横浜市内に点在する杉山神社を全社制覇!vol.1
ココがキニナル!
横浜にはいたるところに杉山神社があり、「杉山神社」「杉山社」の名前で宗教法人登録されているだけで35社もあるそうです。とりあえず全部の杉山神社を回ってみませんか?(べいさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
今回は旧久良岐郡にある5社を調査。すると式内社としての杉山神社とは違う、新たな謎が立ちはだかった。
ライター:ほしば あずみ
杉山神社の痕跡は残っていない(堀内の子之神社 ※合祀)
堀内とは現在の南区堀ノ内町一帯だが、杉山神社は残っていない。この地域に神社は子之神社と堀之内稲荷神社の2社。稲荷社の創建は昭和3年なので、古くからあるのは子之神社のみとなる。
蒔田駅から徒歩15分程度。住宅地の中の小さな神社だ
ただ、ここに杉山神社の痕跡はない。神社の方に伺っても心当たりがないとの事。別当だった近くの宝生寺にも問い合わせてみたが、住職が代替わりしており寺所蔵の資料の整理がついていないそうだ。
御祭神は大国主命。「子之神社」はその使いであるネズミに由来するとも
明治時代、多くの神社が統廃合をした。政策として一つの村に一つの神社が推進され、結果全国約20万社のうち7万社が取り壊された。
合祀された杉山神社の多くもそのうねりに飲みこまれたのである。
ゆずっ子の聖地…だけじゃなかった(岡村の岡村天満宮 ※合祀)
「ゆずの「岡村ムラムラブギウギ」に登場する所は今どうなってるの?」でも登場した磯子区岡村町の岡村天満宮。かつて松坂屋の屋上にあったパネル画が移設されており、ファンが聖地として訪ねてくる事は以前お伝えしたとおり。
境内の岡村幼稚園には岩沢厚治さんが通っていた
杉山神社は1910(明治43)年に合祀。御祭神は市杵島姫命だった
岡村天満宮の杉原宮司によると、杉山神社はここからほど近い、現在の横浜学園が建つ山の一角にあったとの事。
かつて杉山神社があった付近
創建の由来は、源頼朝が鎌倉の安泰を祈願し鬼門除けとして祀った「七杉山神社」の一社と伝えられている。
七杉山神社? はじめて聞くキーワードだ。そして、その創建の由来は蒔田社と同様。祭神も同じ市杵島姫命。ということは蒔田社は七杉山神社の一つ?
「杉山神社は横浜にはいくつかあるよね。実は(3年前に亡くなった)先代宮司がいろいろ研究していたんだけど、よその神職はあまり興味を示さなかったみたいでね。今となっては良くわからないんだよ」と杉原宮司。
改めて蒔田社の由来にあたると「七弁財天を勧請した」という一文を見つけた。
七杉山神社=七弁財天?さらに戸部の杉山神社内にも市杵島姫命が祀られている事もわかった。もしかしてここも七杉山神社?
まとめ
杉山神社分布地としては最南端、かつ数も少ない旧久良岐郡を調査したところ、思いがけない謎にいき当たった。
頼朝の七杉山神社。式内社としての杉山神社のルーツとはまったく違う、おそらく久良岐郡周辺にのみ当てまはる新たな謎だ。
残り4社はどこに? 探してみたところ、それに該当しそうな2社を発見。次回はそこも訪ねてみたい。
―終わり―
iwanさん
2012年12月03日 14時51分
「七杉山神社。七弁才天。久良岐郡周辺の杉山神社にのみ当てまはる謎」。 よくぞ そこにたどりつかれました。これこそ郷土史の空白部の一つです。 見落としがちですが、久良岐郡や横浜村周辺の弁才天信仰・宇賀神信仰を考える上で欠かせません。ただし記事にケアレスミスがあり、僭越ながら指摘させて下さい。それは「伊豆国土肥杉山(今の静岡県足柄下郡湯河原町)」の部分です。 社寺の由来書にも そう書かれる例があるので混乱するのは仕方ありませんが 「伊豆国土肥」と「相模国土肥」は頼朝ゆかりの地とは云え、異なる離れた場所です。 伊豆国土肥は駿河湾に面する西伊豆にあり「とい」(今の静岡県伊豆市土肥)。 相模国土肥は相模湾に面する湯河原にあり「どい」(神奈川県足柄下郡湯河原町土肥)です。 浅学なので指摘が的外れやもしれず、これ以上のことは申せませんが、はまれぽさんの調査の次なる展開を楽しみにしています。(横浜村在住)
yamaさん
2012年12月03日 08時19分
出来れば「杉山神社考」等の書物を紐解いたり、神主さんから聞いた略歴を併記していただけると「何故杉山か?杉山神社とは何か?」が皆に伝わり、親しみがわくかな?
きいちさん
2012年11月29日 17時23分
西区の杉山神社は、通ってた杉の子幼稚園のすぐ裏、西前小学校も近く、よく境内で遊んでいました。また、カブスカウトがここを拠点にしていたので、境内で枯葉を集めて焼き芋を焼いた記憶もあります。