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横浜の古道を歩く 金沢道その4 ―金沢区後編―

横浜の古道を歩く 金沢道その4 ―金沢区後編―

ココがキニナル!

市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

変化に富み旧道の魅力にあふれた古道シリーズ第2弾・金沢道も、ついにゴールの金沢八景へ。海辺の交易地から鎌倉へ向かう起点として古くから栄えた土地の街道筋には、数多くの寺社が並んでいた。

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ライター:結城靖博


保土ケ谷宿から始まり金沢八景に至る金沢道(かねさわみち)の全行程は、およそ16km。

その街道は、社会が安定した江戸中期以降の庶民にとって、杉田の梅林、能見堂(のうけんどう)の景勝、金沢八景の数々の名所、さらにはその先に鎌倉や江ノ島へと通じる、まさに「物見遊山(ものみゆさん)周遊ルート」だった。


© OpenStreetMap contributors)


とはいえ当時の道中は、必ずしも小唄混じりの気楽な行路ばかりではなかったようだ。前回の六国峠(ろっこくとうげ)の高低差のある山道から、そのことが想像できる。

汗をかき峠を越えてきた旅人は、能見堂の茶屋で、瀬戸の内海の眺望に見惚れながらホッと一息。そして元気を取り戻して山道を下りきったところで、連載4回目の本稿が始まる。



道は平らになり、景色は現代に逆戻り





今回のスタート地点は、六国峠ハイキングコースの出口から。


案内板に「入口」とあるが、筆者にとっては、ここは「出口」だ



目の前にはこれまでと打って変わって住宅地が密集する


道は舗装され歩きやすくなるが、気持ち的にはここまでの古道に後ろ髪を引かれる。とはいえ目的は金沢道の踏破だ。いつまでもハイキング気分に浸っているわけにもいかない。


というわけで、下りきってすぐ左折する道を進む



するとまもなく左手に石塔らしきものが



3基の庚申塔だ


右手2基が青面金剛(しょうめんこんごう)の像塔で、左が文字塔。右から1725(享保10)年、1687(貞享4)年、1789(天明9)年の建立とされる。

住宅地の中に忽然と現われた異空間は、ここが確かに歴史街道であることを教えてくれた。


その後、道は右に屈折し



すぐに、真新しい民家が並ぶT字路に突き当たる


実は事前資料によれば、この正面の民家が並ぶ辺りに古い道標があるはずなのだが、見当らない。資料には「右 能見堂 保土ケ谷 道」と刻された写真も載っていたのだが。

ごく最近建てられたらしい数軒の民家の建築時に撤去されたのだろうか。


いずれにせよ、金沢道はその家並みの前を左折する



その先には京浜急行線の踏切が見える



踏切を渡る。踏切の名称は「能見台第3踏切」



渡り際に右手を見ると、目と鼻の先に「金沢文庫」駅が



渡りきると目の前に少し大きな通りが横たわる


おおっ、この道は連載第1回で蒔田(まいた)から弘明寺(ぐみょうじ)までテクテク歩いた鎌倉街道(国道16号)ではないか。いやはや、またここで再会できるとは。ご無沙汰デス!


と、ご挨拶して右に折れ、なめらかに左にカーブする鎌倉街道をしばし歩くと



「金沢文庫駅前」の交差点にたどり着く



交差点の右手が金沢文庫の駅



金沢道はこのポイントでいったん鎌倉街道を離れ左手の脇道に入る



脇道はゆるやかに右に弧を描きながら続き



まもなく小さな十字路にたどり着く



十字路の正面右角にこんな案内板が


金沢道はこの先へ続くが、わけあって筆者はここで左折し、称名寺(しょうみょうじ)へと足を向ける。



金沢道をそれて、しばしの寄り道





称名寺までの道は久々に少し上り坂となる。が、勾配はきつくない



上りきると住宅地の中を平坦な道がしばらく続く


ちなみに、上の写真のT字路を左折すると金沢文庫に行き着く。
だが、筆者は前進する。


するとまもなく左手に、称名寺の赤門が姿を現す


筆者が寄り道した理由は、この門の左脇に建つ石柱を確認するためだった。


正面に「是より志よふミやうしか満くらへすく道」と彫られている


道標である。年記は「天明三」。1783年に建立されたものだ。

「志よふミやうし(称名寺)」とあるのは、目の前がその寺なのだから納得できるが、加えて「か満くら(鎌倉)」ともある。実はこの道標は、金沢道沿いの別の場所にあったものが、ここに移築されたらしい。

