横浜寿町のドヤ街には今も日雇い求人はあるの?素人が面接を受けてみた
ココがキニナル!
前記事では寿町の現状を調査。今でも労働者の街としての名残は残っているようである。だが実際のところ日雇い仕事は残っているのだろうか。実際に面接を受けて調査した(ライター・小林たかしのキニナル)
はまれぽ調査結果!
現在は世帯の8割が生活保護受給世帯という福祉の街へと姿を変えた寿町だが、依然として街中にある張り紙や公共の職業あっせん所には日雇い労働の求人が残っていた
ライター:小林 たかし
面接に挑むも・・・
騒動がありつつ、待っていると面接の時間が近づいてきた。求人が張ってあったドヤに行ってみることに。
時間は午後5時20分ごろ、ドヤにたどり着くと、求人が嘘でも、昔の張り紙が忘れられていただけでもないことが分かった。
開いているドヤの扉のすぐ近くに、坊主頭で恰幅のいい、作業着を着た中年の男性が座っていた。いかにも「親方」といった風体で、迫力満点だ。
面接会場のすぐ近くにある 寿公園。夜は誰もいない
親方の目の前には椅子も置かれており、面接があるというのも本当らしい。
・・・とはいえ話しかけづらい。
目でも合えば話しかけやすそうなのだが、親方は一心不乱に帳簿のようなものにボールペンで書き込んでおり、下を向いたままだ。
でも話しかけなくては先に進まない。覚悟を決めて私は親方に話しかけてみることにした。以下は面接の一部始終である。
ライター:あのー、面接・・・.
親方:なにっ!?
迫力にやられ、まごまごしていたためか、聞き取りづらかったらしい。開口一番親方に怒鳴られてしまった。
ライター:張り紙を見てきました!
親方:・・・・・
怪訝そうな顔をした親方は、私の体を上から下までしげしげと眺め始めた。
親方:あのさ、こういう仕事したことあるの?
ライター:い、いちおう、建築現場の資材搬入とかは・・・
親方:ふーん(笑)安全帯もないみたいだし、そもそも服もってる?
ライター:あ、あの
親方:悪いことは言わない、やめておいた方がいいよ。うちさ、ちゃんと働ける人をさがしてるんだ。お兄さんみたいな人だと邪魔になっちゃうよ。
結局、丁重に断られ、しまいには親方に心配そうな顔で見つめられてしまった。こんなことになって親方の顔を改めてみると、確かに怖そうな人だが、面倒見のよさそうな顔をしている。
働くことが決まった後に、迷惑をかけなくてよかったのかもしれない。
街中にはこうした普通のとび職の求人もある
とはいえ、面接は続くらしい、私のことが邪魔そうだ。申し訳なくなり、ドヤの外に出ることにした。しばらくすると、作業着とニッカポッカを着た男性が次々と集まってきた。
彼らの顔を見ると、親方は何を話すわけでもなく、次々と帳簿のようなものに書き込んでいく。どうやら、顔なじみらしい。
皆、現場仕事に慣れているようで、作業着を着ていてもわかる屈強な体つきが、彼らの仕事ぶりを物語っていた。どうみても私は場違いだ。いたたまれなくなり、ドヤを後にすることに。
寿公園からほど近くにある、「スーパーダモア」で売られていた350円の親子丼を購入し、滞在先に戻った。
普通に美味しい。肉はたぶん鶏肉だ
私のような明らかな素人では働くことはできないようだ。だが、現在でも寿町では街中で日雇い労働の求人はあり、また、その仕事を求める人々もいたことだけはよくわかった。
寿労働センターで聞いた寿町の今
もう少し現在の寿町の労働環境について伺うため、次に寿町で職業をあっせんしている公的施設「寿労働センター」に勤める職員の方に聞いてみることに。
大きく書かれた日雇い労働者等の文字が特徴的だ
街のシンボルとも言われていた建物は現在改装中。かながわ労働プラザという複合施設内で寿労働センターは営業を続けている。
9階建ての複合施設中にはトレーニング施設やレストランも併設されている
