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東京園の復活は?幻の楽園「綱島温泉」の痕跡を追う!

東京園の復活は?幻の楽園「綱島温泉」の痕跡を追う!

ココがキニナル!

結局「綱島温泉」はどうなってしまった・しまうのでしょうか?(よこはまいちばんさん・ぴろさん・ハムエッグさん・春貴恩さん・ナチュラルマンさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

綱島温泉最後の砦・日帰り温泉施設「東京園」はもはや見る影もない。戦前・戦後の一大温泉地からベッドタウン化した街は、今また新たな転換期を迎え、歴史の痕跡は急速に失われつつある

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ライター:結城靖博

 


すると奥には、立派な瓦屋根の「これぞ銭湯!」的造りの建物が

 


のれんの向こうを覗くと、こんな感じ

 
素晴らしい! 入り口の様子を見ただけで、ここが吉田さんおすすめのレトロ銭湯であることがすぐにわかるというものだ。
「中も広々としていて、とても気持ちがいい」そうだ。
「今度、風呂道具一式持ってまた来よう」と思いながら店を後にするが、店先に佇んでいたわずかな間にも、常連客風のお年寄りが数人、昼風呂を浸かりにガラス戸の向こうへ消えていった。うらやましい。

太平館を後にして、ふたたび樽町交差点まで戻る。数年前、ここ綱島に新たにオープンしたスーパー銭湯「綱島源泉 湯けむりの庄(しょう)」を見に行くためだ。

樽町交差点を右に折れ、県道140号線をひたすら東に向かって歩く。
 


途中には大型商業施設が建ち並ぶ。大曽根商店街とは大違い

 


樽町交差点から歩くこと十数分。やっとたどり着いた

 


大通りに面し、広い駐車場を備える「湯けむりの庄」

 


近代的な建物の前に送迎車がご到着

 
ここ「綱島源泉 湯けむりの庄」も、2016(平成28)年のオープン時に、はまれぽで取材しているので、詳しくは『綱島にできた日帰り温泉施設「綱島源泉 湯けむりの庄」に突撃!』を読んでみてほしい。
いずれにせよ、ことごとく「太平館」とは対照的な存在だ。
スーパー銭湯好きにはうれしい温泉施設である。だが、この新たな店を、かつての綱島温泉の歴史と結びつけて語るのは、地理的にも店の性格的にも無理があるようだ。
 
 
 
綱島温泉の痕跡を求めて② 綱島西地区へ
 


ピンクのラインが「パデュ通り」(© OpenStreetMap contributors

 
吉田さんの調査によれば、綱島温泉街は源泉が最初に発見された樽町付近から始まり、大綱橋を渡った現在の東京園(※当初は駅西側にあった)がある綱島駅東側に広がり、さらに綱島温泉駅誕生後、駅の西側、現在の綱島西地区へと拡大したそうだ。
 
樽町地区を後にし、綱島西地区へ向かった。
 
ここは、かつての温泉街を貫くようにのびるパデュ通りを中心に商店街が広がっている。だが、商店街をよく見ると、イトーヨーカドーを除けば、1・2階が商業施設、その上が7~10階程度の大型マンションになっている建物がほとんどだ。
実は、このマンション群こそ、温泉旅館の名残りと言える。
 


パデュ通り。左手のイトーヨーカドー以外、階下が店舗の大型マンションが目立つ

 
戦前の最盛期、40軒以上の温泉旅館がひしめく中、綱島西地区に「水明楼(すいめいろう)」と「梅島館(うめじまかん)」という二大旅館があった。どちらも広い敷地の中に綱島温泉に特徴的な「離れ家(はなれや)」を設けていた。
水明楼と梅島館があった場所にも、現在マンションが建っている。そして、2つのマンションには、いずれも当時をしのぶ「水明」「梅島」の名が付いているのだ。
建つ場所も、戦前につくられた綱島温泉沿線案内地図に描かれた2軒の位置と重なる。
 


9階建てのマンション「レジデンス水明」。1階にはやはり店舗が入っている

 


マンション入り口には確かに「水明」の文字が

 


近くに建つ「梅島ニックハイム綱島第7」。TSUTAYAの店舗が併設されている

 


やはりマンション入り口に確かに「梅島」の文字が

 
戦後はふたたび、最盛期70~80軒の温泉旅館を擁するまでの復活を遂げる綱島温泉。その起爆剤となった「行楽園(こうらくえん)」も、綱島西地区にあった。
 
1953(昭和28)年に開業した行楽園は、単なる温泉施設ではない。日本庭園や屋上遊園地、結婚式場、ボーリング場まで備えた一大総合レジャーセンターだった。しかし、今となってはとても想像もつかない娯楽の殿堂は、1973(昭和48)年に閉業し、現在、やはり巨大なマンションに変貌している。
 


パデュ通りの端に建つ大型マンションと広い駐車場

 
約45年前まで、ここに大規模レジャー施設があったという。ああ、隔世の感!
とはいえ残念ながら、このマンションに「行楽園」の文字はない。その名は「ニックハイム綱島第1」。
 
一方、パデュ通りには、次のような温泉街の痕跡もあった。通り沿いの案内板に記された「浜京」の二文字だ。
 


西口商店街案内板。「イトーヨーカドー」の右隣りに「浜京」とある

 
「浜京(はまきょう)」は、綱島最後の温泉宿泊施設の名称。横浜市立学校教職員互助会の保養所だったが、すでに2008(平成20)年になくなり、現在はコインパーキングと化している。
 


