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まぼろし商店街 ~片倉商和会~

まぼろし商店街 ~片倉商和会~

ココがキニナル!

「昔は確かにここにあった!」という商店街を記憶や資料を頼りに再現すると、懐かしい情景がよみがえり、新たなキニナルも生まれる予感が(ねこぼくさん)――第2弾は「片倉商和会」を調査!

はまれぽ調査結果!

地下鉄片倉町駅ができてから発展した片倉。町の中心を南北に貫く新横浜通り沿いには、以前はアーケード街もあり、そこで催された「夜店祭り」のにぎわいは、今も住民の記憶に深く刻まれていた。

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ライター:結城靖博


「くろねこ」さんから次のような情報提供をいただいた。

「昭和の頃、神奈川区片倉町に『大丸ストア』という、小規模な商店街がありました。小規模なビルの中に、5~6件の店が入っていました。現在は『まいばすけっと片倉町店』が入っています。そこから数百メートル先にある『星野精肉店』は、昔は大丸ストアに入っていた店です」

「新横浜通りを挟んで向かい側には『片倉商店街』がありました。アーケードを取り払ってしまったのでわかりにくいですが、現在でも『フジ文具店』、『佐藤テレビ音響社』、『鳥岡』などが、当時と同じ場所で営業しています。『片倉商店街』では夏にお祭りがあって、夜店(露店)が通りに沿って、ズラリと並んでいました」

この情報を受けて、今回は神奈川区片倉町のまぼろし商店街の探索へと向かった。

 

神奈川区片倉町エリア





まずは現在の片倉町・新横浜通り沿いをチェック!






「くろねこ」さんの情報提供によれば、新横浜通りを挟んで商店街があったという。そこで、南端の片倉町入口交差点から新横浜通りを北に向かって辿ってみることにした。


今回辿ったエリア(© OpenStreetMap contributors)



スタート地点の片倉町入口交差点から北へ向かってなだらかな下り坂が続く


車の往来の激しい新横浜通りには大きなマンションも目立つが、その間にビンテージカーの店やガソリンスタンド、auショップなどが道の左右に点在する。


こちらはビンテージカー販売店の「ヨシノ」


それらを横目に見やりながら北上すると、やがて右手に片倉消防署が姿を見せる。



消防署の角の道を右に入ると中丸小学校がある



さらに北へ進むとまもなく左手に広い敷地が


大きな駐車場を抱えるその場所には「TSUTAYA」「夢庵」「ファミリーマート」が入っていた。


また、その通りの向かいには「すき家」が


そしてTSUTAYAの敷地の目と鼻の先に、「くろねこ」さんからの情報にあった「まいばすけっと」が見えてきた。


遠くからでも目立つ「AEON」の看板



建物はいかにも「まいばすけっと」らしく、比較的こじんまりしている



通りの向こうから正面に建物をとらえてみる


ここが、かつて「大丸ストア」だったのか・・・。

それにしても、ここまでの新横浜通りは、大手チェーン店が目立つどこにでもある幹線道路の風景に思える。

だが、「まいばすけっと」の先、すぐそばにこんな味のある商店を発見!



看板には「佐藤青果」と書かれている

 


その右隣りに「片倉公園」という可愛らしい公園があった


そして通りを挟んだ公園の向かいに、「くろねこ」さんが情報提供してくれた「フジ文具店」を見つけた。


しかしシャッターが下ろされたままだ



その左、2軒隣りに電気店「佐藤テレビ音響社」があった



さらにその数軒左に鶏肉専門店「鳥岡」を確認



北側から望んだ3軒の並びの様子


ほかに「くろねこ」さんから情報提供があった星野精肉店は、もう少し新横浜通りを北上した左側の通り沿いにあった。


この店がかつて大丸ストアに入っていたのだろうか



星野精肉店の斜め向かいには大きな生協(ユーコープ片倉店)の建物が


ここには生協のほかに、西松屋、HACなども入り、さらに1階には郵便局もある。

生協の先には、ファミレス、スポーツクラブ、コンビニ、ガソリンスタンド、カーディーラーなどが点在する。


新横浜通り沿いのテニスコート



やがて地下鉄「片倉町」駅のある片倉町駅入口交差点に到着



この片倉町駅入口交差点を右折すると、道は神大寺・六角橋へと通じる



新横浜通りは、この先「三枚橋」陸橋を越えて環状2号線と交わり新横浜駅へ至る


ここまで探索した主だった店を地図にまとめると、次のようになる。


© OpenStreetMap contributors)


