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戦時中、鎌倉市にあった極秘施設「大船収容所」ってどんなところ?

戦時中、鎌倉市にあった極秘施設「大船収容所」ってどんなところ?

ココがキニナル!

国際法上機密にしていたことで、日本史的にもほとんど知られていない大船収容所について知りたいです。米兵の捕虜収容所として栄区に隣接する鎌倉市玉縄にあったそうです(栄区かまくらさん)

はまれぽ調査結果!

戦時中海軍が捕虜からの情報を聞き出すために作った尋問所。正規の捕虜収容所ではない国際法上の違法な存在であったため、戦後関係者が重く処罰された

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ライター:小方 サダオ

大船収容所に収容されていた捕虜たち(つづき)


 
中には心温まる話もある。
「撃墜王ボイントン(※アメリカ海兵隊のエースパイロット、グレゴリー・ボイントン)は来て9ヶ月目に炊事係の仕事にありついたが、中年女性と仲良くなる。他の日本人がいないときに食べ物を分けてくれ、そのおかげで体力を回復した。また玉縄小学校の運動会にザンペリーニが出場し一等を取ったという話もある。さらに捕虜を江ノ島や鎌倉に遠足に行かせたり、地元の諏訪神社の相撲大会に捕虜が見学に来たこともあった」。
 


昭和17・8年ごろ地域の運動会に招待された捕虜が一等を取ったという
 

1936年のオリンピック最終予選でゴールを決めたルイスとラッシュ(『不屈の男 アンブロークン』 KADOKAWA)

 
 
 

多数の戦犯を出した大船収容所
 


大船収容所は戦後、関係者30名が戦犯裁判で有罪の判決を受けている。
「裁判では30人もの関係者が戦犯として刑に処された。海軍省から1人、海軍司令部から3人、横須賀警備隊から7人、大船収容所から19人。うち3名が絞首刑判決を受けたが、減刑され、最終的に終身刑2人、懲役20~40年が7人、その他は懲役20年以下となった」
 


戦犯裁判で裁かれた関係者のリスト

 
「絞首刑判決を受けたのは横須賀警備隊のA軍医大佐、大船収容所I所長とK衛生曹長。A軍医大佐は捕虜に対する虐待の取り締まり、医療手当を怠り6名を死亡させた責任。もう一人の終身刑は横須賀警備隊のY少佐など、重罪になった人は何らかの形で捕虜の死に寄与した責任。捕虜の死が重要視されていたことがわかる」。
 


1947年の航空写真。戦後跡地は電線工場の従業員宿舎や幼稚園の園舎として使われた

 
大船収容所での死亡者数は6人と、ほか国内の収容所と比較すると多くはない。また、一つの収容所から30名もの戦犯が出るのは異例のケースだ。
これには、大船収容所が正規の収容所ではなかったことが関係している。
 
「一つの収容所から多くの重罪人が戦犯として出た例は多くない。それはこの収容所の特異性であり、建前は一時的に陸軍に引き渡すまでの『仮の収容所』間であったが、実質的に尋問所であり、捕虜を正規の捕虜として認めず長く拘留し、不当な扱いを強い、結果6人を死亡させたことである」。
 


収容所に運ばれた重症者などが放置されたことで死亡したことなども問題となった

 
「収容所には専任の医師がおらず、末期には撃墜されたB29の搭乗員が続々と運ばれ、重傷者もいたが、放置された。その結果6名死亡となり、戦犯裁判で厳しく追及された。医師の派遣に関しては、その立場にあった横須賀警備隊医師部や収容所長や衛生兵との間で責任のなすりつけ合いが起こった」とも記載されていた。
 


捕虜たちの墓地ははじめ裏山(青矢印)にあったが、死体は戦後回収された
 

裏山には4~5基の十字架が並んでいたという

 
静かな山間の町にあった秘密の尋問所は、当時はこの町に異様な存在感を放っていたことだろう。
 
最後に前出のルイス・ザンペリーニの伝記『不屈の男 アンブロークン』に目を通すと、捕虜であった時の経験が彼の人生において癒しがたい精神的な重荷になったことが分かる。
 
「ワタナベ・ムツヒロ伍長に執拗に虐待された。名門の出にもかかわらず将校になれず、不名誉な捕虜収容所に配属され、その恥辱から捕虜を虐待することにつながった」という。
 


捕虜たちから“バード”とあだ名されたワタナベ・ムツヒロ(『不屈の男 アンブロークン』KADOKAWA)
 

巣鴨プリズンのルイス(右) (『不屈の男 アンブロークン』KADOKAWA)

 
しかしルイスは破たん寸前の状態になったものの、戦後クリスチャンの立場から自愛の心で彼を許す気持ちになり、巣鴨プリズンを訪れた際にほかの戦犯たちとともにワタナベに会おうとしたものの叶わなかったとのこと。
 
虐待などさまざまな理不尽な体験をしたことは、ルイスに深い心の傷を負わせたが、篤い信仰心を持った人生を歩ませることにつながったようだ。
 
 
 

取材を終えて


 
捕虜たちは見知らぬ山間の土地で、正式な捕虜になることも出来ずに、孤独な戦いをしていたことだろう。ただ港町とは程遠い鎌倉の山に囲まれた街に、戦時中外国人捕虜と近隣住民とのささやかな国際交流が行われていたことが印象的であった。
 


犠牲者の名前が入っていたころの卒塔婆の写真

 
 
-終わり-
 
 
参考文献
「連合軍捕虜の墓碑銘」(草の根出版会・平成16年)
「不屈の男 アンブロークン」(KADOKAWA・平成28年)

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  • ルイス・ザンペリーニさんの「不屈の男 アンブロークン」は、2014年にアメリカであの女優のアンジェリーナ・ジョリー監督で映画化されていますね。YouTubeで予告も見られますよ。ただ、ワタナベ伍長が虐待したのは大森収容所でのこととなっているようですが…。撃墜王グレゴリー・ボイントンさんは、現在も販売されている文庫本「海兵隊コルセア空戦記―零戦と戦った戦闘機隊エースの回想」で大船収容所での日々についてについて触れているそうですよ。

  • ワタナベ ムツヒロ伍長が巣鴨プリズンからその後どうなったのかが知りたかった

  • キニナル投稿者です。本にでも出来そうなくらいの取材、ありがとうございました!自宅から遠くない位置にこんな施設があったことは驚きです。現在の龍宝寺は後北条・玉縄城ゆかりの「鎌倉の観光地」ですが、トンネルのせいか秘境的な味わいがあります。ゆえにこのような施設が作られたのかも。現在の幼稚園のあたりが収容所跡、とする説もあったので、逆側の一帯がそうだ、というのも初めて知りました。今まで平気であの駐車場に止めて玉縄城散策してました・・・。止めていた場所が捕虜たちの墓地だったとは・・・合掌です。龍宝寺にはいくつか横穴が残っていて、旧石井家の裏の穴は今も入れるので、ぜひはまれぽ読者には訪問をお勧めします。

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