この道標をチェックするのがとりあえずの目的だったが、金沢八景の名所のひとつ、称名寺を前にしてこのまま去るのはもったいない。


というわけで赤門をくぐって参道を進むと、立派な仁王門が待ち構え



その先に見事な庭園を配する境内があった


ここは初代・北条実時(さねとき、1224~76年)が建てた持仏堂が起源とされる、金沢北条氏の菩提寺だ。朱色の反橋が際立つ池は、梵字の「ア」の字をかたどった「阿字ヶ池(あじがいけ)」。庭園全体は極楽浄土を現世に再現した「浄土式庭園」だ。

その阿字ヶ池と本堂の間に、注目したいものがある。


それはこの鐘楼


金沢八景の一つに数えられる「称名晩鐘(しょうみょうのばんしょう)」にちなむ梵鐘だ。


歌川広重筆『金沢八景(称名晩鐘)』(横浜市中央図書館所蔵)


中国の心越(しんえつ)禅師が金沢八景詩を詠んで以来、数多くの絵師が8つの景勝を絵にしてきた。上の浮世絵はなかでも名高い歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の大判錦絵金沢八景シリーズの1枚。

広重の絵は、泥亀新田(でんきしんでん)によって埋め立てられる前の瀬戸の内海の夕景を描いている。そこで漁をする漁民の耳元で、背後の金沢山(きんたくさん)称名寺のゴーンと鳴る鐘の音が響く。そんな穏やかな日常の風景だ。

その鐘の音の正体が前掲の梵鐘。現在は大晦日の除夜の鐘でしかうたれないという。

この寺院では、もう一つ見ておきたいものがある。


それは境内の中のこのトンネルの奥



その先にあるのは現在の「金沢文庫」だ


さきほど称名寺に来る途中で「ここを左折すれば金沢文庫」と書いたが、実は金沢文庫は称名寺の中からも行ける。なぜならそもそも、どちらも金沢北条氏の敷地内だったからだ。

金沢文庫も、北条実時が起源だ。学問好きだった実時が長年収蔵していた蔵書を保管する建物をこの地に建てたことが、その始まり。その後代々の金沢北条氏に受け継がれ、所蔵品が充実されていく。ここは日本最古の「武家文庫」だったのだ。

北条氏の滅亡後、さまざまな歴史的変遷を重ね、昭和初期に数多の歴史的文化財を保管する県立金沢文庫として復興し現在に至る。


「(金沢名所)金沢文庫 昭和六年七月」(横浜市中央図書館所蔵)


