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ジャズの都・横浜のシンボル「ジャズ喫茶ちぐさ」は不滅だ! “喫茶”から“ミュージアム”へ

ジャズの都・横浜のシンボル「ジャズ喫茶ちぐさ」は不滅だ! “喫茶”から“ミュージアム”へ

ココがキニナル!

日本最古のジャズ喫茶ちぐさが4月で閉店しました。店の歩みやマスターの思いなどがキニナリます。(たこさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

ちぐさは閉店していなかった。来春、野毛に舞い戻り「ジャズ喫茶」から「ジャズミュージアム」へ変貌を遂げるべく、5月にみなとみらい地区で仮店舗をオープンし、現在営業中!

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ライター:結城靖博


メディアに取り上げられる際、常に「現存する日本最古のジャズ喫茶」という枕詞がつく野毛の「ちぐさ」。

それはまがうことなき事実だが、この店の凄さはそれだけではない。渡辺貞夫・秋吉敏子・日野皓正(てるまさ)など、日本を代表する世界的ジャズプレイヤーがここで若き日にジャズを学び巣立っていった。だからこそ、ここは「ジャズの聖地」なのだ。

その「ちぐさ」がついに閉店? いやいや、そんなことはない。そんなことがジャズの都・横浜の地で許されるわけがない…!

ということで野毛の店はいったん閉店したものの、来年、2023(令和5)年3月に同じ場所でふたたび「ちぐさ」は復活する。その間は、今年5月からみなとみらい地区で仮店舗を営業している。それが事実だった。


みなとみらいの仮店舗前でも健在の「ちぐさ」のシンボルと言える看板


ただ、横浜の近現代カルチャー史とも重なる長い歴史を背負う「ちぐさ」には、当然ながらこれまでに多くの紆余曲折があった。かつてはまれぽでは、初代の店舗閉店後再開された二代目の店舗について紹介している。

だがこの時の記事は、あくまで再開された店舗についてのレポートが中心だった。今回は「たこさん」のキニナルに応えて、店の歩みから将来まで、つまり「ちぐさ」の過去~現在~未来を、丸ごとまとめたいと思う。



「ちぐさ」を生んだ一人の男





というわけで、まずは「ちぐさ」の歴史をおさらいしよう。

「ジャズ喫茶ちぐさ」が誕生したのは1933(昭和8)年のこと。

1930年代初頭といえば、本場アメリカでさえ、まだビッグバンドのスイングジャズが主流。まして日本ではジャズは黎明期そのものだった。しかも昭和8年は、日本が国際連盟を脱退し、戦争へと突き進む大きな契機となった年であることも忘れてはならない。

そんな世相の中で、まだ20歳の青年だった吉田衛(よしだ・まもる)氏が、野毛町1丁目に「ジャズ喫茶ちぐさ」を開く。当時きわめて珍しかった「ジャズ喫茶」という形態は、大学生たちなどから大いに人気を集めたという。


© OpenStreetMap contributors)


だが、やがて太平洋戦争が始まると、ジャズは敵性音楽として禁止された。吉田さん自身も戦地へ召集され、さらに1945(昭和20)年5月の横浜大空襲では6,000枚以上あったレコードが店舗とともにすべて焼失する。

しかし戦後復員してきた吉田さんは、常連客やジャズメンたちから千数百枚のレコードを入手し、1948(昭和23)年、同じ場所で店を再開した。


現在の仮店舗に掲げられている野毛町1丁目当時の店舗外観写真(2007年・森日出夫撮影)


やがて「ちぐさ」には、横浜の米軍クラブで演奏する若き日の渡辺貞夫・秋吉敏子・日野皓正ほかそうそうたるジャズメンたちが、吉田さんを「おやじ」と慕って訪れるようになる。そして彼ら彼女らは、貴重なアメリカ直輸入のレコードをむさぼるように聴き、吉田さんの話に耳を傾けた。


現在の仮店舗に掲げられた吉田氏のポートレート(1986年・奥村勝司撮影)


上のポートレート・パネルには、日野皓正の愛に満ちたメッセージが書き込まれている。


現在の仮店舗に掲げられた野毛町1丁目の店内写真(森日出夫撮影)


上の写真、右側の奥の席に秋吉敏子はいつも腰を据えて、レコードを繰り返し聴きながら譜面に書き起こしていたという。

けれども、1994(平成6)年に吉田さんは他界。その後、妹の孝子さんや常連客の有志で十数年営業が続けられてきたが、2007(平成19)年に多くのジャズファンに惜しまれつつ、いったん「ちぐさ」の歴史は幕を閉じる。


