アンデスメロンを開発したサカタのタネってどんな会社?
ココがキニナル!
アンデスメロンを開発したサカタのタネは、ほかにも多くの野菜や果物の品種を開発しているそうですが、どんなものがあるのかレポートしてください。(hiwochanさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
2013年に創業100周年を迎えるサカタのタネ。創業者・坂田武雄の情熱を受け継ぎ、さまざまな花や野菜の品種の研究開発に取り組んでいる。
ライター:ほしば あずみ
世界で活躍するタネ屋さん
横浜市営地下鉄仲町台駅のそばに本社を置く株式会社サカタのタネ(資本金135億円、売上高約470億円、従業員数1850人、東証1部上場)。
サカタのタネは、今年2013年で創業100年になるという種苗会社で、おもに野菜や花のタネや苗を扱っている。種子の売上は日本一、世界でも野菜種子5位、花種子2位だという(2012年5月末)。
仲町台駅そばのサカタのタネ本社
本社周辺はオープンスペースになっていて誰でも通る事ができる
植えられている花はサカタのタネが開発した品種がほとんど
投稿にある「アンデスメロン」をはじめ、どんな品種が開発されてきたのか、100年の歴史とともに聞かせてくださったのは淡野一郎広報宣伝課長。
産経新聞や相鉄のフリーペーパー等で種苗に関するコラムの連載もしている淡野課長
まずはアンデスメロンの開発のいきさつについて。
「アンデスの前に、まず1962(昭和37)年に発売を開始したプリンスメロンの開発がありました。
メロンが高価なのは、ガラス温室で栽培する必要があり、支柱を立てて蔓(つる)をからませ1つの蔓に1つの果実しかつけない、手間とコストのかかる青果だからです。
これをビニールハウスや、ビニールトンネルを使い支柱を立てずに土の上を這わせる栽培でも収穫できるようにし、さらに1つの蔓に2玉つけるようにしたのがプリンスです。これによりコストが下がり、メロンがより身近な果実になりました」
大衆向けメロンの草分け的存在のプリンス
(画像提供 サカタのタネ:以下同)
この開発は、創業者の坂田武雄氏がフランスに出張した際に食べたメロンがきっかけだという。その美味しさに感動し、食べながらひそかに紙で包んだタネを手紙と共に日本へ送り、日本にもともとあるマクワウリと掛け合わせて生まれたのがプリンスだった。
「時々“皇太子の御成婚にちなんで名付けられた”と解説される事がありますが、本当は横浜の青果商の若旦那たちのグループ『プリンス会』に試食してもらい太鼓判を押してもらった事に由来しているんです」と淡野課長。
創業者・坂田武雄氏(右)。非常に研究熱心な方だったようだ
高級フルーツだったメロンを身近な存在にしたプリンス。だが、収穫時期の見極めが難しく、熟れ頃を外すと美味しくないという欠点もあった。また相変わらず表面がネット状になった「ネットメロン」は高級フルーツのまま。
栽培も収穫時期の見極めも容易なネットメロンが開発されたのは、プリンス発売から15年後。それがアンデスだ。
「“作って安心、売って安心、食べて安心”の『安心です』。メロンは芯をとって食べる果物なので、アンシンのシンをとって『アンデス』、これが名前の由来です」
高級フルーツだったネットメロンを身近な存在にしたアンデス。南米の山脈とは無関係
2011年には、庭やベランダでも手軽に作ることができる画期的なメロン「ころたん」も誕生。サカタのタネのメロンへのあくなきこだわりは今なお続いている。
てのひらサイズの「ころたん」
「ころたん」なら緑のカーテンでメロンを収穫できる!
サカタのタネ100年の歴史とは?
創業者・坂田武雄氏は、明治政府の農商務省(現在の農林水産省)が募集する海外実業練習生の農業部門に合格して国費でアメリカへ留学、さらに自費でヨーロッパへも留学した。帰国後の1913(大正2)年、六角橋に「坂田農園」を設立。
社名はその後、朝日農園、坂田商会、坂田種苗と変わり、1986(昭和61)年、サカタのタネとなる。(※「サカタのタネ」の商標登録は1938(昭和13)年)
本社の場所も横浜公園前、西平沼町、反町、井土ヶ谷と変遷し、現在の都筑区仲町台へ移ったのは1995(平成7)年の事だ。
1920年頃の本社。米国販売代理店のハーブスト氏(左)と坂田武雄氏
1928(昭和3)年、平沼本社の様子