廃線となった川崎市営バスの激レア路線「川55系統」とは?
ココがキニナル!
川崎市営バスの系統名:[川55]川崎駅行のバスは1週間に1本(休日のみ)しか運行されていないようです。いったい何のためにあって、どんな人が利用しているのでしょう?(河童丸さん)
はまれぽ調査結果!
川崎市バス「川55系統」は1980年から江川町―川崎駅東口を走っていたが、西口の発展などの理由で2015年に廃線となった。
ライター:福原 麻実
はまれぽでは過去にさまざま不思議な路線の調査をしている。
今回のキニナル投稿内にもある新横浜から新羽東急バスが運行する「新横81系統」は回送便を営業化した路線「出入庫路線」というものだ。
ほとんど乗車客がいない
あれ? そういえば、確か筆者もそんなバスに乗ったことが・・・
神奈中のバス路線。登戸駅から町田駅間
同じ理由ならば、この「川55系統」も免許維持路線なのだろうか。「免許維持路線」は、そのルートを運行する免許を維持しておくために、運行を継続している路線のことだ。
交通網に恵まれている(と思う)川崎市で、あえて路線を維持している理由はあるのだろうか? それとも、出入庫路線なのだろうか? 早速調査開始!
週に1度しか走らない「川55系統」バスとは?
調査を開始したが、ネットで探してもそもそも時刻表が見つからない・・・。
理由が分からず、川崎市交通局に問い合わせたところ「2015年夏に運行を終了しました」とのことだった。まさかの廃線。
見つからないわけだ・・・
情報を求めて、川崎市交通局に取材に向かった。
川崎市交通局へ
お話を聞かせてくださったのは、川崎市交通局の高木誠一(たかぎ・せいいち)さん。
ご自身も「川55系統」ラストランに乗車されたという
「川55系統」は、尻手黒川(しってくろかわ)道路沿いにある「江川町(えがわちょう)」を休日の朝9時47分に発車し「川崎駅東口」に向かう、片道のみのバス路線だったという。
川55系統が走っていたルート(緑ライン)
総距離は7kmほど。自転車で移動するにも少し長いし、バスがあった方が助かる距離だ。
そんな「あった方が助かる」バス路線が生まれたのは1980(昭和55)年。資料なども残っておらず、なぜこの路線が生まれたのか、初めから週1本だったのかなど詳細な情報が分からないそうだ。
何を目的として走り始めた路線だったのだろう?(写真はフリー画像)
そして、35年間存在した「川55系統」廃線の理由は、川崎駅周辺が変化したからだという。
「川55系統」運行開始のころにはあまり発展していなかった川崎駅西口。しかし、2004(平成16)年にはミューザ川崎が、2006(平成18)年にはラゾーナ川崎プラザが誕生するなど、周辺も徐々に発展していった。それにともない西口側に発着する路線も増やされ、やがて西口バスターミナルは現在の姿となったのだ。
平日のお昼でも利用者の多い西口
それでも週1便の「川55系統」が長らく残っていたのは、東口側にあった「さいか屋に行きやすい」などの理由で利用者がいたためだったようだ。
しかしながら、東口行きのバスは、駅の周りを半周してから東口に着くので、電車に乗る人にとっては数分のロスがあったという。
また、「川55系統」の運行開始と同時期に走り始めた「川83系統」(ルートもほぼ一緒)が、利便性の高い川崎駅西口に発着することもあり「川55系統」はその役割を終えたのだ。
東口行きだった「川55系統」の利用者数を高木さんに尋ねたところ、「だいたい20人程度でした。『川83系統』も同じくらいです」と教えてくださった。
さいか屋も、今はないし・・・
その東口行きの「川55系統」を利用していた人は、廃線を惜しんでいるのではないか? 何か「不便になった」などの声は寄せられていないのかと思ったが「特にそういったご意見は届いていません」という。まあ、廃線前も週1便だったしな・・・。