創業時の店舗跡地には、今はマンションが建っている



だがマンションのエントランス脇に、なにやら小さなタイル貼りのプレートが



そこには吉田さんの肖像画と創業時の店舗の写真が記されている




二代目「ちぐさ」の軌跡





その後、レコード・コレクションや音響装置、テーブル、椅子、写真パネルなど「ちぐさ」の貴重な遺産は地域街起こし組織である「野毛街づくり会」に管理され、「ちぐさアーカイブ展」などのイベントも催される。

そして、地元住民やジャズファンらの多くの支援を受けて、2012(平成24)年3月11日、「ジャズ喫茶ちぐさ」は野毛町2丁目に場所を移し再開することになった。この時「ちぐさ」は、一般社団法人「ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館」として再生する。


© OpenStreetMap contributors)


この「ちぐさ」復活時の様子については、前述した過去記事でレポートされているので、詳細はそちらに譲る。本稿とあわせてぜひご一読を!

ただ、本稿でぜひ強調しておきたいのは、「ちぐさ」復活の日付が3月11日であるということだ。「ちぐさ」復活の背景には、東日本大震災を契機につながった岩手県陸前高田市のジャズ喫茶「h.イマジン」との深い結びつきがある。この日この時、被災地のジャズ喫茶と横浜のジャズ喫茶が同時に復活を遂げたのだ。


野毛町2丁目で再開された「ちぐさ」(写真提供:「ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館」)


だが待望の復活を遂げた「ちぐさ」が、今年2022年4月10日をもって、キニナル投稿者の「たこさん」の言う通り、姿を消した。

理由は、建物の老朽化だ。

二代目「ちぐさ」の建物は、今年2022年時点ですでに築70年を超え、市の耐震調査で大地震に耐えられないと指摘された。それゆえ、やむなく閉店に踏み切ったという。

閉店後の6月初旬、筆者は二代目「ちぐさ」の様子を見に現地へ足を運んだ。


するとすでに、「ちぐさ」は跡形もなくなっていた


まだ閉店から2ヶ月も経っていないというのに!?と同時に驚いたのは、「ちぐさ」の店舗の敷地が思いのほか小さかったことだ。




三代目「ちぐさ」へ突撃!





だがしかし、すでに述べた通り「ちぐさ」は消滅していない。今現在、「ちぐさ」の顔として脈々と生き続けた黄色い看板は、冒頭で掲載した写真の通り、みなとみらい地区で元気に働いているのだ。

というわけで、現在の「ちぐさ」を訪ねることにした。

ちなみに「ちぐさ」側からすれば、現在の店舗を「三代目」とは言ってほしくないかもしれない。「あくまでここは『仮店舗』」だと。

だが、かつてのはまれぽの取材 で、横浜駅が点々と場所を変え二代目・三代目と呼ばれていたことと、どうも今回の「ちぐさ」の生々流転がダブってしまって、あえてここは筆者の独断で、現在の仮店舗を「三代目」と呼ぶことにする。


© OpenStreetMap contributors)



JR桜木町駅から南西側を望むと「ぴおシティ」がドーン!


その向こうに昔ながらの野毛の繁華街がチラリ。この地区の奥にこれまでの「ちぐさ」はあった。


かたや同駅から北東側を望むと「ランドマークタワー」がドーン!


でもこの光景も21世紀を20年以上も過ぎた今となっては、すっかり定着した景色だ。

とはいうものの、今「ちぐさ」はこちら側にある――という事実は少々感慨深い。

「ちぐさ」へ向かうべくランドマークタワーの中へ入ると、


ウルトラマンが待っていた


その後、Googleマップで検索しつつ「ちぐさ」を探すが、イマイチよく分からず総合案内の係の人に教えてもらったりして、ようやくたどり着いたのが下の写真の場所。


「椿屋カフェ」なんかがあったりして、やっぱりお洒落な一角だな


でもこの通路は、ここにたどり着くまでのみなとみらいとちょっと雰囲気が違う。人通りも少ないし、さらに通り一帯にジャズの音色が充満している。

そして「椿屋カフェ」の向こうに、見覚えのある四角く黄色い看板が見えた!


