神奈川区・神大寺の「塩の道」はどこへ続いていたのか?
ココがキニナル!
50代半ばの人が小学生の頃「ど田舎」だったという神大寺の当時の様子や、江戸時代「塩の道」と呼ばれた「塩舐め地蔵」前を通る道のルートが知りたい。地名の由来のお寺はどこ?(ねこぼくさん/おおまるさん)
はまれぽ調査結果!
高度経済成長期まで神大寺は純農村地帯だった。町名の由来となる寺は戦国時代に建立されたが、やがて小机へ移る。また、「塩の道」を探ると八王子~金沢八景、さらに鎌倉へ続くルートが見えてきた。
ライター:結城靖博
もうひとつの塩嘗地蔵にご対面
ところで、実は神奈川県下にはもうひとつ塩嘗地蔵がある。それは鎌倉市十二所(じゅうにそ)の光触寺(こうそくじ)境内に安置されている。
光触寺は県道204号線の脇道を入ってすぐのところ
今も朝比奈峠を越えて金沢八景と鎌倉を結ぶこの県道204号線、通称金沢街道は、古くは「六浦道(むつらみち)」と呼ばれていた。
鎌倉時代には「いざ鎌倉!」に備えて東国武士と幕府をつなぐ軍用道路「鎌倉道」のひとつだった。と同時に、中国を中心とする国際的な物流拠点でもあった平潟湾内の六浦湊(むつらみなと)から鎌倉へと、物資を運ぶ産業道路でもあった。当然ながらそこには金沢塩田の塩も含まれていただろう。
つまりここ金沢街道も、かつて「塩の道」だったのだ。
十二所バス停付近の金沢街道。右手の脇道を入るとすぐ光触寺がある
光触寺の山門。大きくはないが歴史の重みを感じる風情だ
本堂。境内には人影もなく静寂をきわめる
その右隣に塩嘗地蔵の祠(ほこら)がひっそりと佇んでいた
お地蔵様のお顔は、やはりほとんどのっぺらぼうだった
お顔の事情は神大寺の地蔵尊と同じにちがいない。
光触寺の公式ホームページによると、昔地蔵堂は金沢街道に面してあり、朝比奈峠を越えて鎌倉へ向かう六浦の塩売りが、通りがかるたびに塩を供えていたという。だが、いつも帰りには塩がない。それで「お地蔵様が嘗めたのだろう」という伝説が生まれたそうだ。
境内の解説板にも塩嘗地蔵の縁起が丁寧に紹介されている
こうして神大寺の謎解きから金沢八景に至り、ついには八王子から鎌倉までがつながってしまった。ざっくり地図で示せば、次のようになる。
(© OpenStreetMap contributors)
Aは今で言うところの八王子街道(国道16号線)あるいは横浜上麻生道路(県道12号線)、Bは横須賀街道(国道16号線)、Cは金沢街道(県道204号線)だ。
この経路を筆者は勝手に「塩の道ABCライン」と名付けてみたい。
だがこの塩の道、八王子で甲州街道とつながりさらに西へ、甲斐の国へとつながっていたと考え始めると、もはや妄想はどこまでも尽きることがない・・・。
これこそ、古道を探る楽しさというものだろうか。
取材を終えて
神大寺塩嘗地蔵に絡む「八王子街道」は、現在の横浜上麻生道路に近い道のことだ。いっぽうこの道よりもずっと南側に、現在通称される八王子街道(国道16号線)が横浜上麻生道路と並走するように通っている。
一般的には、開港以降八王子から横浜へ絹・生糸が運ばれた主要道路となり「絹街道(きぬかいどう)」と呼ばれたのは、国道16号線の八王子街道のほうだ。
本稿の最後では簡略化するために、現在の八王子街道(国道16号線)と横浜上麻生道路をひとくくりにしてAラインとしたが、地図で見れば実際には2つの道はかなり隔たっている。
混乱を避けるために、あらためてここでそのことを記しておく。
ところで国道16号線沿いには、各所に「はちおうじみち」を指す古い道標が今も残っている。下の写真はその一例。保土ケ谷区和田1丁目の杉山神社境内にある道標だ。
読みづらいが側面に「これより右八おう志みち」と刻まれている
この古びた石碑を見ると、国道16号線の八王子街道も、近世から多く人々が往来していたことが想起される。
それにしても、今回は小学校の記念冊子や社会科教材にずいぶんお世話になった。
門外漢が地域の歴史を探りつつ妄想に耽(ふけ)るには、ちょうどいい資料だとつくづく思う。子ども向けに噛んで砕いたようにわかりやすいし、それでいて嘘は書いていないだろうという安心感もある。
読者諸氏も大いにお役立てのほどを・・・。
―終わり―
取材協力
横浜市中央図書館
住所/横浜市西区老松町1
電話/045-262-0050
開館時間/火~金9:30~20:30、その他9:30~17:00
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kyodo-manabi/library/tshokan/central/
時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」
埼玉大学教育学部 谷謙二・人文地理学研究室
http://ktgis.net/kjmapw/
参考資料
・『横浜の町名』横浜市市民局総務部住居表示課発行(1996年12月刊)
・『新編武蔵風土記稿 第4期・第3巻』 雄山閣出版発行(1996年6月刊)
・『神奈川区の今と昔』横浜市神奈川区役所発行(1974年3月刊)
・『わたしたちの横浜・よこはまの歴史 神奈川区版』横浜市教育委員会発行(2006年4月刊)
・『五周年記念誌』横浜市立南神大寺小学校発行(1978年12月刊)
・『創立十周年記念誌「神大寺三十話」』横浜市立南神大寺小学校発行(1983年10月刊)
・『創立百周年記念社会科資料集 かみはし』横浜市立神橋小学校発行(1986年7月刊)
・『わが町かながわ50選』横浜市神奈川区区政推進課発行(2006年3月刊)
・『ベジMAP GO GO! 神奈川区の直売所探訪』神奈川区役所発行(2019年3月刊)
・『金沢ところどころ』金沢区政五十周年記念事業実行委員会発行(1998年5月刊)
・『横浜の古道(資料編)』横浜市教育委員会発行(1989年3月刊)
・時宗 岩蔵山 光触寺ホームページ https://kousokuji.com/
白髪ハウルさん
2020年03月23日 23時03分
何時代かによるよね。鎌倉方面への六浦道や白山道はかなり古く鎌倉時代に近いだろうし、この時代だったら古東海道か鎌倉道で北上するか、海路を使うから海岸線なんか通らないと思うし。逆に絹の道なんて言ったら相当近代。当然、明治には現国道16号線の原型(ただし保土ヶ谷辺りで内陸に入る)があるだろうから記事のルートもあるかもね。よく調べているようで、さまざまな時代の道を無理くり繋げてる
たけむらさん
2020年03月21日 20時58分
金沢への道(B)は、16号より内陸の、現在の笹下釜利谷道路に沿った「金沢道」じゃないかな。過去記事(旧海岸線を探し歩く旅)によると、屛風浦の辺りは断崖絶壁だったようです。
たみえちゃんさん
2020年03月21日 15時53分
絹の道の話は義父から聞いていましたが、ピンときていませんでした。今回記事を読んで納得。もっと義父から話を聞いておけばよかった。