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朝ドラでも注目の鶴見「沖縄タウン」とは?その歴史と現在

朝ドラでも注目の鶴見「沖縄タウン」とは?その歴史と現在

ココがキニナル!

朝ドラ「ちむどんどん」の舞台になっている鶴見。なぜ他県ではなく沖縄の方が鶴見に住まわれることになったのか、歴史がキニなります。放送が終わる前に調べていただければ幸いです(せりどんさん)

はまれぽ調査結果!

鶴見に沖縄県系の人々が多い理由には、京浜工業地帯の発展と同時代の沖縄の経済事情、地縁血縁を重視する沖縄の人々の慣習、さらには横浜の国際港としての位置付けなどが関係していた。

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ライター:結城靖博


鶴見には沖縄出身者とその二世・三世の方々が多く住む、いわゆる「沖縄タウン」がある。臨海部の工業地帯にほど近い現在の潮田町(うしおだちょう)・仲通(なかどおり)・浜町(はまちょう)・汐入町(しおいりちょう)付近のエリアだ。


赤い円の圏内がざっくりとした同エリア(© OpenStreetMap contributors)


この界隈の「沖縄度」を調査した過去記事が、かつてはまれぽに掲載された「鶴見の沖縄度はどのくらい?」。あれから11年が過ぎた今、同地区はどんな様子だろう。

過去記事では詳述されなかったこの地域の歴史とあわせてお伝えしたい。



なにはともあれ、まずは現地へ!





現地を訪ねるにあたって役に立ったのが、鶴見区区政推進課が発行している『沖縄タウン鶴見マップ』。横浜市のホームページからもダウンロードできるこの小冊子には、同地域の詳細な地図から店舗・面白スポット・イベント・芸能なども紹介されていて、とても便利だ。


『沖縄タウン鶴見マップ』表紙(横浜市ホームページより)


というわけで、プリントした冊子を片手に鶴見の駅へ降り立つ。

もちろんJR鶴見駅でもかまわないが、今回はわずかながら目的地寄りの京急鶴見駅で下車した。

鶴見駅からはバスを利用するか、JR鶴見線に乗り換えて最寄り駅の弁天橋駅か浅野駅まで行く方法もある。だが今回は、鶴見の街の中心部から沖縄タウンまでの距離感や空気の変化を肌で感じたかったので、あえて京急鶴見駅から歩くことにした。


京急鶴見駅東口を出たところ


目の前の商店街「BELL ROAD」を左に行くと、すぐ京急のガード下を横切る大通り、県道104号線に突き当たる。


ここを右折し、しばらく歩くと


さらに大きな幹線道路・第一京浜が横切る鶴見署前交差点に至る。


この交差点には横断歩道がない



なので、交差点手前にある「鶴見いちご地下路(ちかみち)」を潜っていく



地下路の中。異空間へといざなうトンネルのようだ



地上に出たらさらに直進



車道右側の歩道に移り左に大きくカーブした先に、潮鶴橋(しおつるばし)が見えてきた



潮鶴橋を渡る



橋の下は鶴見川



川を越えると、そこは「潮風大通り」


途中で車道の左側に移りズンズン進むと、


やがて潮田神社入口の交差点にたどり着く



交差点の左側には「潮田銀座」の商店街が延びている


この辺りから、すでに「沖縄タウン」は始まっているのだ。


だが筆者は、さらに信号2つ先の仲通一丁目交差点まで進む


この交差点を左折した通りが仲通り。鶴見沖縄タウンのメインストリートだ。

下のマップの赤いラインが、京急鶴見駅から仲通り一丁目交差点までのルート。距離にして1.2km弱。徒歩15~20分程度というところだ。


© OpenStreetMap contributors)





いよいよ沖縄タウンの中心エリアへ







左折した先の仲通りを望む


付近の街路灯には、「仲通り勉強会」の表示板が掲げられていた。「あれっ、『商店街』ではないのかな?」と思う。


通りのいたるところに「ちむどんどんの舞台 横浜鶴見へようこそ」の幟が立っている


ただ、想像していたイメージとは、ちょっと様子が違う。
通りにはずらっと沖縄関係の店が並んでいるのかな、と勝手に思い込んでいたのだが…


意外とコンビニやチェーン系のストアなどが目立つ


とはいえ、上の写真左手の「マルミ屋商事」と書かれたお店の風情に心惹かれる。


「国産・外国たばこ」という表示が、なんとな~く沖縄っぽい


通りをさらに進むと、自治会掲示板に近々開催される祭り「仲通り道(みち)じゅねー」のポスターが貼られていた。


「道じゅねー」は先祖供養のためにエイサーで練り歩く沖縄独特の祭りだ



自治会掲示板の先に南米料理店があった


「沖縄タウンになぜ南米料理?」と思う人もいるかもしれないが、それにはこの土地ならではの理由がある。詳しくは後述するが、これもこの地が沖縄タウンであることの証の一つだ。


