横須賀市が大河ドラマの誘致を目指して署名活動を展開中! 主人公や誘致の理由は?
ココがキニナル!
横須賀市が三浦按針と徳川家康を主人公にした大河ドラマの実現を目指し、署名活動を展開中。横須賀との縁は?(はまれぽ編集部のキニナル)
はまれぽ調査結果!
三浦按針が横須賀市逸見に居住していた縁があり、彼の業績を広く後世へ伝えるべく大河ドラマ化を目指し、署名集めを続けている
ライター:はまれぽ編集部
青い目のサムライ
海軍の街、ペリー来航の地。異国情緒あふれる横須賀が、大河ドラマの誘致を目指しているという情報を耳にした。聞くところによると、三浦按針(みうら・あんじん)と徳川家康を主人公に大河ドラマ化の実現を目指しているという。
三浦按針とはいかなる人物か。
三浦按針は、1600(慶長5)年に豊後(現在の大分県)の臼杵(うすき)に漂着したリーフデ号の航海士。初めて日本にやってきたイギリス人で、英語名はウィリアム・アダムスという。
船が偶然臼杵に漂着したのが、日本との縁のはじまり(フリー画像より)
アダムスに興味を持った徳川家康は彼を江戸に招き、通訳や外交顧問として重用。アダムスも航海術や幾何学・工学などの西洋文化や国際事情を家康と側近に伝え、徳川幕府の天下統一に貢献した。
そして三浦按針という日本名をもらい武士の身分となったアダムスは、終生日本で過ごした。このあたりは歴史の教科書にも載っているエピソードだ。
そんな「青い目のサムライ」三浦按針と徳川家康を大河ドラマで取り上げたいと願う横須賀市。その理由などを伺った。
逸見に住んでいた按針
お話を伺ったのは、横須賀市渉外部国際交流課の高澤由記(たかざわ・ゆき)さん。
高澤さんは横須賀市と三浦按針のかかわりについて、「按針が現在の横須賀市逸見(へみ)に領地をもらったことに始まります。『三浦』という苗字も、かつての三浦郡にちなんだものです。外国人が武士として日本の土地を治めたことも日本史上、ほかに例がないといわれています」という。
逸見の地が選ばれたのは、当時貿易港として栄えていた浦賀に近く、外国との交流が多いエリアだったことが理由ではないかと推測されている。また浦賀にも逸見とは別に按針の屋敷があったことが分かっているそうだ。
ペリー来航以前から、古くから港として栄えていた浦賀(横須賀写真ライブラリより引用)
この地で按針は日本人女性と結婚し、領民にも親しまれたという。
按針は1620(元和6)年に肥前(現在の長崎県)の平戸で亡くなったが、按針夫妻の供養塔が「按針塚」として今に伝わっている。按針塚周辺は塚山公園として整備されており、京急電鉄安針塚駅はこの「按針塚」を由来としている。
現在の按針塚の様子(横須賀写真ライブラリより引用)
横須賀の海を望める山上に位置し、春には桜の名所でもあるそうだ
ほかにも逸見エリアには按針の菩提寺である浄土寺や、按針の屋敷が近くにあったとされる鹿島神社があり、横須賀市は按針の町としてPRしている。
閑静な浄土寺(左)と鹿島神社の境内(浄土寺の写真は横須賀写真ライブラリより引用)
こうした歴史や縁を踏まえて、横須賀市は同様に三浦按針にゆかりのある3市(大分県臼杵市・静岡県伊東市・長崎県平戸市)と共同で2013(平成25)年4月に「ANJINプロジェクト連絡協議会」を結成。按針の業績をアピールするANJINサミットを年に1度開催しているそうだ。