かつての片倉商店街界隈と思しき区間を、地図上にピンクのラインで示してみた。

ひと通り現地をチェックしたところで、続いて片倉町の歴史に詳しい地元の方に取材を試みることにした。




片倉町自治会長に片倉町の今昔を伺う






向かった先は片倉駅入口交差点の一つ先、下耕地(しもこうち)交差点のそばにある中野建築事務所。

お会いした中野松男(なかの・まつお)さんはここで長らく建築設計に勤しんでいたが、すでに仕事は引退したという。現在は、片倉町自治会の5代目会長を務めているが、それももう10年ほどになる。


大きな地図を前にして語る中野さん


中野さんは仕事柄扱いなれた片倉町の市街明細図をテーブルいっぱいに広げて、片倉町の今と昔を詳しく話してくれた。

今年78歳になる中野さんは、30歳頃ここに事務所を構え、約半世紀、片倉の町の変遷を見てきた。

「もともと片倉町は農地が広がるばかりの田舎でした。昔は、神大寺(かんだいじ)の先の六角橋(ろっかくばし)が都会に感じられたものですよ。それが大きく変わったのは、地下鉄の駅ができてからです」



交通量の多い新横浜通りに面した現在の片倉町駅前(北側から望む)


横浜市営地下鉄ブルーラインの片倉町駅ができたのは1985(昭和60)年。今から35年前のことだ。

それまでの片倉町は、こんな様子だった。



1959(昭和34)年の片倉地区(『Avanti かたくら』より転載)


上の写真は、地下鉄開通を記念して当時の片倉地区自治連絡協議会が発行した冊子『Avanti かたくら』に掲載されていたもので、中野さんからお借りした貴重な資料のひとつだ。

「六角橋が都会に感じられた」という言葉は、さらに時代をさかのぼった次の時系列対照地図からも納得できる。


左は1932(昭和7)年、右が現在の地図(『今昔マップon the web』より)


現地調査で片倉町の商店街と推定した場所をそれぞれ赤い丸で囲っている。そして、青い丸で囲ったところが六角橋町。

昭和初期といえば、「まぼろし商店街」シリーズ第1弾で紹介したとおり六角橋の商店街が飛躍的に発展した時代だ。

昭和7年の地図をよく見ると、すでに六角橋には市街地が見えるが、片倉町にはひたすら農地が広がっている。


かつて農地だった付近は現在では閑静な住宅地に


上の写真は新横浜通りの西側エリア。この路地の突き当たりが新横浜通りだ。

住宅地の南端には、今は緑豊かな「片倉うさぎ山公園」がある。


いたのは、うさぎではなく猫だったが


「地下鉄の駅ができるまで、この辺りの最寄り駅はどこだったのですか?」と中野さんに尋ねると、「ない」と答えられた。

電車に乗りたければ、JRの東神奈川か東横線の白楽または東白楽に行くしかなかったという。いずれもバスが必要な距離だ。片倉町駅の開業がいかに地域にとって大きなことだったかがわかる。

その後、農地は次々に宅地化し、人口がどんどん増えていった。

とはいえ、地下鉄開通以前から、すでに宅地開発の流れは起きていた。



新横浜通りの東側の高台に広がる「片倉台団地」


この総戸数600戸の大きな団地が建ったのは、東海道新幹線が開通し新横浜駅ができた1964(昭和39)年から5年後のことだ。

新幹線の駅がそう遠くない場所に誕生し、そこへ通じる新横浜通りが拡幅し幹線道路となり、大規模団地ができた。

さらにバブル期を迎える目前に地下鉄の駅が生まれ・・・。六角橋が昭和初期に市電開通や学校移設で自然に商店街が成長していったように、ここ片倉町も確実に戦後の経済成長とともに新興住宅地として発展していったのだ。