そして1955(昭和30)年から博物館となり、1990(平成2)年に700年ぶりに元の場所に戻ったのが、現在の金沢文庫だそうだ。


こちらは反対側から見た金沢文庫の現在の姿


ただし取材時は、コロナの影響で休館中だったが・・・。



寄り道から金沢道へ引き返す





ほかにも見どころいっぱいの称名寺ですっかり長居をしてしまったが、そろそろ金沢道に戻らねば。


本堂の前でまったりする猫たちともバイバイ



元の十字路に戻ると、さぁ、直進だ



その先の道は、またなめらかに右にカーブして



すぐに交通量の多い鎌倉街道とまた合流


金沢道は、この合流地点を左折する。


ほんのちょっと歩くと、左手に神社が見えてきた



回り込んで鳥居と社殿を正面からとらえる


神社の名は「君ヶ崎(きみがさき)稲荷」。縁起も由来もよくわからない小さな神社だが、社殿の軒下(向拝下)に珍しいものを発見。


そこには2匹の白狐が



気がつけば屋根の上にもお狐様が


いずれも愛らしいポーズだ。ちょっと変わった神社である。


神社を出るとすぐその先は「君ヶ崎」の大きな交差点だ


歩道橋があったので、また習性のように上る。


歩いてきた方向からその先を望む光景


正面奥は鎌倉街道が続く。そして左の道へ折れると、金沢八景の終着点へとつながる。当然筆者は、ここで鎌倉街道とまたしても別れを告げることになる。

なお、交差点右側の通りは笹下釜利谷(ささげかまりや)道路。これもまた、連載第2回でお世話になった道ではないか。最終回で旧知の仲間が顔をそろえた感じだ。
ただし地図を見ると、笹下釜利谷道路はこの交差点から先、「国道16号旧道」と名を変えるらしい。道路の名称は、なんともややこしい。

ところで、かつて埋め立て前の君ヶ崎が金沢山から西に伸びる岬であった頃、岬の突端に「君ヶ崎の一つ松」という老松があったという。
それは、この歩道橋の西側辺りということで、見回してみると確かに歩道橋周辺の一角に1本だけ樹木を発見。


ただし、どう見ても松ではなかったが・・・


六国峠ハイキングコースを出たところから君ヶ崎交差点までの距離は、約700メートル。徒歩10分弱だ。いっぽう、小さな十字路を左折して称名寺に至る道も、境内までは700メートルほど。

メインの街道歩きと寄り道の距離がほぼ同じだった。

下のマップの赤いラインが金沢道、紫のラインが寄り道ルート。


© OpenStreetMap contributors)




この先の古道は寺社がいっぱい





さて、君ヶ崎交差点で鎌倉街道を左折して国道16号旧道に入ると金沢八景へ続く――と、すでに述べた。
だが、筆者は交差点手前左手の細い道を入る。手元の古地図資料によれば、この脇道のほうが本来の金沢道らしい。


メモワールホールのビルをはさんで右が国道16号旧道、左が金沢道



脇道は閑静な住宅地が続き



ものの1分ほどで二又に分かれる


ここを左方向に進むと実はさきほど見た称名寺の赤門にたどり着き、いっぽう金沢道は右方面に続く。このY字路の角辺りに、いつ頃までかは定かでないが、昔、道標があったという。そして、その道標こそ現在赤門に置かれたものだったのではないかと推定されている。

道標に刻まれた行き先が「称名寺」と「鎌倉」だったことを思うと、確かに合点がいく。

いずれにせよ、当然ながら筆者は右の道を選んでさらに先へ進む。


落ち着いた住宅地の中を微妙に右にカーブする道を



数分ほど歩くと広い道路に突き当たる


目の前はまた国道16号旧道。右折すればさきほどの君ヶ崎交差点に逆戻り。金沢道はここを左折し、当分国道16号旧道を南下する。


するとまもなく道は大きく右に曲がり



曲がりきる左手前、「寺前」バス停の背後に神社が見える



回り込んで境内の正面に向き合う


ここは、金沢八幡(かなざわはちまん)神社だ。


社殿にも狛犬にも歴史を感じる


創建の年代は定かではないようだが、金沢文庫の古文書の中に、瀬戸の内海を通ってこの神社の前で船が荷揚げしたという記録が残り、鎌倉時代にはすでにあったらしい。


鳥居の前から金沢道の南方向を望む


写真の右手つまり西側には現在、区役所や警察署など区の主要施設が建っている。だがその辺りは、江戸時代初期に泥亀新田が干拓されるまで、平潟湾の奥深く続く内海の只中だったのだ。町名の「泥亀」の由来もその新田にある。