その先の酒屋さんの前で、歩道に置かれた椅子に座りのんびり一杯やる方々が


おお、このゆる~い感じ。だんだん雰囲気が出てきたぞ。


ただ11年前の過去記事によると、この辺りに商店街の大きな看板アーチがあったはずだが


酒店のすぐ先にある交差点。「仲通り商店街商和会」と大書されていたその看板は、今は姿を消していた。




沖縄タウンの拠点に到着





交差点を渡ってすぐのところに行列ができていた。仲通りを歩いてきて初めて遭遇する人だかりだ。


何事かと思いきや、電信柱にポールが隠れているが、そこはバス停だった(笑)


それよりも上の写真に見える、通りのはす向かいの茶色い建物に注目!


ここが沖縄タウンに住む沖縄県系の人々にとっての拠点「おきつる会館」だ


建物には「鶴見沖縄県人会会館」と「財団法人おきつる青少年育成会会館」の二つの名称が掲げられている。


建物1階には「おきなわ物産センター」もある





決して広くはない店内だが、さまざまな商品が文字通り所狭しと陳列されていた


食料品だけではなく、雑貨・工芸品や三線(さんしん)などの楽器類、さらに書籍・CDも売られている。


好きな量をパック詰めしてくれるお惣菜コーナーも嬉しい


ここでしか入手できないものも数多く、わざわざ遠方から足を運ぶ常連客もいるという。写真に撮るのは控えたが、店内には地元の方らしき人から観光客風の人まで、来店者が途絶えることがなかった。


物産センターの左隣りには奥まった通路があり



両サイドの壁をポスター、写真、新聞記事などが埋め尽くしている


「ちむどんどん」や沖縄タウンを舞台にした映画「だからよ~鶴見」のほか、沖縄関係の情報が満載の壁面だ。


通路の先には沖縄そばの店「ゆうなの花」や県人会の広報室「うりずん」があり



さらにその奥に「ちむどんどん」関連の展示室もあった


この会館の中は周囲から抜きんでて、凝縮された沖縄の空気に満たされていた。


会館のそばに置かれた、沖縄ドリンク専用自動販売機も目を引く




もう一つのにぎわいスポット





おきつる会館のほかに、もう1ヶ所、平日でも人が多く集まる場所があった。


以前看板アーチがあった交差点に戻り左折して1分足らずのところ



1955(昭和30)年創業の老舗沖縄料理店「ヤージ小(ぐゎー)」だ



自家製麺の沖縄そばで有名だが、郷土料理の定食も各種ある


すでに先客が店の前で数組待っていたが、店先には屋根も椅子もあり、座って待っていられたのでさほど苦にならない。

やがて店員さんに声を掛けられるが、1階の店内は満席なので、


建物左手の外階段を上がって2階へ



2階は座敷で落ち着いた雰囲気だ


筆者が入室した時点では誰もいなかったが、そのあと続々と客が入ってきて、4つか5つのテーブルがあっという間に埋まってしまった。

やはり、一番の名物である沖縄そばを食すことに。

2種類の肉を食べ比べしたかったので、「ソーキそば」と「三枚肉そば」を注文する(いずれも税込800円)。プラス箸休めとして「もずく酢」も頼む。こちらは220円(税込)。


左がソーキそば、右が三枚肉そば


一見重そうに見えるスープは、口に含むと意外とサッパリしている。麺も「そば」とはいえうどんに近いものなので、お腹にやさしい。また、どちらの肉もしっかり脂が落ちている。これに卓上の紅生姜を乗せて食べたが、2杯をあっさりと完食。

もちもちした麺、深みのあるスープ、ソーキは骨からほろほろと肉がほぐれ、三枚肉も口の中でとろける柔らかさだった。もちろん、どちらも豚肉だ。


途中で島とうがらし(コーレグース)をかけて味変させるとさらに箸が進む


ただし島とうがらしは泡盛に漬け込んであるので、ドライバーは要注意だ。




おきつる会館からさらに先の通りへ





すっかり満腹となり、仲通りのおきつる会館の前に戻ったあと、さらにその先を歩いてみることにした。


会館のそばに沖縄風のお弁当を売っている「うまかべん」があるのだが


この日はシャッターが下りていた。ポークのおにぎりが食べたかったのに、残念!


