日吉に地下壕が!?いったいどこにある?
ココがキニナル!
日吉に昔の地下壕があると聞いたのですが、どのへんにあり、どのくらいの大きさなのでしょうか。一般人が見学できる機会はありますか?(ときわさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
地下壕は慶應義塾大学日吉キャンパス内にあった!総延長は約2600m。大学敷地内なので一般公開はしていませんが、定例の見学会があります。
ライター:ほしば あずみ
連合艦隊司令部の地下壕とは (続き)
特に司令長官室はコテ跡もみあたらないほど立派なコンクリート仕上げだった。
当時は純和風の桧造りで立派な扉等がついていたが司令長官自身は「こんな場所には住めない」と言っていた、とのガイドの解説に、見学の老夫婦は「自分たちはこんな安全なところで最前線に指令を出してねえ」と憤慨していた。
司令長官室の近くには地上の司令部に続く階段があったが、終戦に伴い塞がれた
司令長官はじめ高級軍人は普段は寄宿舎に置かれた司令部におり、空襲などの緊急時に126段の階段を使って地下壕へ降りてきた。
戦争末期、レイテ沖海戦や硫黄島戦、無謀といわれた戦艦大和の出撃や沖縄戦等の作戦指令は、ここ日吉の司令部から発せられていたのだ。
連合艦隊司令部のあった三棟の宿舎(慶應義塾提供 保存の会の許可を得て掲載)
今回の見学参加でおそらく最高齢であろう90歳の女性は「以前来た時(10年以上前)は、寄宿舎の方の入口も通った気がする」と語っていたが、事実は確認できなかった。
地下壕は爆破で崩落している場所や塞がれている場所等があり、すべてを見学できるわけではない。
当時は蛍光灯で昼間のように明るかったという電信室付近
その他の中枢施設は作戦室、電信室や暗号室。ここでは傍受が主な任務でおよそ300人あまりの隊員が交代で24時間、短波受信や暗号解読の任務にあたっていた。
電信員は特攻隊員の突撃にあたり、モールス信号をおさえっぱなしにする「ツー」という長音が途切れる瞬間や、戦艦大和が沈没していく様子が刻々と入電されるのを涙ながらに受信したという。
この先は私有地なので鉄柵で遮蔽(しゃへい)されている
地下壕の通気口は爆撃に備え、地上部分を茸型に覆っている(耐弾式竪穴坑)
平和の史跡としての保存をめざして
司令部のあった寄宿舎は、現在も1棟が学生寮として現役で使用されているため近くでの見学や撮影はできないが、地下壕や地上の建物などの説明を受けながらの見学は合わせて約2時間半。
参加者には、お父さんと一緒に参加したという小学4年生の男の子や、友人同士という女性もおり、中高年の夫婦での参加が多かった。
歴史が好きで調べて来たという人、近所に住んでいて一度見たかったという人、見学のきっかけはそれぞれのようだ。
ガイドをつとめてくださった「日吉台地下壕保存の会」のみなさん
「保存の会」は、定例の見学会の他小中学生の平和学習などもあわせ年間約50回の見学会を行い、調査研究もすすめている。
地下壕を平和の史跡として保存し、現在改修工事が計画されている寄宿舎の場所に平和ミュージアムを建設するようこれまで2度、慶應義塾に要望しているという。
まとめ
戦地から遠く離れた地下、ここで実際に戦いがあったわけではないが、確かにこの場所は戦争の遺跡だった。
戦争末期の一年間、振り返れば最悪の作戦の数々がここから発せられたのだ。
そういった歴史の証として今後も地下壕の保存を望みたいし、またこの場を訪ねる側も観光ではなく、平和について考える学びの場として見学していただきたいと思う。
―終わり―
<地下壕見学等の問い合わせ先>
日吉台地下壕保存の会
http://hiyoshidai-chikagou.net/
烏龍茶さん
2017年10月07日 23時26分
新幹線だけでなく、何年か前に一部の地上が民間の宅地になって、その分は地下の防空壕も基礎工事でなくなったそうです。
ushinさん
2012年08月14日 01時37分
地下に伸びた通路で結ばれた施設を、新幹線のトンネルが突っ切って建設されたために、分断されてしまった地区があるほど広がりがあったようです。