八幡神社をあとにして金沢道を南下すると、200メートル足らずで町屋交差点に至る。この交差点の付近には、とくに寺社が密集している。


交差点左のこの細い道を入ると



またすぐ左折する道角に「曹洞宗 傳心寺」の標柱。そして道の奥に寺門が覗く



門をくぐると境内には立派な本堂が


寺伝によれば伝心寺(でんしんじ)は、やはり鎌倉時代の1247(宝治元)年に執権北条時頼(ときより)によって開基されたという。


本堂の屋根を支える蟇股(かえるまた)の木彫は、松の下で龍と対するお釈迦様


珍しいモチーフなのだという。
だが、さらに目を引いたのは、境内の墓地前に並んでいた大きな六地蔵だった。


銘文は失われているが、いかにも古風で美しい


さて、町屋交差点に戻って、今度は右手を向くと、


歩道の先に鳥居が見える



標柱に「総鎮守 町屋神社」とある



社殿は大きさも造りも八幡神社と似た印象だ


町屋(まちや)神社の祭神はヤマタノオロチを退治した須佐之男命(スサノオノミコト)。言い伝えでは、大坂夏の陣(1615年)で敗れた豊臣氏の遺臣がここに牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったことが起源とか。

なお、金沢の夏の祭礼で行われる御神輿巡幸の起こりが、この神社だったとも言われる。


また町屋交差点に戻って金沢道をわずか50メートル進むと



右手に浄土宗・天然寺(てんねんじ)の参道がある



境内には美しい入母屋(いりもや)造りの本堂が建つ


この寺院には弘法大師御真筆と称される不動明王の絵が伝わる。巡り巡って明治初期に横浜南太田在の個人蔵だったものが当寺に迎えられた。そして1877(明治10)年のコレラ流行時に、不動明王への檀家一同の篤い信心によって悪疫がたちどころに鎮まったとか。


街道に戻って先へ進むと、またしても50メートルあまりで左手に寺門が覗く



ここは本堂の朱色の柱が美しい日蓮宗・安立寺(あんりゅうじ)だ



本堂前右手にある黒松の古木がまた見事だ



街道沿いの門前に建つこの古い石碑もキニナル


「船中問答」とは日蓮上人が下総国(千葉)から鎌倉までの船中で説いた問答のことで、1254(建長6)年、日蓮は下船後ここ安立寺に立ち寄り、さらに問答を続けたと言い伝えられている。

また、安立寺の南側にはもう一つの古刹が隣接する。真言宗の龍華寺(りゅうげじ)だ。


龍華寺の正門は街道に戻って同寺の外壁沿いに1分ほど南下したところ



途中の壁際には小さいが時代を感じる石塔と狛犬が



あいにく門前にはトラックが止まっていたが



「知足山」の山号が掲げられた風格ある門をくぐると



境内の庭園は美しく整えられていた


1499(明応8)年の創建とされる同寺でとくに目を引くのが、本堂前の鐘楼だ。


珍しい茅葺屋根の鐘楼


中に吊るされた梵鐘は1541(天文10)年の鋳造で、県の重要文化財に指定されている。


また境内右手奥の墓地の前にひっそり建つ小さな地蔵塔も見逃せない


台柱正面に「左保土ヶ谷道」と刻されている。かつて街道沿いにあったであろう道標だ。


龍華寺の右隣りにさらに洲崎(すざき)神社がある



境内のスケール、社殿の佇まいなどは、やはり先に見た八幡・町屋の2社に近い


神社はかつて「第六天社」と称されていたが、明治維新後今の社名に変わり、場所も明治後期に道路改修のために現在の場所に遷座されたという。


社殿の前の狛犬の表情にインパクトがあるが


同社には150年以上前に作られた雌雄一対の獅子頭が保存されているという。県下有数の大きさで、年に一度の夏祭りの時だけお目見えする町のシンボル的存在とか。

すっかり寺社巡りの旅と化した君ヶ崎交差点付近からここまでの距離は、街道沿いだけを測れば1kmちょっと。15分もかからない。だが、その間に3社4寺。あちこち歩けばなかなかの散策となるが、ありがたいのは道が平坦であること。


© OpenStreetMap contributors)