結論から言えば、現在でも寿労働センターでは日雇い労働の求人を多数扱っているという。
ただ、寿町の労働者の平均年齢は57歳と、高齢化は進んでいるそうだ。寿労働センターではこうした現状を受け、建築現場での過酷な労働以外にも、倉庫内での軽作業など高齢でも働くことができる求人を増やそうと努めているとのことである。
求人内容を見せていただいたが、ほとんどは神奈川県内で日雇いのもの。多くはなかったが中には県外で週単位、月単位で食事・寝床付きの求人もあるようで、時代が変わったとはいえ労働者の街としての寿町は健在のようだ。
ちなみに、街中で見かけた求人の張り紙についても伺ってみたが、行政側では把握していないという。
街中で見つけた求人の張り紙の一部。基本的に手書きだ
話の中では、高度経済成長を支えてきた寿町を象徴するようなエピソードも飛び出した。
ライター:どんな方がここで求人を探しに来られるんですか
職員:やはり昔からこの町で働かれている方が多いですね。中には職人として高い技術を持っている人もいます。求人を紹介した後、腕を買われて直接企業と契約を結んでいます。変な意味ではなく職人として高いプライドを持っている方も多く、なかなか求人にご満足いただけないこともありますね。
寿町がたどってきた歴史は一言では語れないものだろう。
数えきれない人が、様々な背景を抱え、この町を訪れ、労働者として働き、暮らしてきた。
寿町には私のような軽い気持ちで来た人間ができるような仕事なんて、そもそもなかったのかもしれない。
取材を終えて
帰り際に食べた寿町にあるスナックのモーニング
2日間の滞在を終え、寿町を後にした。夜の街も早朝も散策してみたが正直なところ、昔あったといわれるような活気は感じられなかった。漠然とした、疲弊感のある今の日本を凝縮したかのようでもある。
とはいえ人は生きていかなくてはならない。だからこそ、日雇いの労働やドヤは今でもこの町に残っているのかもしれない。
ー終わりー
gunaさん
2019年01月27日 08時19分
伝えたい物語が弱いから炎上していると思う。どや街に住む、生活保護を受ている人が多い、求職をして、感想では、トイレや便など汚い文脈になるから悲壮感だけ伝わって、何もオチがないのですね。まず、日雇いで働いてみて、インタビューをして、働かなくてはいけない立場や生活保護を受けなくてはならないはなぜか原因追求をしていき、そのための過程として、結果宿に泊まり、出来事として、事件があって、感想という順番にすれば、読者から前向きな共感を得られたと思います。
京急LOVEさん
2019年01月10日 22時09分
横浜生まれ、横浜育ちだけどさ。横浜愚明とかホッケンみたいなストーカーみたいなやつのほうが、出ていけば?感想書いている人にまで当たって恥ずかしくないかい?「横浜市民はみんな知ってるよ」って何の話かね。差別をしろって言われて育ったのかね?お前たちの方が差別してるよね。いつまで放っておけという、あの地区は違うんだと言うこと自体が完全に差別だろ?馬鹿にしてるだろ?今はバックパッカーも安宿探して泊まる街にまでかわっているわけだよ。寿町だけではなく、大阪のあいりん地区もそう。どこのドヤ街といわれた町も、どんどんかわっている。普通の人がこういうことしても良くなったことが、良かったと思うよ。こういう匿名弁慶が一番クソ。書くなというよりは俺も、もっと詳しく、何日もかけて奥の奥まで書いてほしいとは思ったけどね。確かに浅い。そっちのほうのコメントに1票。上辺の新聞よりはましな程度。
ハマ育ちさん
2019年01月10日 09時11分
これだけ盛り上がれば成功とも言えるのでしょうね、はまれぽ的には。
書き方の問題もあるのかと。取材じゃなくて個人ブログ程度の内容、感想に留まってるのも反感を買っている一因ではないでしょうか?
個人的に親子丼のくだりには呆れました。プロとは思えません。