西区の藤棚町に藤棚はあるのか?
ココがキニナル!
西区に藤棚には、見る限り藤棚がありませんが昔はあったのですか?(ハマのチェリーボーイさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
地名の由来になった藤棚は戦禍を被って焼失してしまった。しかし、藤棚交差点には今でも復元された藤棚がある!
ライター:田中 大輔
今回のキニナルの舞台は西区藤棚町。
確かにこの字面を見る限り、藤棚があるか、過去にあったか以外には考えられない気がする。
念のために説明しておくと、藤棚は植物のフジを鑑賞するために組まれた背の高い棚。
マメ科のつる植物であるフジを棚にはわせると、5月ごろに薄紫色の房状の花を棚からぶらさげて、目を楽しませてくれる。
商店街の並ぶ町
さて、その藤棚と町の名前とどんな関係があるのだろうか。
藤棚町は、西区役所から相鉄線の西横浜駅に向けて歩く途中にある町。区役所から行くと、まず藤棚一番街、そしてその奥に藤棚商店街と、商店街が続いている。
まず見えてくるのは藤棚一番街の入口
こちらは藤棚商店街の街並み
この2つの商店街を区切っているのが、藤棚町の交差点。
水道道を含むと6つの道路が交わる交差点だ。
2つの商店街の真ん中にある交差点
以前、「西区藤棚町にある「第七有隣堂」、有隣堂からのれん分けされた経緯とは?」で紹介した第七有隣堂の建つ交差点でもある。
あれ!? 見つけちゃった!!
その交差点で信号待ちをしていると、あるモノが目に飛び込んできた。
横断歩道のコッチと向こう側の2か所に藤棚発見!
なんと。まさか藤棚があった!
キニナルを投稿してくださった方は気付かなかったようだが、藤棚町の名前のままに藤棚が設置されていたのだ。
今は花の時期が終わってしまった後だが、パイプで組まれた棚に青々とした葉っぱが茂っている。
棚の下は日陰。奥には第七有隣堂も見える
近くに立てられた看板によると、明治の初めごろから酒饅頭店がこの場所にあり、その店先に立派な藤棚があったそうで、地元の人はこの辺りを正式に地名になる前から藤棚と呼んでいたんだとか。
その後、ここを通る横浜市電の停留所の名前として採用されるまでになり、1928(昭和3)年からは行政上の地名にもなった。
しかし、悲しいことにその藤棚が戦争で焼失してしまった。それを憂い、かつての藤棚を偲んで1977(昭和52)年に地元の有志によって、現在の藤棚が復元されたということだ。
取材を終えて
実際には藤棚が今でも残されていたので、地名の由来などはすぐに分かった今回の取材。
この町の人たちは春を迎え、藤の花が棚を賑わすたびに自分の住む町の由来を思い出すことができる。それってなんだかとても素敵なこと。いつまでも藤棚を大切にしてほしいと願わずにはいられない。
来年の春にはどれくらいの花を咲かせるのだろうか
―終わり―
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