いよいよ街道は海へ至る





洲崎神社の先は、しだいに潮の香りが濃くなってくるような気がする。


ほぼまっすぐな道を数分歩くと



洲崎町交差点にたどり着く


交差点の向こう数十メートル先は平潟湾の海である。
今では海沿いにマンション群が建ち並ぶこの辺りも、かつては「洲崎晴嵐(すざきのせいらん)」と詠われた金沢八景の一つだった。


歌川広重筆『金沢八景(洲崎晴嵐)』(横浜市中央図書館所蔵)


上の絵には内海の中に塩田も描かれているが、かつて金沢は塩の産地としても有名だった。


金沢道は洲崎町交差点を右折してこの道を進む


交差点角には称名寺と金沢八景駅を示す真新しい道標や観光案内板が設置されていた。
そして、案内板の左隣りの松の木の横に、


「憲法草創之處」と刻まれた石碑が建っている


明治憲法は1887(明治20)年、この碑の近くにあった旅亭・東屋(あずまや)で、伊藤博文らによって起草作業が始められた。
それを記念して造られた上の写真の碑は、もともと東屋の庭先にあったが、旅亭の廃業にともないここへ移された。

平潟湾に臨むこの近辺にはかつて多くの旅亭があったが、なかでも東屋は随一の人気があり、江戸から近代にかけて大いににぎわったという。

広重の金沢八景シリーズの一つ「瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)」にも、東屋が描かれているほどだ。


歌川広重筆『金沢八景(瀬戸秋月)』(横浜市中央図書館所蔵)


右手前の建物が東屋。その先に平潟湾が広がり、野島が浮かぶ。


かつて東屋があった場所には現在、第一生命のビルが建っている


記念碑から100メートルほど先の瀬戸橋のたもと近く。東屋が廃業したのは1955(昭和30)年のことだ。


そして瀬戸橋にたどり着くと、もう金沢道のゴールも間近



瀬戸橋橋上から望む現在の平潟湾。湾の向こうにシーサイドラインの高架が見える



橋を渡るとすぐ瀬戸神社前交差点に突き当たる


T字路を横切る道は鎌倉街道(国道16号)だ。


交差点右手の歩道橋に上って、T字路を左に折れた先を望む


右手の森が終着点の瀬戸神社だ。左側には琵琶島があり、道路の先は金沢八景駅。


金沢道のゴール地点、瀬戸神社前についに到着


連載初回冒頭に述べた通り、鎌倉道下道(かまくらみちしものみち)の一部であった金沢道は、この先、六浦道(むつらみち)となり、朝比奈の切り通しを経て鎌倉へと続く。

かつて平潟湾は六浦湊(むつらみなと)と呼ばれ、中世の頃から海上交通の要所だった。
その目の前に建つ瀬戸神社は、海神を祀る霊地として、源頼朝がここに伊豆三島明神の分霊を遷してから大きくなったという。しかし、その起源は頼朝よりもはるかに古い1500年以上前にさかのぼるとも言われる。


瀬戸神社社殿


それだけに境内には樹齢数百年の木々が茂り、鎌倉時代の重要な美術作品が多く残り、周辺からは古代の祭祀遺物なども発掘されている。
興味が尽きない場所だが、しかしこのテーマはいずれまた別の機会に・・・。

長かった金沢道の旅もここで終焉なのだが、しかしせっかくだから、頼朝ゆかりの瀬戸神社と対をなすともいえる、その妻・北条政子ゆかりの琵琶島弁財天にも足を運んでおこう。


琵琶島弁財天の鳥居


前掲の歩道橋上からの写真で触れた通り、ここは鎌倉街道をはさんで瀬戸神社の真向かいにある。通りをはさんで夫婦らしく向き合っているともいえるし、また道路で分断されてしまっているともいえる。