「うまかべん」の先はいよいよ店舗が少なくなる


写真左手に見える「立花屋食堂」もシャッターが下りていた。


でも、その少し先のお米屋さんは、妙に存在感あり



お米屋さんを過ぎて浜町1丁目辺りに来ると、もはやマンションやアパートばかりだ



やがて右手に緑鮮やかな建物が姿を見せる


ここは入船(いりふね)小学校。校庭では、年に一度「沖縄角力(おきなわずもう)」の大会が催される。鶴見沖縄タウンで大正時代から地域をあげて催されてきた伝統行事だ。柔道着を着て帯をつかみ組み合い、背中を地面につけたほうが負け。モンゴル相撲に近いようだ。


入船小学校を過ぎると、大きな通りが交差する


目の前の道路は「ゴム通り」。由来は、戦前この沿道に「横濱護謨(ごむ)製造」(現・横浜ゴム)の工場があったから(工場自体は1945年の横浜大空襲で壊滅している)。

だいたいこの辺りで、沖縄タウンの東端に至ったようだが、ここを右折してしばらく歩くと、


通りの向こうに「沖縄料理 八ちゃん」を発見


『沖縄タウン鶴見マップ』によれば、ここもかなりコアな沖縄料理店らしいが、居酒屋なので取材時はまだ店が開いていなかった。


さらに進むと、トラックが絶え間なく通過する鶴見産業道路にぶつかり



産業道路を渡ると、右角に緑濃い「入船公園」が広がっている


産業道路と緑化公園――なんとも対称的な世界が隣接する空間だが、この公園内は秋に「鶴見ウチナー祭」が開催される場所だ。沖縄音楽やエイサー、飲食や文化体験など、沖縄タウン随一のイベントが催されるという。




最後の寄り道





最後にもう1ヶ所寄ってみたい場所があった。仲通りに帰り、おきつる会館も通り過ぎ、例の「マルミ屋商事」のある四つ辻に戻る。


マルミ屋商事とパチンコ店の間の道を北へ向かってまっすぐ進むと



商店街「潮田銀座」と交差し



さらに進むと、潮田神社に突き当たる



美しい本殿だ



本殿脇の、表情豊かな狐たちをたくさん安置した稲荷社も興味深い


潮田神社は大正時代に西潮田村の御嶽社と東潮田村の杉山社が合併してできた神社だが、年に一度の6月の例大祭には各町会から約70基の神輿が参加し、その規模は鶴見区最大級だ。

また、3日間におよぶ例大祭の2~3日目には、この地域ならではの沖縄料理・南米料理の屋台が境内や周辺に数多く出店しにぎわいを見せる。

ここもまた、沖縄タウンで見落とせないスポットだろう。

下のマップの青いラインが、左端(西端)の仲通一丁目交差点から右端(東端)のゴム通りに突き当たる交差点までの仲通り商店街だ。長さは700メートルちょっと。ただ通り過ぎるだけなら10分もかからない。


© OpenStreetMap contributors)





この地域に沖縄県系人が多い理由





では、なぜこの地域に沖縄出身者とその子孫の方々が多く住んでいるのだろうか?

そのわけを知るべく鶴見沖縄県人会にアプローチすると、この地の歴史をQ&A形式でわかりやすくまとめた冊子『おきつるコミュニティQ&A』(佐藤冬樹著)を送ってくださった。


同冊子は、おきなわ物産センターでも売られている(税込440円)


いっぽう、図書館で『沖縄・思い遥か』(文・屋良朝信/写真・新井克英)という本を見つけた。川崎・鶴見・東京に移住してきた沖縄県人とその子孫へのインタビュー集だ。生の声を伝える貴重な資料だが、巻末の年表も実によく整理されている。

以下は、主にこの2冊を参考にしながら綴っていきたい。

1900(明治33)年前後から、納税に苦しむ沖縄県人のハワイなどへの海外移住が増大する。当然ながら、当時海外へ渡航するには船を利用するしかない。横浜あるいは神戸の国際港を経由して出国することになる。