片倉町駅入口交差点からほど近い高台に「杉山神社」がある


この由緒ある鎮守の社(やしろ)では、かつては山車(だし)も出る華やかな祭りが行われていたという。

下の写真は、その祭りの懐かしい光景と思われる。手前に写る男性は中野さんの義父、奥様のお父さんだそうだ。おそらく50代後半ぐらいだと思うが、何十年前の写真かわからないと中野さんは言う。

いずれにしても、片倉町が新興の町として活気を帯びていた頃の空気が確かに感じられる1枚だ。



(『Avanti かたくら』より転載)


そんな片倉町から昔ながらの商店が減少してきていることについて、中野さんに尋ねた。中野さんは、「くろねこ」さんの書き込みにあった星野精肉店も鳥岡も、同世代のゴルフ仲間で親しいという。

「結局跡継ぎの問題が一番大きいのでしょう。星野さんも鳥岡さんも、それに佐藤テレビ音響社さんも、今残っているところは次の代が受け継いで、いろいろ工夫をしていますよ」と中野さんは言う。



鳥岡は持ち帰りの焼き鳥が人気。店先にはひっきりなしに車が止まっていた



星野精肉店は隣りで弟さんが洋食店の「ホシノ」を営んでいる


「でも、なくなっていく店の多くは後継者がいない。それに、周辺の住民も高齢化しているから。団地だってもう出来て50年ですよ」

戸建て住宅の地域も、確実に高齢化が進んでいるという。

「大きな坪数の家だったところが次々に2つ3つに区分けされて売られていきます。新しく入ってきた若い住人は車で大型店舗に行くし、食料品なら生協でまとめ買いできる。ショッピングは気軽に地下鉄で横浜駅へという人も少なくない」

なお、「くろねこ」さんから情報提供があった「大丸ストア」やアーケードについては、「自分よりも詳しい人がいるから」と、中野さんに「佐藤テレビ音響社」の店主を紹介された。



佐藤テレビ音響社からの聞き取りでよみがえるアーケード





すでに現地調査でチェックした通り、佐藤テレビ音響社は新横浜通りを挟んで「まいばすけっと」の斜め向かい。フジ文具店の左隣りだ。



あらためて「佐藤テレビ音響社」店頭




こちらが店主の佐藤誠(さとう・まこと)さん


お会いして早々、はまれぽステッカーをお渡しすると、「昔はまれぽに何度かキニナル投稿したことがあって、気がついたら初段になってました」と笑った。

そんな佐藤さんは同社の2代目社長だ。店の起りは誠さんの父・徳昭(とくあき)さんが始めた電気店。

1961(昭和36)年に西区御所山町(ごしょやまちょう)で同社を設立し、5年後に片倉町に支店を開く。のちに片倉町が本店となり誠さんが後を継いだ。亡き父・徳昭さんは、かつて片倉町大丸町会長を務めていたこともある。

けれども現在62歳になる片倉育ちの誠さんでも、大丸ストアについては何十年も前になくなっているので、詳しいことはわからないという。

ただ確かなことは、大丸ストアにあった精肉店が「星野精肉店」ではなかった、ということ。なぜなら、もともと星野精肉店は佐藤さんたちと同じ並びのアーケード街にあったからだ。それがだいぶ以前に現在の場所、通りの向かいに移ったのだという。

また、大丸ストアについては、同社を手伝う誠さんの妹・岡島和枝(おかじま・かずえ)さんからも貴重な証言をいただいた。



それは佐藤テレビ音響社のほぼ真向かいの店について


片倉公園の左隣りにあたるこの場所に、つい最近新しく立ち食い蕎麦屋ができた。だが、ここには以前「魚隆(うおたか)」という人気の鮮魚店があったという。その魚隆が、もとは大丸ストアに入っていたと言うのだ。

