昭和40年代まで横浜駅西口付近で定期的に鳴り響いていた鐘の音の正体は? アノ施設に突撃!
ココがキニナル!
昭和40年代まで、横浜西口あたりで午前10時と正午に鐘の音が鳴り響いていました。午後10時には寂しいメロディーの鐘が。はるか昔の話ですが、その鐘のことを調べていただけませんか?(NRMさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
時間帯など投稿内容と食い違う部分もあるが、天理教神奈川教務支庁内で行われていた、おつとめの鳴り物の鉦の音と思われる。
ライター:小方 サダオ
みかぐらうたの演奏(おつとめ)がはじまる(つづき)
鳴り物として使われる、鉦に関しては、2種類あり、特に両手で合わせて鳴らす「チャンポン(手振り鉦・てぶりがね)」はかなり大きな音がする。太鼓も音が大きく響くが、低い音のためあまり気にならなかった。外部の人が聞いていた場合、人によって、太鼓の音、鉦の音、歌、と印象に残る音は異なるのではないだろうか。
手前の撥(ばち)で叩く「すりがね」よりも、奥の「チャンポン」の方が音が大きい
参拝場いっぱいに歌と演奏の音が広がる
扇子を用いた踊り
三下り目の歌詞の書かれた台本
躍動感を感じる扇子を使った舞い
両手の手の平を互い違い上下に向け
合掌しながら回る
約1時間かかり、今日のおつとめ(演奏)をし終えた。
その後信者から近況報告などの話があり、最初のように、拝殿に向かって全員で柏手4回後「ありがとうございます」と唱えながら一礼の後柏手4回、を3回繰り返した。
これで月例会は終了した。
その後食事をご用意いただき、食事をしながら池見さんと男性信者からお話を伺った。
筆者は以前夕暮れ時に、鶴屋町でハッピを着た10人くらいの人たちが、歌を歌い拍子木(ひょうしぎ)を鳴らしながら、列をつくって歩いてくる姿を見たことがあった。
そのことを話すと「それは天理教の信者が『神名流し(かみなながし)』をしていたのでしょう。月に1回、若い人が集まって天理ビルから沢渡公園あたりまで歌いながら10人前後で練り歩いています。布教活動の一つです」
「鳴り物に関しては、神様からの教えで、太鼓、拍子木、鐘など当時の一般の人たちにとって身近なものを使うように教えられました。神名流しでは、おつとめの鳴り物の芯と教えられた拍子木を鳴らし、みかぐらうたの第4節を歌いながら行います」とのこと。
おつとめで使われる拍子木
投稿に「寂しげなメロディ」とあったことに関して伺うと「昔の『みかぐらうた』を聞いた一般の人が、寂しげなメロディと思われたことで考えられるのは、本来みかぐらうたは陽気に聞こえてくる旋律(いわゆるメジャーコード)になっているのですが、都節(みやこぶし)という昔の一般的な調子で歌うと陰気(マイナーコード)になってしまいます」
「この都節の方が比較的歌いやすいため、当時の人は陰気な旋律で歌っていたのかもしれません。現在は陽気な旋律のまま歌うよう指導されています」
「また今回使用したものより小さい拍子木があり、それは甲高い音がします。それが鐘の音に聞こえた可能性もあるでしょう。このおつとめは天理教の信者にとって最も大事なものです。行えば、人が助かり、自分が助かるのです」と答えてくれた。
信者の方より当時のお話を伺う
月例会に参加していた、1961(昭和36)年から神奈川教務支庁に通う、天理教内で障害者ボランティアなどを行う社会福祉課に所属する岡本さんに、当時の様子についてお話を伺った。
「当時の施設はロの字型に建っていて、その中にも2棟の建物がありました。おつとめではさまざまな鳴り物を使いますが、外まで聞こえる鐘の音でしたら、よく響くので『チャンポン』ではないでしょうか?」
チャンポン(手振鉦)
すりがね(摺鉦)
「当時おつとめは1階の礼拝室で行っていました。正門のある表通りからは距離がありましたが、裏通りを通る通行人には音が聞こえた可能性はあります。また裏通り沿いには当時民家もあったため、その住人にはよく聞こえていたかもしれません」とのこと。
1960(昭和35)年の神奈川教務支庁。周りには民家もあったという(明細住宅地図 昭和35年)
午後10時に聞こえた可能性に関して伺うと「宿泊施設があり、だいたい誰かが泊まり込んでいました。そのため、おつとめの鳴り物の練習を誰かがやっていたのかもしれません」とのこと。
最後に「天理ビルは横浜駅のランドマーク的存在ですね」と伺うと「横浜市が持ち出してきた開発計画に乗った形になり、高層ビルになってしまいました。当時は横浜駅前がこんなに発展するとは思っても見ませんでした」
高層ビル12階にある参拝場。おつとめの音が外に聞こえることはもうないだろう
参拝場から見た外の風景
ヨドバシカメラ方面
「しかし2階建てだったころは、施設内に一般の人たちが自由に出入りでき、天理教が地域に根差している感じがありました。近所で行われた餅つき大会に参加したりしていたのです。また施設の扉を締めることはありませんでした」
「しかし今のようなビルの一室になってしまいますと、布教という点から見ても地域内での天理教の存在が希薄になってしまったと思います」と答えてくれた。
(左から)お世話になった池見さんと岡本さんと信者の方
それにしてもお話を伺っている間、隣の部屋から聞こえてくる信者たちの会話は、声がとても大きくにぎやかだ。「陽気ぐらし」の生き方を実践していることが影響しているのだろうか?
信者から大きなサツマイモをお土産にいただき、天理ビルを後にした。
取材を終えて
神奈川教務支庁が建てられたのは1951(昭和26)年、日本が戦後の混乱期を乗り越えた時のころだ。
そんなころに横浜駅西口付近でかすかに聞こえていた神楽のメロディ。周囲で聞いていた人に、ほのかな心の安らぎを与えたのではないだろうか?
今でも天理ビルの12階では、毎日午前9時30分と午後4時に「みかぐらうた」が演奏されている。
朝夕おつとめが行われる神殿の神床
―終わり―
天理教
http://www.tenrikyo.or.jp/jpn/
能鉄拳台さん
2018年03月10日 22時54分
天理教とか幸福の科学とか創価学会とか、いかがわしい新興宗教に洗脳されちゃっている残念な奴等とは関わりたくないですね( ノД`)…まぁコイツら天理は創価と違って、しつこい勧誘が無いだけ、いくらかマシですけど…
KURIZOさん
2016年08月13日 19時44分
高島屋で夜10時に鳴らしてたとずっと思ってました。我家は当時南幸町二丁目にあり、銭湯の帰りに丁度高島屋のネオンが見えて、メロディが聞こえていたことを記憶しています。10時ではなかったのかもしれませんが。
shouchannさん
2015年06月09日 23時14分
夜10時きっかりに寂しい鐘の音と言うよりメロディーが鳴り響いていたのは覚えています。確か 三ツ沢にある聖アンデレ教会からからと聞いたことがあります。