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根岸に残る「疎開道路」、名付けられたその理由は?

ココがキニナル!

根岸の方に「疎開道路」と書かれた道路看板を見かけました。いったいどんな道路なんですか?(ゆきむらさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

空襲による火災の延焼などを防ぐために家屋を取り壊して造られた道路。市内にも多く存在したが、現在も名前として残るのは磯子区だけとなっている。

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ライター:ワカバヤシヒロアキ

建物疎開とは?



疎開道路が、建物疎開によるものということは分かったものの、それ以上の情報は書籍からは得られない。そこで、以前取り上げた富岡総合公園の取材でご協力いただいた葛城峻さんにお話を伺うことにした。
 


磯子や横浜の歴史を研究されている葛城さん


葛城氏は「磯子区郷土研究ネットワーク」、「磯子区の戦争体験を記録する会」、「市民自治を考える磯子区民の会」で代表を務める方であり、様々な出版物を発行したり、講演を行うなど多岐にわたって活躍されている。

早速、磯子に残る疎開道路について尋ねてみると位置関係を教えてくれた。
 


疎開道路図(横浜市道路局・愛称道路より)

横浜市道路局が昭和53年に発行している「愛称道路」によると、上図のような道路網が把握できる。
JR根岸駅の北西部に疎開道路は集中しており、一箇所「疎開道路」だけで地名の付かないものもあった。

葛城氏によると、「疎開」という言葉は元々軍隊の用語であり、砲撃を受けた際に四方八方に逃げ、拡散することを指していたそうだ。

その後、第二次世界大戦中の空襲で、家屋の焼失を避けるため「建物疎開」が行われることになったのだと言う。一般に使われる「疎開(=学童疎開)」は建物疎開の後に行われたもので、元を辿れば建物疎開の方が先だそうだ。
 


葛城氏が保管されていた当時のナパーム弾


建物疎開の指定は昭和19年1月に東京で行われたのが最初で、その後名古屋や大阪、横浜でも実施されていたそうだ。横浜では鶴見区神奈川区の辺りが最初で、磯子での実施はその後だったという。

当時の日本では国の決定は絶対であった。そのため、僅かながらの補償金や国債と引き換えに家を奪われる人の中には悲痛な思いをする人もいたが、反対することなど当然できない状況だったという。

建物の取り壊しは、中学生や軍隊、地元警防団と呼ばれる人達が行っていたそうで、それらは全て人力。ノコギリで柱を切り、大勢でロープを引っ張って倒壊させるという大掛かりなものだったそうだ。ちなみに当時中学生だった葛城氏もこの取り壊し工事に参加している。

建物の取壊しが行われると、炊事や風呂の火を焚く為の木材を求めて人が集まるなど、当時の人は本当に毎日の生活がギリギリであったと葛城氏は語る。
 


そのような建物疎開の跡は全く見られない


以上のような話の中を考慮すると、他の地域にも疎開道路はあったはずだが、名前として「疎開道路」が残るのは横浜では磯子区だけだそうだ。

理由は定かではないが、根岸に比べて他の地域は都市部であることから、都市計画道路等と混同して開発され、名前が残らなかったのではないかと葛城氏は言う。

また、「なぜ、根岸駅の北西部のみで建物疎開が行われたのか?」と尋ねると、「今の町からは想像できないかもしれませんが、当時はこの辺りにしか密集した住宅地は無かった為と、今の16号線が破壊された場合のバイパス作りの目的があったのではないか」と話してくれた。

さらに、この場所には根岸飛行場があったので、飛行機が狙われると考えた経緯もあるのだという。
ただ、幸いにして根岸への直接の空襲は無く、一部の砲弾が中浜町に数発落とされただけだそうだ。



まとめ



根岸に残る疎開道路とは、戦時中に行われた建物疎開の実施で生まれたものだった。
これは根岸に限ったことではないが、道路に名前が残っているのはここだけだという。

最後に葛城氏はこう言った。
「疎開道路は、立派な戦争遺産です。しかし、その背景には住む家を壊されるなど悲痛なものがあるため、簡単に愛称道路とは言えないと思います」

何気なく見ていると、疎開道路は単なる道路の名前にすぎない。
しかし、そこには日本が戦争をしたという過去。

その中で、逆らうことのできない命令に泣く泣く従わざるを得なかった人々がいたという歴史を我々は忘れてはならない。


―終わり―
 

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  • 大阪市生野区にも疎開道路がありますよ!

  • 建物疎開については都市疎開実施要綱、昭和18年12月21日閣議決定でhttp://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00528.phpにて、学童疎開は学童疎開促進要綱、昭和19年6月30日閣議決定でhttp://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib00563.phpにて閲覧できます。

  • 横浜の繁華街にあった補助飛行場として、現在の中区福富上町・福富下町などのエリアにもありました。根岸の飛行場は資料によっては間門飛行場と書かれている事もあります。これら飛行場の目的は被害を受けた戦闘機の緊急着陸施設として作られました。国道16号線自体、帝都防衛の為の軍用道路として作られた経緯があり、連合国からの攻撃を受けるに十分な理由がありました。

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