ほかにも和枝さんは、『平成10年版片倉地区連合自治会会員名簿』を引っ張り出してきて、アーケードがあった頃の周辺の様子をいろいろ教えてくれた。



名簿を開いて「ここからここまでアーケードがあった」と地図を指差す和枝さん


「でも、より詳しいことは兄に聞いてください」と、誠さんにバトンを渡す。

「この辺りの商店会の名前は『片倉商和会』でしたが、中でもアーケード街の商店の結びつきは強く、私らは『片倉商和会の中のアーケード会』と自分たちで呼んでいました」と、誠さんは言う。

誠さんに、星野精肉店が移転して以降の、アーケード街華やかかりし頃の店の並びを、筆者が中野さんから借りてきた市街明細図をもとに思い出してもらった。

その結果出来上がったのが、次の図だ。



ピンクがアーケード街。青が現存店舗。赤が閉まった店(『今昔マップon the web』をもとに作成)


ただ、上図の中で青色にしているフジ文具店は、和枝さんによれば1年ぐらい前に閉店の知らせがあったという。確かに、数度訪れた今回の片倉町の取材中、フジ文具店は常にシャッターが下りていた。

誠さんの記憶にある店舗12軒の中で、フジ文具店を除くとしたら、現存するのは4分の1の3店舗のみとなる。店舗が減少した理由は、やはり高齢化と後継者不足だと誠さんは言う。



アーケードがあった頃の貴重な写真(提供:佐藤誠氏)


アーケードが撤去されたのは5年前の2015(平成27)年5月のこと。

なぜ、アーケードは撤去されたのだろうか? 誠さんは無念そうな表情で語る。
「アーケードの維持・修繕費を子どもたちの代まで負担させたくないという意見が多かったんです。で、今行えば撤去費用に補助金が出るというタイミングで実施しました」



アーケード撤去直前の写真(提供:佐藤誠氏)




大丸ストアについて知る貴重な証人に取材





アーケード街についてはかなり具体的な姿が見えてきた。だが「くろねこ」さんの情報提供のもうひとつのキーワード、「大丸ストア」についてはなかなかはっきりとした像が浮かばない。

とはいえ、誠さんから貴重なご教示をいただいた。

「通りの向かいの『佐藤青果』のお母さんが、昔大丸ストアでお店をやっていましたよ」

そこで、佐藤青果さんへ突撃取材を試みる。

佐藤青果といえば、最初の現地調査の際、「まいばすけっと」のすぐ近くで発見したあの趣深い店だ。



昭和の香りたっぷりの年季の入った店構え


店内に声がけすると店を営むご夫婦が現れて、気さくに取材に応じてくれた。

ご主人のお名前は佐藤寛(さとう・ひろし)さん。お年は75歳。
佐藤誠さんが言っていた通り、寛さんのお母さんが大丸ストアでお店を開いていたという。店名は声に出せば「さとうせいか」。だが、文字にすれば「佐藤製菓」。青果店ではなくお菓子屋さんだった。



ご夫妻の素敵な笑顔のツーショット


大丸ストアはいつ頃まであったのか尋ねると、はっきりとは覚えていないが少なくとも30年以上前だという。まさに「くろねこ」さんが指摘する通り「昭和の頃」だ。

いつからあったのかも定かでないが、もとはプレハブだったものが、昭和40年代の半ばに今のビルになったと記憶しているとのこと。

今回、かつての大丸ストアの写真がどうしても入手できなかったが、せめて今の「まいばすけっと」を別の角度から眺めて、在りし日の大丸ストアを偲んでみよう。



少々無理な試みか・・・


いずれにしても、敷地は決して広いものではない。そこに佐藤製菓のほかにどんな店が入っていたのだろうか。

佐藤ご夫妻は一生懸命記憶を辿ってくれた。そして、店名があいまいだったり、店が入れ替わっていたりするので業種だけを挙げると、次の4種だった。――精肉店、鮮魚店、乾物店、酒店。これに、佐藤製菓を加えると5店舗。「くろねこ」さんの情報と一致する。