あった。ここが「ジャズ喫茶ちぐさ」の仮店舗(三代目)だ



店の入り口と正面に向き合う


写真左手にある横長の看板は、初代の店舗外壁の上部に掲げられていたものだ。


店内に一歩足を踏み入れると


「ちぐさ」で昔から使われていた巨大なスピーカーと、それに向き合う形で昔から使われていたテーブルと椅子が配置されていた。


そして、お二人の方がにこやかに出迎えてくれた


右の方が一般社団法人「ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館」代表理事の藤澤智晴(ふじさわ・ともはる)さん、左の方は同財団ディレクターの新村繭子(しんむら・まゆこ)さんだ。

その後は主に藤澤さんからお話を伺うことに。

まずは5月1日にオープンしてから取材時点でひと月以上経つ仮店舗のこれまでの様子を尋ねると、「開店時、ゴールデンウィークの真っただ中だったので客足を期待したのですが、当初、来店者数はそれほどでもなかったです」とのこと。

どうやら、場所的にちょっとわかりづらいということも影響しているようだ。

「実はこの通路(グリーンスポット)はランドマークタワーの圏外にあたり、扱いとしては『公園』なんです。いわばみなとみらい地区の『真空地帯』ですね」と藤澤さんは笑う。

確かに通路の先は「けやき通り」に突き当たり、その先は「グランモール公園」だ。


通路を抜けた先のけやき通り



けやき通り側から「ちぐさ」のある通路に臨む


「でも、本来ジャズ喫茶ってそんなものですよね」と藤澤さんは続ける。「迷い迷い、やっとたどり着く。それが昔ながらのジャズ喫茶じゃなかったでしょうか」

「ただ、その後今までの『ちぐさ』の常連さんたちが次第にやってくるようになり、『へぇ~、こんなところにこんな場所があるんだ』と初めて訪れる人たちも現れて、今は徐々に来店者が増えています」

取材時も数人がソファに腰を沈め、ゆったりとジャズに耳を傾けていた。

ここは来春、元あった野毛2丁目の場所で本格始動する予定の「ジャズミュージアムちぐさ」の仮設空間なのだ。


それゆえ、コーヒーやビールも提供しているが


必ずしも購入しなくてもいい。あくまで「入場無料のジャズミュージアム」が基本スタンスなので、「仕事の合間に、ここへフラッと入ってきて、ただジャズを聴きながらしばらく休んで帰っていく人もいます」とのこと。

そこがこれまでの「喫茶店」と根本的に異なる点だ。「喫茶店」に来て、何も注文せずに帰られては困る。

ミュージアムとしての要素は、この仮店舗の中にも随所に見られる。


店内に入って右手には「ジャズ喫茶ちぐさ所蔵品コーナー」があり


ミュージアム構想立ち上げの際に寄贈されたグランドピアノの向こうに、「ちぐさ」ゆかりの代々の多くのジャズメンたちの写真が展示されている。そこには日本の著名なジャズプレイヤーだけではなく、アート・ブレーキーやデクスター・ゴードンなど本場アメリカのミュージシャンたちの在りし日の貴重な写真も並んでいる。


こちらは秋吉敏子から吉田さんに送られた直筆の手紙



こちらは正面奥の巨大スピーカーの右横にある貴重な展示品


これは吉田さんが収集した希少価値のきわめて高い「V-DISK」とそのためのプレイヤーだ(「V-DISK」とは第二次世界大戦当時、米軍が兵士慰問のために戦地へ送った78回転のレコード盤)。


そのV-DISKや昔のプレイヤーの上に掲げられたこの大きなパネルもひときわ目に付く


「ちぐさのオヤジに捧げるコラージュ」と題された写真家・奥村勝司氏による1枚だ(2012年制作)。


店内にさりげなく置かれたこのタイル貼りのテーブルにさえ、歴史が刻まれている


これもまた初代の店舗から使用され続けていた、「ちぐさ」の古くからの常連客にはこのうえなく懐かしいテーブルなのだ。

そのほか、数え上げればキリがないほど、たくさんの歴史がこの空間には収められている。やはりここは、「ミュージアム」と呼んでおかしくない場である。ぜひご自身で足を運び、鑑賞していただきたい。目と、そして耳で。


カウンターの奥には約6,000枚のレコードがズラリと並んでいる





四代目ちぐさはどうなるのか?