が、出国時の検査は厳しく、出国がかなわなかった人々が横浜・川崎、あるいは大阪の都市部にとどまり定住する。そもそもの事の始まりは、そこにあったようだ。


「横浜港出航ノ光景」(横浜市中央図書館所蔵)


とはいえ、1899(明治32)年に沖縄から横浜市へ入寄留した人の記録は、わずか6名にすぎない。

本格的な沖縄県人の横浜への移住は大正時代に入ってからのこと。

明治末年の1912(明治45)年、富山県出身の実業家・浅野総一郎(あさの・そういちろう)が、日本近代化の立役者である経済界の巨人・渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)らとともに「鶴見埋立組合」を設立し、約150万坪にもおよぶ壮大な埋め立て事業を始める。

以降、続々と鶴見川河口周辺に工場が進出し、浅野は「臨海工業地帯開発の父」と呼ばれた。


「鶴見浅野造船所製鉄部の写真絵葉書」(横浜市中央図書館所蔵)


1920年代から30年代にかけて、埋め立て工事や工場建設ラッシュ、さらに1923(大正12)年の関東大震災後の復興事業も重なり、鶴見・川崎での労働需要が急速に拡大し、全国各地から出稼ぎ労働者が同地に集まる。

いっぽう沖縄では同じ頃、砂糖相場が大暴落し、これに世界大恐慌も重なり、庶民は貧困にあえぐ。有毒だったソテツさえ口にしなければならず、「ソテツ地獄」と呼ばれた。そんな状況から脱するべく、この時期多くの沖縄県人が職を求め、京浜工業地帯の中心地であった鶴見・川崎方面へ向かったのだ。

また、川崎の富士瓦斯紡績工場には、大正時代から沖縄出身の女工が多く雇用され、これも沖縄県人の同地域への定着に結びついている。

下は震災復興期の鶴見臨海工場地帯の航空写真だ。


「横浜市区制実施記念 横浜市鶴見区 鶴見区工場地帯」(横浜市中央図書館所蔵)


この空の下で、多くの沖縄県人たちが働いていた。

けれども彼ら彼女らの労働条件は厳しく、本土出身者が敬遠する「きつい・汚い・危険」のいわゆる「3K仕事」の日雇い労働に甘んじなければならなかった。

また、生活習慣や言葉の壁が原因で、職場においても生活の場においてもつらい差別があったことも忘れてはならない。

だがそうした中で、地縁血縁を重んじる沖縄県人たちは、持ち前の「ゆいまーる(助け合い)」精神で結束し、たくましく生きていく。この姿は、時代は異なるが、ドラマ「ちむどんどん」にも垣間見られるだろう。

しかもそれは、単に精神的なつながりだけではなく、「模合(もあい)」と呼ばれる共同体内での銀行の形態に近い資金繰りなどの経済支援にもおよんだ。

やがて太平洋戦争が勃発し、1945(昭和20)年5月29日、横浜は大空襲に見舞われる。焦土と化した土地で、本土に疎開先を持たない沖縄県人はこの地にとどまらざるをえなかった。


「横浜の戦災」(横浜市中央図書館所蔵)


そして終戦。戦地から復員してきた兵士のうち、アメリカ統治下となり本島に帰ることを禁止された沖縄出身者らが、地縁血縁を頼って横浜港からほど近い鶴見や川崎へやってくる。戦後世代の一世定住者の始まりだ。

その後、1960年代の高度経済成長期には、「金の玉子」と呼ばれた中卒就労者が全国から都会へ大量に流入する。沖縄の人たちの多くは、やはり地縁血縁で結びつきのあるこの地域へ向かった。戦後日本の重工業産業の発展を支えた京浜工業地帯だ。

ただ同じ沖縄県人といっても、より狭い地域の地縁血縁を重視する沖縄の人たちの気質から、京浜工業地帯の中でも鶴見と川崎では出身者の割合が異なる。

鶴見には主に国頭郡(くにがみぐん)出身者が多く住み、川崎にはその南側に位置する中頭郡(なかがみぐん)出身者が多かった。国頭郡とは沖縄本島の北部に位置する、いわゆる「山原(やんばる)」地方のこと。「ちむどんどん」のヒロインたちの故郷も「やんばる」だ。


ざっくり場所を示した地図(© OpenStreetMap contributors)