そのうちの鮮魚店が、「魚隆」だったのだろうか。

では、昭和の終わり頃なくなった大丸ストアは、その後「まいばすけっと」に至るまでどのような変遷を辿ったのだろう。

佐藤ご夫妻も大丸ストアの次に何が入ったかは記憶にないという。ただ、以前格安チェーンの酒店が入っていたことは確かだとか。

後日、「まいばすけっと」本社に尋ねてみると、「まいばすけっと片倉町店」がオープンしたのは2010(平成22)年だった。また、その前は「マインマート」が入っていたこともネットでわかった。しかし、それより以前はさかのぼれなかった。

やはり大丸ストアについては、ぼんやりとした点が多い。いつかこの昭和のストアについて貴重な資料が見つかればいいなと思いつつ佐藤青果を後にして、せっかくだから同じ通り沿いの星野精肉店へ向かった。



だが店内は混み合っていて店員さんが忙しく働いていた


そのため取材は遠慮して、隣りの弟さんがやっている「洋食ホシノ」を訪ねることにした。


店先のメニューに誘われたからという疑いもあるが・・・



店内は、これまた昭和のムード漂ういい感じの内装だ



チキンカツカレー(税込980円)をいただく


極ウマだった。特に隣りの精肉店の素材を生かしたカツは、さすがにプリプリで美味しかった。


食後、店主の星野重行(ほしの・しげゆき)さんに話を伺う


この店を始めてもう45年ぐらいになるという。この通り沿いの飲食店の中では、同じ並びのお蕎麦屋さんの次に古いそうだ。



最古参の飲食店だという「純手打蕎麦 増田屋」


お兄さんの「星野精肉店」は「洋食ホシノ」よりさらに前から、通りの向かいに店を構えていたそうだ。それがこちらに移ってきたのは、重行さんによれば20年ぐらい前とか。

「自分ももう70歳を過ぎたので、そろそろ引退しようかと。あと2年もやれば十分かな」
そんなことをおっしゃるので、「いえいえ、まだお元気じゃないですか。カレーも美味しかったし、もっともっと続けてくださいよ」と励ましの言葉を残して店を後にした。



今こそ「夜店祭り」の復活を!



「くろねこ」さんの情報には「夏にお祭りがあって、夜店(露店)が通りに沿って、ズラリと並んでいました」とあった。

佐藤テレビ音響社の岡島和枝さんも、「昔アーケードがあった頃は、毎年7月の最終水曜日の夜に、アーケードの下に露店がいっぱい並んで、それはもう大変なにぎわいだったんですよ。あの光景は忘れられません」と言っていた。

アーケードを失った商店街が徐々にシャッター街の様相を呈していく中、実はその「夜店祭り」の復活に尽力する人がいた。和枝さんの兄、佐藤誠さんだ。


ふたたび誠さんに話を伺う


「『夜店祭り』は、そもそも祭りのない新興住宅地の子どもたちのために始まったものです。年に1回、夕方の5時から9時までのたった一夜限り。
ただ露店が並ぶだけなのに、アーケードは毎年人であふれんばかりでした。50年ほど前からずっと続いていたのですが、毎回商店主が交通整理係を輪番で受け持ち、そのことが高齢化でつらくなったため約10年前になくなりました。
自分は最後まで存続を主張しましたが、10対1ぐらいの差で廃止が決まりましたね」

その「夜店祭り」のようなにぎわいを、今だからこそもう一度よみがえらせたいとの思いから誠さんは地域を奔走し、2018(平成30)年についに第1回「大丸ストリートフェスタ」を実現させた。

「かつての露店を呼ぶだけの祭りではなく、地域のお店も知ってもらいたい。町内会や神奈川大学の学生ボランティアも巻き込んで、地域全体が活性化するように心がけています」と誠さんは言う。


昨年のフェスタ・チラシ(資料提供:佐藤誠氏)


2回目の去年は、初回よりも参加店が増え、来訪者も約1000人にのぼり、恒例化の手応えを感じたそうだ。



会期中、子どもたちに大人気だった塗り絵(写真提供:佐藤誠氏)