来年(2023年)3月11日に、「ちぐさ」は野毛2丁目に舞い戻る。そして、新しい「ちぐさ」の姿は、こんな感じだ。


「まあ、なんということでしょう!」(写真提供:ジャズ喫茶ちぐさ)


と、思わず「ビフォーアフター」チックな声を上げたくなる景観だ。鉄筋コンクリート2階建ての2面は総ガラス張り。そこに、ライブスペースとミュージアムの展示スペースを設ける。

最近若者に注目されはじめお洒落な飲食店も増えてきたとはいえ、やはり昔ながらのある種の猥雑感も漂う野毛の繁華街の中で、この建物はかなり異色だ。


四代目ちぐさ完成後の野毛仲通りはこんな感じになる(写真提供:ジャズ喫茶ちぐさ)


「昔からジャズ喫茶というと、閉鎖的なイメージがある。『ちぐさ』もかつて『扉を開けるのにちょっと戸惑う』ような印象を持った人も多かったと思う。でも、新しい『ちぐさ』は外部に開かれた場所にしたい。なぜならジャズは横浜市民が共有する文化財なのですから」
そう、藤澤さんは言う。

総工費は約1億円。自己資金や銀行融資、補助金申請のほかに1口1万円で1000万円の支援も募る。

ちなみにオープンの日を3月11日にするのは、やはり東日本大震災との絆のため。また、「ちぐさ」は来年、創業90周年を迎える。




取材時の現状報告




と、ここまでは今年3月初めに「ちぐさ」がメディアに告知し、数々の新聞各紙にも取り上げられた「ジャズ喫茶ちぐさミュージアム構想」の話だ。
が、6月時点の筆者の独自取材時には、少々状況に変化の兆しが起きていることを知る。

「実は資金が今のままでは当初の半分ぐらいしか得られないのではないかと危惧しています」と藤澤さんは言う。

「資金が半分になったら、計画も半分にせざるを得ない。ということで…実は今、ガラス張りの2面をなくして、L字型の外壁だけにしようか、という案も出ているんです」


「えっ?!」と渡辺貞夫も思っているかも(仮店舗内展示パネル、奥村勝司撮影)


それを聞いて、筆者、はじめ意味が分からなかった。だがつまり、屋根のないL字型の2面の壁面だけの「野外ライブスペースにする」ということのようだ。

「もともと、ジャズ喫茶ちぐさ自体は地下に作る計画でした。世界中で『ジャズ喫茶』という形態が日本にしかない中で、国内最古の『ちぐさ』を昔ながらの形で残すこと自体が、いわば『ミュージアム』そのものなわけです。その他の貴重なちぐさの歴史資料はひとまずネットで公開してもいいかと」

――あのグランドピアノはどうするんですか?

「屋外でグランドピアノだけガラス箱で覆うとか?」

――とってもシュールな発想ですね…。

「いやぁ、もともとこれまでの『ちぐさ』も戦後みんなの協力を得て、その都度臨機応変に変化しながら続いていったんです。そんな即興性が『ジャズ』ですよ」


「ふむ~…」と日野皓正も思っているかも(仮店舗内展示パネル、奥村勝司撮影)


う~ん、どうなるんだろう。

とりあえずこれが、2022年6月初旬時点の取材時の状況である。一般社団法人なので、今後の動向は理事会や総会などで決定されていくのだろうが、来春に向けてまだまだ見えない部分が多い現状のようだ。




「ジャズ喫茶ちぐさ」の多様な側面





一度目の取材の後、6月18日にふたたび仮店舗の「ちぐさ」を訪ねる。この日「ちぐさ」では、とあるコンサートが開かれていた。


題して「Pray for Ukraine Concert」


そう、戦禍に苦しむウクライナの平和を祈るコンサートだ。

横浜市はウクライナのオデーサと姉妹都市の提携をしている。その関係もあり、現在60人ほどのウクライナ避難民を市は受け入れている。
この日は、そのうちの十数名のウクライナ人を招待し、日本人の一般客もあわせると50人以上の聴衆で店内は埋まった。

仮店舗のちぐさでは、しばしばこうしたライブ活動も行っている。それは来春以降野毛に復活する「ジャズミュージアムちぐさ」へつなぐ試みと言えるだろう。

ただし、通常のライブは有料だが、今回はむろん支援活動の一環なので無料だ。


演奏者は「シャンティ・ドラゴン・トリオ」


横浜を中心に活躍するサックスの金剛督(こんごう・すすむ)、ピアノの林あけみ、チェロのクリストファー・聡(そう)・ギブソンのトリオだ。

招待客のウクライナ人の中には子どもたちも少なくないので、演奏曲はジャズにこだわらず、ディズニーの曲から日本の童謡、聴きなれたクラシックまで幅広く、1時間半のライブがあっという間に終わった感がある。

特に、前半に演奏された映画『ひまわり』のテーマ曲、そして最後にウクライナの方々が演奏に合わせて、胸に手を当てて合唱したウクライナ国歌はひときわ感動的だった。

「ジャズという横浜ならではの文化を通して、地域に貢献していきたい」と藤澤さんは繰り返し話していた。「ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館」のディレクターである新村繭子さんも、同時に「関内まちづくり振興会」の理事でもある。