参道には頼朝が瀬戸神社勧請時に平潟湾でみそぎをした際、服を掛けたという「福石」が


「服石」転じて「福石」となったとか。この石の前で物を拾うと福を授かるそうだ。


そして境内の突端に鎮座する琵琶島弁財天


北条政子が夫にならって、自身が信仰する近江国・竹生島(ちくぶしま)明神を勧請したものだという。

ここでふと思い出す。
そういえば、金沢道連載第1回で最初に遭遇した遺跡が、北条政子がその水で化粧をしたと伝えられる、いわな坂の「御所台(ごしょだい)の井戸」だった。
やはり金沢道がいかに中世・鎌倉と縁が深いか、この小さな社を眺めつつしみじみと思う。


そして琵琶島の先には、今も平潟湾が広がる。ここを渡って日蓮上人が来たのか・・・


洲崎神社から瀬戸神社まではわずか500メートルちょっと。徒歩5~6分の距離だ。オレンジのラインが、この先鎌倉まで続く六浦道だ。


© OpenStreetMap contributors)


そして、六国峠ハイキングコースの出口から瀬戸神社までは、約2.4km。脇目もふらずに歩けば30分ほどの距離か。だがそうはいかないということは、今さら言うまでもないだろう。


© OpenStreetMap contributors)




取材を終えて





東海道で歩いた距離は約28.5km、金沢道は約16km。比較すれば後者のほうがはるかに短いのだが、撮った写真の枚数は東海道よりずっと多かった。
なぜだろうと思うに、東海道はルートがかなりはっきりしていて、途中、道標となる案内板や史跡標柱なども多い。また、資料も豊富で事前にチェックポイントも絞り込みやすい。

しかし、金沢道には案内板はわずかだし、消滅ルートなどもあり、迷うこともたびたびだった。そんな行程だからこそ、思わぬところで石仏や古道らしい景観に遭遇して、ついシャッターを切りたくなるシーンが増えたのだろう。
それこそ、脇街道を歩く魅力ではないだろうか。

なおこのシリーズは、とにかく道筋をたどり、そのリアリティを伝えることに重きを置いている。そのため、土地勘のある人からすると、「そこまで行ったのに、なぜあそこに立ち寄らなかったの?なぜあれを紹介しなかったの?」と思う場面もあるかもしれない。
そこは、その地域全体の観光案内を目的とするものではないことをご理解いただき、ご容赦願いたい。

さて、次はどの脇街道を歩こうかな。できれば思い切って方角を変えてみたい。そんなことを、ちょっと企んでいるところだ。


―終わり―


取材協力

横浜市中央図書館
住所/横浜市西区老松町1
電話/045-262-0050
開館時間/火~金9:30~20:30、その他9:30~17:00
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kyodo-manabi/library/tshokan/central/
※感染症対策のため開館時間を変更している可能性がございます。詳しくは公式HPをご確認ください。


参考資料

『横浜の古道』横浜市教育委員会文化財課編集・発行(1982年3月刊)
『横浜の古道(資料編)』横浜市文化財総合調査会編集、横浜市教育委員会文化財課発行(1989年3月刊)
『旧鎌倉街道下道を歩く』勝田五郎著、古道研究会発行(2002年3月刊)
『横浜歴史散歩』横浜郷土研究会編集・発行(1976年7月刊)
『金沢の古道』横浜市金沢区役所発行(1984年3月刊)
『ぶらり金沢散歩道』楠山永雄著、金沢郷土史愛好会発行(2003年10月刊)
『金沢ところどころ 改訂版』金沢区制五十周年記念事業実行委員会発行(1998年5月刊)
『私たちの横浜・よこはまの歴史 金沢区版・新訂版』横浜市教育委員会発行(2002年4月刊)

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  • 次回は「浦賀道」を調べて欲しいです。ところどころに標識はあるものの、自力ではうまく辿れないのです。

  • よこはまうまれです。レポートありがとうございます。金沢道、大変面白かったです。物流の大動脈だった東海道、まさに「物見遊山」の金沢道。それぞれしっかりとした意味と目的があって築かれたのがよくわかります。古道を行くシリーズの次回も大いに期待してます!!

  • 長い道のりをお疲れ様でした。さすがに神社仏閣が盛り沢山ですねー

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