「三井のリパーク綱島西2丁目」。やはり周囲を大型マンションが取り囲む

 
実は、吉田さんからはもうひとつ綱島西にある「痕跡」を聞いていて、最後にそれを求めて西口商店街をひたすら歩き回った。だが、結局見つからないまま日が暮れてしまう。
 


夜のとばりが降りた西口商店街・綱島駅前付近

 
まぼろしの痕跡、それは「綱島温泉町」の表記が残る自治会掲示板である。
 
綱島西の旧・温泉街周辺には、現在、「綱島中央町会」と「綱島温泉町自治会」の二つの自治会がある。自治会名として「温泉町」が残されているというわけだが、町名としては「綱島温泉町」は存在しない。
自治会名としてのみ「温泉」という文字が残っていること、それ自体が「歴史の痕跡」とも言えるが、この日西口商店街界隈を巡ったかぎり、目にとまった掲示板は「綱島中央町会」のものばかりだった。
 
ただ、困り果てて入った不動産屋さんが「地元通」として紹介してくれた「綱島名店会館」の社長から、面白い話を聞くことができた。
「二つの自治会は地理的にはっきりとした境界がない。商店ごとにそれぞれどちらかに属しているから、入り組んでいるんだよ」
 
ふむ、自治会もまたカオス(混沌)の中にある、ということか。
 
 
 
「綱島温泉町」の掲示板を求めて綱島西を再々訪
 
広いエリアでもないし、行けば簡単に見つかるだろうと思っていた掲示板。甘い判断を反省し、あらためて後日吉田さんに問い合わせた。そして正確な場所を教えてもらい、三度目の綱島温泉痕跡調査におもむいた。
 
訊けばそこは、かつての温泉街エリアを貫くパデュ通りを抜けて、さらに奥へ入ったところだった。なるほど、これでは西口商店街の中をいくら探しても見つかるはずがない。
 


パデュ通りの終わり。前回取材した「行楽園」跡地が左手前に広がる地点

 


道を渡りその先へ向かうと、急に辺りは住宅地めいてくる

 
まっすぐ奥へ進んでいくと、2つ目の十字路の左角に掲示板があった。
 


植込みの向こうは「アプト綱島」というマンション。外壁改装工事中らしい

 
掲示板に近づいてみると・・・
 


確かに「綱島温泉町」と記されている

 
「どうだ!」と言わんばかりに、誇らしげに立っているように見える掲示板。いや、そう見えるのは、ようやく巡り合えたという達成感に浸る筆者だけかもしれない。
 
それにしても、「温泉町」と名の付く自治会の掲示板が、なぜか旧・温泉街から離れた住宅地の中にポツンと存在するのも、この街の「カオス(混沌)」のイメージをいっそう色濃くする光景のように思えてならない。
 
 
 
取材を終えて
 
かつての温泉施設が大型マンションに変わっている現状は、綱島の時の流れにとって象徴的なことのように思える。
そこに当地特有の離れ家を持つ敷地の広い旅館跡があったからこそ、大型マンションを建てることができ、また、そのマンションができたからこそ、「東京の奥座敷」は「東京のベッドタウン」化へ推進力を増していったにちがいない。
 
そして今、第7期の転換点を迎えていると吉田さんが指摘する綱島。新駅と高層ビルが建つことで、東口駅前の商業施設が密集したエリアは、どのように変貌していくのだろうか。ただ少なくとも、その「次の時代」への変化の中に、温泉街復活という構想はなさそうだ。
 
それは、綱島という地域に人々が求めている現実として、やむを得ないことかもしれない。
だとしたらせめて、後世に「そんな時代もあった」という記憶を残す努力を、もう少し行政に望めないだろうか。歴史の豊かさも地域の豊かさのひとつなのだから。
すでに書いたように、数少ない貴重な史蹟に説明板を置くのもひとつの案だ。
また、区の広報誌によれば、新駅の高層ビルには「区民文化センター」の併設も計画されているという。そこに、綱島温泉の歴史を伝えるコーナーを設けるという手もあるだろう。
再開発全体にかかるコストからみれば、それらは微々たる費用に思えるのだが・・・。
 
 
―終わり―
 
 
取材協力
横浜開港資料館
住所/横浜市中区日本大通3
電話/045-201-2100
開館時間/9:30~17:00
休館日/月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)、年末年始、ほか。
入館料/大人200円、小中学生100円 団体(20名以上)大人150円、小中学生80円
※毎週土曜日は高校生以下無料

参考資料

『銭湯と横浜』
発行/公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団

『わがまち港北』
著者/平井誠二
編集発行/『わがまち港北』出版グループ

「平成31年度港北区内で行われる主な整備事業」(港北区ホームページ)
https://www.city.yokohama.lg.jp/kohoku/kurashi/machizukuri_kankyo/machizukuri/syuyoujigyou.files/0014_20190426.pdf

『広報よこはま 港北区版』2018(平成30)年5月号

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  • 高度成長の頃と言わず、1970年代末から80年代前半にかけて、少年サッカーで鶴見川河川敷に毎週通っていた私は、綱島駅東口から河川敷に至る道の両側に、お屋敷のような立派な門構えの温泉旅館が林立していたのを覚えています。いつでも閑散としていて、寂しいところだなと事情も知らず子供心に思ったものでしたが、時代が移り変わる時期だったのですね。

  • いま、誰かが声を上げたり、書き残さないと、こういう「歴史」は永遠に埋もれてしまうんでしょうね… そういう意味でも、とても丁寧なルポで読み応えがありました。温泉という文化が復活することを願うばかりです。

  • 調査が浅い。なんで市の担当部署や東京園の関係者への聴き込みをしないのか?綱島駅周辺のまちづくりは、区じゃなくて市の事業でしょ?てっきり、その情報が載ってると期待したのに。。。最近のはまれぽは、取材に手を抜き過ぎててつまらない。もっと本気で調査をしてもらえないか?

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