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東名高速に架かる「道正橋」はなぜ車が通行しない?

ココがキニナル!

長津田にある市営北部斎場近くの「道正橋」は、車両通行を想定した幅にも関わらず、都市計画図にこの橋を経由する道路はないようです。橋が架けられた経緯、今後の見通しが知りたいです。(町田県民さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

架けられた当初は車も通行する橋だった!近くの北部斎場が建設されるタイミングで歩行者専用の橋へと転化。要望がない限り現状維持のようだ

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ライター:ワカバヤシヒロアキ

橋のベテランに聞く



話を伺ったのは横浜市道路局橋梁課の松本さん。鶴見のめがね橋の取材でもお世話になった橋の達人だ。今回も事前に電話で「道正橋なんですけど…」と話したところ、「東名に架かる橋ね」と即答してくれた。さすが松本さんだ。
 


橋梁課を担当して20年という松本さん


早速資料をもとに確認したところ、やはり道正橋は幅員6mの車両通行用の橋。昭和42年に竣工しており、これは東名高速道路の建設に合わせて作られたもののようだ。
さらに、保管される資料を見てみると、驚くべき写真を発見!

 


昭和54年の写真、なんと橋の上を車が通っている!


松本さんも、なぜ車の通っていた橋が封鎖されたのかという経緯までは把握していなかったようで、緑土木事務所に問い合わせてくれた。さらに道路台帳とにらめっこしながら出した結論が以下のとおり。

まず、原則として東名高速道路が通ることによって分断される土地に、元々通っていた道路の代替手段として橋を通したそうだ。
 


昭和40年の住宅地図、この頃はまだ東名が無い


現在の道正橋より、やや北側に存在した道路の代替交通手段として橋が架けられることとなった。
 


昭和48年の住宅地図、既に東名は完成し道正橋も見られる


昭和48年になると、40年には存在していた道路が無くなっており、代わりに道正橋が架けられている。しかも、この時は道正橋の東側から複数の道路がつながっていたことも確認できた。そのために車両通行も可能だったのであろう。

そこから時代は流れ、平成14年に道正橋の北東部に「北部斎場」が完成することになる。そこで、このあたりの細かな道路が整理されたのだ。

 


北部斎場の車の流入出は矢印の示す道路を使っている


北部斎場へのアクセス路は、すぐ南に鉄塔があることも関係し、上図のように別に設けられた。
元々、あぜ道のような状態であった道正橋以東の道路。車の通行が不可となった理由には、北部斎場へのアクセス路として使われなかったこと、そもそも車の交通需要が無かったこと、現状のまま放置すると事故等が起きかねないと判断したことが挙げられる。そこで、一体の整備の中で歩道として整備されたというわけだ。

車も通行できるようにして欲しいというクレームや要望については特に耳にしないと松本さんは言うが、もし要望がある場合は地元の自治会等から市へ要請すれば、検討されることは不可能ではないそうだ。




さいごに



道正橋が作られたのは、とても昔のこと。
とは言え、税金を使って作られたものであることには変わりない。

この道正橋の建設費用をNEXCO東日本(当時の旧東日本道路公団)に聞いてみたが、昔の話である上に、
東名高速道路の建設との一体工事であったため、橋単体での建設費用は分からないとのこと。

維持費においては、調査によると5年に1度100万円をかけた定期点検を行っているとのことだった。
車両通行ができなくなった橋に費用をかけることは、本当に今後も必要なのだろうか。

 


近くにある緑区最高地点の高尾山からの眺め


恐らく、ほとんど需要の無い橋は、ここ道正橋に限らずたくさんあることだろう。強いて言えば、散歩に利用していた女性のように、市民の憩いとして活用されている分、まだましなのかもしれない。

高度経済成長期の中で、横浜にもたくさんの橋が架けられた。
それから50年以上歳月が経ち、老朽化が明確に見られる頃である。

今一度、必要な橋、そうでない橋を見直す機会としてもらいたいと思う。



―終わり―
 

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  • スーパーカーブームだった当時、この橋によく車を見に行ってました30年以上前の事ですが橋の向こうは何もなかったのでしょう、記憶にないですから…車も通らないから子供にとっては安全に東名を眺めることができる場所でした

  • ここから東京寄りに玄海田橋というのがあって、道正橋同様、車が通れる規格がありながらもバリケードで四輪車を阻んでいる橋がありますね。かつてのこの地域の車両通行の需要を反映しているのか、双方共に1.5車線幅といったとこでしょうか?生かすには狭く、放置するには広い感じです。

  • http://bit.ly/xnsRci 昭和38年の段階で、道正橋の原型の路地と思われるものがありますね・・・細くて等高線と区別がつきにくいですが・・・。

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