かつて本牧にあったという海水浴場について教えて!
ココがキニナル!
うちの父が昔本牧へ海水浴に来てたらしいのですが、海水浴するような場所ってどこいらだったのでしょうか?(たつのりさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
本牧の海水浴場は、明治時代から昭和30年代まで現在の産業道路沿いにあった。昭和38年に施工された横浜市の造成事業で埋め立てられていった。
ライター:橘 アリー
「埋立記念碑」の様子は?
「埋立記念碑」は崖の近くにある
近くに松の木があり、海辺の雰囲気が漂っている
「記念碑」によると、本牧は風光明媚な漁村で、海は豊かな資源に恵まれていて、背後の緑濃い丘では貢馬(こうば、貢ぎ物として奉る馬)を育てる牧場があったそうだ。
海の様子については「この海で泳ぎ魚貝を採り海苔の香りに親しんだ」とある。
そして、“由緒ある伝統の海も、新しい土の下に永遠に眠る”と記されている。
この下に海が眠っているそうだ
馬を飼っていたという高台はどうなっているのか?
崖の高さは9.5メートルで、崖の上が「本牧臨海公園」になっている
階段とスロープを登っていくと
「本牧臨海公園」は、とても見晴らしの良い空間である
本牧の海についての説明の看板が立っている
看板で、海岸があった当時の様子を見ることができる
工場の先にある本牧の海が見える
海を背にして公園内を右に行くと、以前に「はまれぽ」の記事に登場している「八聖殿」があるが、そこへ行く途中の展望台にも、昔の本牧の海の様子の写真が載っている看板がある。
展望台の様子。ここからも海が見える
海岸があった当時の様子が載っている看板の様子
看板にある、本牧海岸での潮干狩りの様子の写真
看板にある、「八聖殿」下の崖の様子の写真
最後に、「八王子神社」と「護岸」の記念碑を確認することに。
「護岸の碑」は、海岸線の名残りを留める唯一の証し!?
「本牧市民プール前」の交差点を山側に入って行くと、土留め工事がされた崖があり、ここが「八王子鼻(本牧鼻)」と呼ばれていた辺りである。
崖の前の道を進んで行くと
「本牧元町東公園」が見えて来る
ここには、以前、「サマーハウス」と呼ばれた外国人用の避暑用の海の施設があった
「本牧元町東公園」から山側へ入って行くと、「おはちおうじさまの碑」がある。
階段を上った高台に「おはちおうじさま」があったようだ
碑には、海の安全と豊漁を願う人々に広く信仰されていたとある
本牧元町は一部が埋め立て地で、この歩道の辺りが以前の海岸線のようだ
「本牧元町東公園」の海側の道を、「本牧十二天」方向へ進んで行くと運河の横に出る
運河の横に「八王子の護岸」の碑が立っている
「八王子の護岸」の碑は、昔の海岸線の名残りを留める唯一の証しとして残されているそうだ。
これで、埋め立て前の本牧の海には、幾つかの海水浴場があり、潮干狩りや海水浴でにぎわっていたと分かった。
海の家が開かれる時の様子
(華々しき『本牧おけさ』海の家開場 横浜市史資料室 提供)
取材を終えて
本牧市民公園の崖は、黒船に乗ってやって来たペリーたちが、海から現在の本牧市民公園の崖を眺めて「トリニティポイント(条約岬と言う意味。ペリーは条約を結ぶために日本に来たため)」 そして、本牧十二天のオレンジ色の崖を、その色から「マンダリンブラフ(マンダリン色の崖) 」と呼んだそうである。
トリニティポイントと呼ばれた崖はそのまま残されている
崖下に海があった当時の様子を思いながら、「本牧市民公園・本牧臨海公園」を訪れてみてはいかがだろうか。
―終わり―
ryutafeijoadaさん
2014年06月14日 01時46分
昔の本牧の美しい砂浜風景が伝わってきました。今もこんな海岸線だったら、さぞかし楽しいでしょうね。
Tchanさん
2014年06月13日 14時20分
本牧市民プールは、海水浴場を埋め立てた代償で作ったと聞いたことがありますが。
niboshiさん
2014年06月13日 07時48分
近隣住民なので楽しく読みました。 不動坂を登り、旭台バス停付近(山元町に向かって右。)から海が見えます。 高低差はしんどいですが、この辺りは眺めがいいのので大好きです。