隅田川橋梁のトラスは・・・
1929年、横浜市鶴見区江ヶ崎の「江ヶ崎跨線橋」として生まれ変わったのだ (※)
これが後に霞橋となる橋の、1度目の移設だ。資源が重要だった当時には、多くの橋がリユースされた。特に鉄橋は解体しやすいことから、盛んに転用・移設されたという。しかし、高度経済成長期を経て、手間や工夫、そして費用がかかるリユースは激減。多くの橋が使い捨てられるようになってしまった。
しかし、そんな流れに反して1980年代ごろから、歴史的価値を継承するため、取り壊される橋を歩道橋などに転用するケースも増えてきた。
みなとみらい地区汽車道の「港三号橋梁」や
2度の移設を経験した南区中村川の「浦舟水道橋」など
2009(平成21)年に撤去後、“元”江ヶ崎跨線橋として保存されていた橋も、そんな背景を受け、2013年にその一部を転用して新山下運河の霞橋として第三の人生をスタートさせることとなった。
「旧霞橋の老朽化から架け替えが検討されるなかで、歴史的価値のあるトラス転用の可能性が探られました。およそ120メートル分あったプラットトラスから、腐食が少なく応力的に問題がない部材を再利用。一部新規に製作した部材を組み合わせて、約30メートルの霞橋に生まれ変わらせました」と、居山さん。
単なる「使いまわし」ではないこの移設では、当時の意匠を残す工夫もなされたという。隅田川橋梁架設時と江ヶ崎跨線橋移設時には、鋼材の結合部にリベット結合(二枚の鋼材の穴に熱した楔(くさび)を打ち込み、両側を叩いて止める結合方法)と呼ばれる技術が採用されていた。
こんな感じ(写真は「港二号橋梁」)
しかし、熟練工の引退で現在の橋梁ではリベット結合は使われていない。さらに、施工時の騒音も問題となることから、新たな結合部にはボルト結合が採用された。
そんななかでも、従来のリベット結合との違和感が発生しないよう、橋を渡る人から見える部分にはできるかぎりボルトの頭が見えるようにとデザインが工夫されたのだという。
へぇ、よく見りゃ確かに!
そんな努力も評価されてか、霞橋は2014(平成26)年に「土木学会田中賞」を受賞。
「橋梁技術の発展に大きく貢献したと認められ」た
一般には知られていないかもしれないが、「土木学会田中賞」は橋梁・鋼構造工学での優れた業績を表彰する、橋の世界では最も権威のある賞といわれている。日本一長い4384メートルの東京湾アクアブリッジが1996(平成8)年に、横浜ベイブリッジが1989(平成元)年に受賞。国内外の名だたる橋が多く受賞している賞だ。
市内ではほかに新港サークルウォークなども受賞(1999<平成11>年)している
とはいえ、横浜市道路局による橋では、今回の霞橋が初受賞だ。さらに・・・
橋長32.96メートル、田中賞史上最も小さい橋!
このちんまり感、愛さずにいられないよね?
取材を終えて
何気なく渡っている橋でも、立ち止まって眺めてみると発見がある。霞橋や浦舟水道橋など、小粒だがキラリと光る魅力的な橋がある横浜ってすてきな街だ。
「運河の街・横浜」を見直す動きは、こんな楽しい取り組みも生み出している。まずは身近な橋から、「運河の街・横浜」を見直してみるのもよいのではないだろうか。
―終わり―
◎印をつけた画像は、すべて時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。
※印をつけた写真や図説はすべて横浜市提供の資料です。
取材協力
横浜市道路局橋梁課
http://www.city.yokohama.lg.jp/doro/kyouryou/
時系列地形図閲覧サイト「今昔map on the web」
http://ktgis.net/kjmapw/
はまあじさん
2016年06月22日 18時38分
2年ほど前、自転車散歩中に偶然「霞橋」に出会いました。その造形にぐっと惹きつけられ、橋の袂に停車したのであります。何やら茶色い大きな鉄の塊が置いてあり案内文がありました。「隅田川橋梁から江ヶ崎跨線橋まで114年使われ続けた沓(しゅう)」ということです。沓とは橋の重さを支える基礎部でした。あとで調べたら「沓」(しゅう)の英語表記がshoe(しゅう)になっていて「沓」=「靴」と分かって膝を打ちました。また他の案内文の最期に「明治時代の鉄道橋を改修し、現役の道路橋で再利用した数少ない橋であり、使い続けながら歴史的価値を後世に引き継ぐ貴重な構造物です。」で泣きました。いい橋に出会ったいい日でした。
永田OLさん
2016年06月21日 14時12分
新開橋架け替えの際はシマホ(ホームズ)への往来が不便でしたが、今では立派な橋になり、非常に快適に通行できています。霞橋は本当に造形が美しいですね。ちょうど丘公園の展望台からほぼ真正面に位置するので、橋の上から丘公園に向かって手を振ると、上にいる人が手を振りかえしてくれることもありますよ。完成してすぐに落書きの被害が出たのは残念でなりませんでした。橋にまつわる歴史や苦労をちゃんと理解してもらいたいものですね。
呑屋の狸さん
2016年06月21日 00時34分
我が家の近所で、調査活動されていたのですね。ご苦労様です。