昭和の香りがただよう横浜の日用品市場ってどんなところ?
ココがキニナル!
市内に「天王町日用品市場」「市沢日用品市場」とう長屋風の商店(ミニ市場)がありますが、現存する「日用品市場」はどれくらいありますか?全盛期にはどこにどれだけのありましたか?(町田県民さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
市場の形が残っていても空き店舗が多く、現存といえるのは5ヶ所程度。1920~30年代に58ヶ所新設され、1970年代には約90ヶ所がにぎわっていた。
ライター:山口 愛愛
歴史を知れば、現存の市場の価値がわかる
市場が残っていても閉店している店が多い理由は何だろうか。「横浜市史資料室起要・第1号」をもとに日用品市場の歴史を探ってみた。
多くの日用品市場は、1920~30年代ごろに新設されている。桜木(桜木町)、六角橋、丸山町など55ヶ所の市場が新設されたが、1932(昭和7)年に浅間町、前里町、藤棚の3ヶ所(計58ヶ所)が開設された。
1932(昭和7)年に許可制度が廃止されたことで、新規の市場が開設された記録がなくなった。なぜなら、この記録は日用品小売市場開設の申請・許可の数をもとに作成されていたからだ。以降、有志の小売店が集まって開業している商店街を何となく「日用品市場」と呼ぶようになったことで、定義があいまいになってしまったのだ。
戦前から続く浜マーケット
戦後はふたたび勢いを取り戻す。市民が路上販売を始めたことから、ヤミ市が増え、商店が集まり日用品市場に発展していった。1970年頃がピークで、約90ヶ所の日用品市場が存在していた。
今回の調査で、最もにぎわっていたであろう1970年頃の日用品市場はこちら
1980年代頃までにぎわっていた市場が多いが、スーパーマーケットが買い物の主流となったことで少しづつ衰退していく。
まだまだある、横浜市内の現存する日用品市場
もちろん今もお客さんの集まる日用品市場もある。
JR根岸線、根岸駅から徒歩20分。磯子区の丸山市場へ。
間口が狭い。シャッターを抜けると・・・
営業中の商店だった! 青果店、鮮魚店、精肉店、布団店、お惣菜店、鶏卵店など12店が営業
丸山市場内の鮮魚店「魚増」さんは、昭和の大スター美空ひばりさんの実家である。現在は親戚の方が経営していた。ヒット曲「魚屋さん」の歌が愛しく感じる。
煮豆や惣菜などを販売する「江藤商事」の江藤さんにお話を伺うと、「ここは昭和26年開業。後継者不足もあり、営業している店が減ってしまいましたが、うちのように家族が引き継いでいるところは、がんばっています」とのこと。
佃煮も色々。うの花(200g280円)や自家製の白菜の漬物(280円)なども人気
町田精肉店は、横浜市場のセリで骨付きの豚を1頭買いし、店の中で肉をさばく数少ない貴重な店。
「豚の甘みや旨みを感じてください!」と店長の町田さん
布団販売の「わたなべ」さんは、近くにある実家が製綿工場。布団の打直しが6800円と格安!
布団の打直しが6800円と格安!
ほかにも小規模ながら、営業している市場もある。
横浜市営地下鉄片倉町駅から徒歩約20分、神奈川区の八反橋フードセンター
青果店や美容室が営業中
京浜急行線、井土ケ谷駅から徒歩約5分、南区の協和日用品市場にも「営業中」ののぼりが立っていた。
「麻田花店」と「鮮魚・大坂屋」が元気に営業中
ここで、取材終了。
取材を終えて
今日の戦利品で夕飯を作ってみた
取材から帰って、「すどう青果店」のほうれん草と「小松ミートショップ」のバラ肉の炒めものをはじめ、生ベーコン、シウマイ、「江藤商事」の白菜などで夕飯を作った。素材の味が生き生きとしていて、ほとんど調味料を使う必要がなかった。素朴で人情味溢れる味わいを堪能し、また市場へ買い物に行きたくなった。
今回、快く取材にご協力いただいた店舗は偶然なのだろうか、苗字を屋号に使っていていた。家族で店を続けていこうとする高い意識や、ほかの店にはない工夫や努力があり、どこもこだわりを持っていた。
誇りが感じられる専門店が集まった、昔懐かしい日用品市場にぜひ足を運んでみてほしい。
―終わり―
ふくふくさん
2016年11月28日 06時12分
早急な対応、ありがとうございました!
ふくふくさん
2016年11月22日 11時46分
里芋コロッケが気になったので友人と市沢日用品市場に行ってみましたが、かなり前から惣菜はやっていないとのこと。みなさんのコメントを見て、この記事が3年以上前のものだと知りました。レポートである以上、取材年月日、もしくは初掲載日を載せるべきでは?リライトならともかく、過去記事をあたかも新着記事のように思わせる紛らわしい掲載の仕方はやめてほしいです。
デス男さん
2016年11月21日 22時34分
京急花月園前駅の近くにも、稲荷市場がありますよ。