支援コンサート当日、司会をする新村さん(左)




藤澤さんからいただいた熱いメッセージ





実は初回の取材からこのコンサートまでの間に、「ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館」では、定例総会があった。その場で来春オープンする新生「ちぐさ」の形について、あらためて協議されるはずだったが、かなわなかったという。

「計画修正案の見積もりが間に合わなかったんです。なにしろ、このところ日々資材価格が高騰を続け、見積もりが見積もりの体をなさなくなってきている」と、藤澤さんは嘆く。

「今後、流動的な状況を皆さんに逐一伝えていくために、定期的に『ちぐさ通信』のようなものを出していきたいと考えています」とも。

それにしても、「おやじ」吉田衛氏亡きあと、長年の常連客などのほとんどボランティアに近い協力で維持されてきた「ちぐさ」だが、「今後は、それでは将来につながらない」と藤澤さんは言う。「今は一般社団法人という制約の中で動いていますが、経済的にも自立しなければならない」と。


通常のちぐさ仮店舗内に展示されているレコードジャケット


「ちぐさ」では喫茶店経営のほかに、ジャズ界の新人発掘の登竜門的位置づけで「ちぐさ賞」を主催している。今年ですでに8回目になる。そして優勝者のLP、CDを「ちぐさレーベル」として発売。上の写真のレコードジャケットがそれに当たる。

各種のイベント開催と並行したこうした取り組みも、自立への試みのひとつだ。

「私たち高齢の仲間は、残念ながら年々いなくなっていきます。だからこそ、愛好家のボランティアという形ではなく、若い人たちが『ちぐさ』で働いてちゃんと生計を立てられるようにしたい。そして、ウソでもいいから(笑)『俺にやらせろ!』と言ってくれる若者に現れてほしいんです。そんな若者を探すのが、『俺たちの最後の仕事だ』と思っています」

これは、初回の取材の終わりに藤澤さんが熱く語った言葉だが、心に深く響いた。


初回取材時、藤澤さんと別れた後、カウンターにいた若者に声を掛けた


中嶋悠稀(なかじま・はるき)さん。まだ21歳の若者だ。1年ほど前から野毛2丁目の「ちぐさ」でアルバイトを始めたという。

「ふたたび野毛に戻った後も『ちぐさ』の仕事を続けますか?」と聞いたところ、力強くうなずいてくれた。




取材を終えて





筆者も大学時代、ジャズ喫茶にどっぷり浸かっていた。新宿に下宿していたので、暇さえあれば1階にロールキャベツの「アカシア」が入るビル上階にあった新宿東口のジャズ喫茶「DIG」に入り浸り、横浜の実家に帰れば野毛のジャズ喫茶にほぼ欠かさず足を運んだ。

だが筆者が野毛で通った店は、実は「ちぐさ」ではなく、二代目「ちぐさ」と同じ野毛仲通りにある「down beat」だった。


「down beat」もまだ健在だ。この雑居ビル左脇の階段を上ると右手にある


なぜかというと、今から40年以上前の当時、すでに「ちぐさ」はナベサダ・ヒノテル・秋吉敏子らが出入りしていた日本最古のジャズ喫茶として有名だったし、正直、それが「しきいの高さ」として感じられたからだと思う。

しかし、それから半世紀近い時が経ち、「おやじさん(吉田衛氏)も、まさかこんなことになるとは思ってもいなかったでしょう」と藤澤さんが苦笑するように、吉田さん存命時も、また亡きあとも時代の流れに翻弄され続ける、それが「ちぐさ」の歴史と言える。

「でもね、アドリブを効かせて時の変化を楽しむ。面白いじゃないですか。だってジャズなんだから」という、これは藤澤さんの名言だ。
そこに筆者は「ジャズ魂」を感じた。

とにもかくにも、当初の計画通りのガラス張りの洒落たミュージアムになろうと、L字型壁面野外ライブスペースになろうと、四代目「ちぐさ」が大学時代の筆者を尻込みさせたような場ではなく、「開かれた空間」になることだけは確かなようだ。楽しみである。


―終わり―

取材協力

一般社団法人ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館
住所/横浜市中区野毛町2-94
電話/045-315-2006

ジャズ喫茶ちぐさ(仮店舗)
住所/横浜市西区みなとみらい2-1-1
電話/045-315-2006
営業時間/12:00~21:00
定休日/不定休

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