鎌倉?横浜?はま旅Vol.26「大船編」
ココがキニナル!
横浜市内全駅全下車の「はま旅」第26回は、新と旧の入り混じる大船駅。この駅の半分は横浜でできている。
ライター:ほしば あずみ
ぐるぐる橋を渡って天空の農園へ
(つづき)
ぐるぐる橋を渡り路地を抜け、柏尾川の対岸、長尾台地域に足をのばす。
「田谷・長尾台農業専用地域」に指定されている一帯だ。
「農業専用地区」とは、農業振興策のひとつで農地を計画的に保全する事。
新鮮な農産物を供給し市民生活にうるおいを与える緑の環境を確保する…
まあ、つまりどういう事かというと…
この山道をのぼった先に…
天空の農園。と呼びたくなる、見晴らしのいい農地が
長尾台の住宅街をへて坂を上りきると一面の畑が広がる。
これが農業専用地域、略して「農専」の景色だ。
田谷、長尾台合わせ35.1ヘクタール。横浜スタジアム約13個分に相当する。
田谷の秋祭り
地上にも広がる農地。田谷、一面の稲穂
のどかな農園風景の中を田谷方面へ。
関谷(せきや)川という小さな流れ沿いに灯篭が並んでいた。
子どもたちが、ひとつずつ思いおもいの絵を描いたもののようだ
その先にあったのは…秋祭り!
神社の入り口のお面売りと充実した屋台に誘われるまま入ってみると、御社殿の横のテントに大勢の人が集まっていた。
どうやら一連の神事が終わり、これから直会(なおらい:祭礼の打ち上げのこと)のようだ。
氏子総代の臼井さん
「この神社は田谷の鎮守だからね。夏祭なんかはないし、祭りは年一度この祭礼(9月第二土曜・日曜)くらいだから賑やかにやるんですよ。例祭、まあ秋祭りです」
神社の名前は「御霊社(ごれいしゃ)」
「御霊(または五霊)」と名のつく神社は各地にあるが、このあたりには特に多く、鎌倉権五郎景政という平安時代の武将を祭神としてお祀りしているのが特徴だ。
神社の由緒を伺うと、鎌倉権五郎景政を祀った元々の神社から十三社に分け、各地に祀った、そのひとつが田谷御霊社だという古文書があるそうだ。
なごやかに直会をたのしむ人々
大正十二年生まれの狛犬 |
帰路は一面の稲穂の間を通ってみる。
遠近法のお手本のよう
一歩進むごとに足元からバッタがぴょんぴょんはねる。背後から祭囃子、遠い木立からは蝉の声がする。
目の前には金色に変わりつつある田んぼ、青空には入道雲。
心に沁みるような夏の終わりのワンシーンだ。
旅を終えて
寅さんの思い出にはじまり一面の稲穂でおわる、郷愁を誘うような旅だった。
「鎌倉じゃないほう」なんて言ってしまったが、けっこう盛りだくさんだったなあと、なんだか夏休みをもらって旅をしたような気持ちになりながら、駅への道を辿りつつ考えていた。
■今回のはま旅「大船駅」周辺
・「中華でぶそば」 横浜市栄区笠間2-6-7
・「ポンドール洋菓子店」 横浜市栄区笠間3-6-8
・「(有)八百宗」 横浜市栄区笠間1-4-30
・「青木神社」 横浜市栄区笠間5-4-1
・「御霊社」 横浜市栄区田谷町1506
―終わり―
りりこ2さん
2016年09月30日 22時50分
現在ヤマダ電機になっているところは昔はニチイとかいう名前のスーパーで店頭に設置してあった公衆電話に「ここは横浜市です。鎌倉市に電話するときは市外局番0467をダイヤルしてください。」と注意書きがあったのを思い出しました。
wasabi777さん
2015年09月09日 17時44分
実家が長尾台町で、小さいころ天空の農園付近でよく遊びました。天空の農園の家の子とは同級生で、そこの家の祖父に聞いた話では、開墾時に人骨が出た、とのこと。他の方も書いていますが、ここは鎌倉時代に山城(長尾城:長尾景虎・・・のちの上杉謙信が城主でした)があったところ、子供心にちょっと怖くなり、しばらく遊びに行かなくなったこともありました。今でも自然が残っていて、帰省した時に子供と探しに行ったら今でもカブトムシやクワガタがいました。
sunrisemoonさん
2014年05月02日 20時00分
栄区側の出身です。鎌倉の方々からは「鎌倉じゃない」。横浜の連中からは「横浜じゃない」と言われてしまう、どっちつかずの地域なんですよね。そういえば本郷台の周辺は旧帝国海軍の第1海軍燃料廠があった所だとか、その頃の記録や写真があったら、はまれぽさんでやってほしいです。