神奈川大学のボランティア学生と誠さん(写真提供:佐藤誠氏)


学生たちは商店主たちに代わって交通整理も買って出てくれた。


露店の前のにぎわいはかつての「夜店祭り」をほうふつとさせる(写真提供:佐藤誠氏)


今年2020年も5月の実施を予定していたが、残念ながらコロナの影響で来年に延期となった。だがその分、次回はさらにパワーアップして大々的に開催したいと、誠さんの目は輝いていた。




取材を終えて





「片倉商和会」の商店会としての活動は、実質的になくなってしまったと誠さんは言っていた。だが、いっぽうでそう言う当の本人が、商店街の復活、町の活性化を決してあきらめていない。

すでにないアーケードの喪失を嘆いていても始まらないし、ますます進む高齢化も止めることはできない。

だが、中野さんが言っていた大きな家の分割は、考えてみればその分戸数が増えるということだし、新しい家に若い層が住めば町もそれだけ若返る。

近くには「片倉うさぎ山公園」という魅力的な公園もあり、週末には若いファミリーの姿も目立った。駅も近く「陸の孤島」というわけでもない。

誠さんのような情熱を持った人がいれば、視野を広げて地域全体に活気を呼び起こすことは十分可能な町だと思えてならなかった。



―終わり―


取材協力
時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」
埼玉大学教育学部 谷謙二・人文地理学研究室
http://ktgis.net/kjmapw/

片倉町自治会
http://jichikaichoukai.pw/archives/jichikai/kyk-katakuracho/

佐藤テレビ音響社
住所/横浜市神奈川区片倉1-13-4
電話/045-481-0562
営業時間/9:00~18:00
定休日/水曜日、日曜日
https://www.satotv.yokohama/

佐藤青果
住所/横浜市神奈川区片倉2-38
電話/045-482-0608
営業時間/11:00~19:00
定休日/日曜日、祭日
http://www.shinko-kumiai.or.jp/satoseika.html

洋食ホシノ
住所/横浜市神奈川区片倉2-24-3
電話/045-481-1794
営業時間/11:30~14:30、17:00~21:00
定休日/火曜日
※営業時間・定休日は変更となる場合あり。来店前に確認を。


参考資料
『片倉1~5丁目明細図2019』横浜地図社発行(2019年12月作成)

『地下鉄開通記念出版 Avanti たかくら』片倉地区自治連絡協議会編集・発行(1985年3月刊)


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  • 15年前まで片倉5丁目に住んでいました。農家さんがまだ数軒あって、広大な畑が残されていますし、公園や山があって、片倉町は住みやすい良い街だと思います。アーケードがあったことは覚えています。街は移り変わっていくものですね。記事を読んで懐かしく思いました。

  • 現在31歳、3歳から5歳くらいまで片倉町に住んでました、アーケードのお祭り記憶にあります、当時祭りに行った記憶あります。今でもたまにこの道を通ると昔の記憶が蘇って懐かしく思います、自分が住んでたところも一軒家になってしまい、知り合いの車屋さんも今あるのかな?未だに伊藤整形にはお世話になってます。

  • 中丸小学校出身の私の地元です。大丸の駄菓子屋でよく買い食いしてました。駄菓子屋は大丸の建物の入って左側にありました。鳥岡の焼き鳥は子供の頃から買っていて今でも実家に帰ると時折買います。記憶では皮が1本35円、鳥肉が40円だったのを覚えています。あと手羽先の唐揚げ、というかオーブン焼きかな?みたいな商品が30円くらいで売ってたのを塾の帰りに買っていました。ちなみにその塾は『太陽学院』というそれなりに有名だった塾です。佐藤電気さんの事ももちろん知っています。他界した親父が『佐藤テレビ』と呼んで親しくしていました。量販店ではあまり買わずに何でも佐藤電気さんで買っていた親父でした。なお薬局は松永薬局で金物屋の隣の駄菓子屋は『秋山』だったかな…。私は10円ゲームのできる神大寺のキタムラが当時のメイン駄菓子屋でしたのではっきりした記憶ではなく申し訳ございません。

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