高度経済成長期を経て、1972(昭和47)年についに沖縄は本土復帰を果たす。これによって、沖縄県人の本土との往来が一層活発化するが、さらに大きな状況の変化は1990年前後のバブル期に起こる。

入管法も改正され、人手不足の企業の労働力を補うべく、戦前戦後に南米に移住した日系人と親族を日本は積極的に受け入れ始める。その結果、大勢の日系二世・三世の働き手が日本を訪れ、そのうち沖縄県系の人々の多くが鶴見へやってきた。

すでに紹介した仲通りの南米料理店がなぜここにあり、それがなぜ「沖縄タウン」の歴史と深いつながりを持つのか、その理由はここにあった。


同店店先のメニュー。「ペルー風の中華料理」というハイブリッド感が面白い


バブルが弾けて以降の日本では、1990年代に多くの沖縄出身ミュージシャンが脚光を浴び、2000年代に入ると連続テレビ小説「ちゅらさん」が大ヒットし、今では国内最強の観光地となり、いつしか日本人にとって沖縄は憧憬の地と化した感がある。

その間、ここ鶴見沖縄タウンは、ヤマトンチュー(本土の人)とウチナーンチュ(沖縄の人)だけではなく、南米・アジアなどさまざまな多文化が共生する街として注目される。

そして今では、鶴見区役所が『鶴見DE多文化リーフレット』を発行するなど、「多文化のまちづくり」に行政も積極的に取り組んでいる。




沖縄タウンへ、ふたたび





最初の現地取材時の自治会掲示板ポスターで、数日後に年に一度の沖縄タウンの大きな祭り「仲通り道じゅねー」が開催されることを知り、当日ふたたびこの地を訪ねた。

開催日は2022(令和4)年8月21日の日曜日だ。今回は、沖縄タウンがいかに臨海工場地帯と近接しているかを肌で感じるべく、JR鶴見線・浅野駅で下車した。


浅野駅はほかの鶴見線のほとんどの駅同様、無人駅だ


駅名はもちろん前述した浅野財閥の創立者・浅野総一郎にちなむ。浅野は埋め立て地に自前の鉄道も敷設した。その名も「鶴見臨海鉄道」。現在のJR鶴見線の前身である。


駅を出ると右手は臨海工場地帯


そして、反対の左手を進めば沖縄タウンがある。


左手側の眺め。こんもりと緑が茂る場所は前回取材した入船公園


入船公園を左に見て、産業道路を越えてゴム通りを進むと、仲通りと接する入船小学校入口交差点までは、ほんとうにすぐだ。徒歩5分程度。


© OpenStreetMap contributors)


仲通りに入り、おきつる会館に向かって歩いていくと


前回閉まっていたお弁当屋さん「うまかべん」が営業中だった



念願のポーク玉子ムスビ(税込250円)をゲット!


卵焼きも分厚く、ポークの塩味と卵焼きの甘みがいいバランスで美味なり。


「うまかべん」のすぐ先のおきつる会館の前には大勢の人だかりが


前回取材時とはまったく異なる印象に、少々面食らう筆者。

現地に到着したのは祭りの開始1時間前の午後4時頃だったが、すでに沿道に腰を下ろし場所取りをする人の姿がたくさん見られた。
そして、その数がさらに続々と増えていき…


開始直前にはこんな状態に



おきなわ物産センターの店先も大にぎわい



向かいの料理店「若竹」にも出店が



そしていよいよ「道じゅねー」が始まる


エイサーを披露するのは舞踊団体「鶴見エイサー潮風(うすかじ)」の総勢50名ほど。大太鼓の音が天にも届くような力強さで鳴り響く。

練り歩きは3部構成になっていて、その間には三線を奏で琉球民謡を披露する場面も。


よく見ると演奏しているのは南米系の子どもたちだ


観衆が温かく二人の演奏を見守る。まさに「多文化共生のまち」を象徴する光景だ。


日も暮れ始めた頃、最後のエイサーがおきつる会館の前で行われた



そしてフィナーレでは、観客も一緒になってカチャーシーを舞い踊る


今日、わずか数時間の滞在で、この地のイメージがすっかり変わってしまった。ここは確かに「沖縄タウン」だった。




鶴見沖縄県人会会長に話を聞く





「仲通り道じゅねー」開催の数日後、みたび同地を訪れた。横浜・鶴見沖縄県人会会長の金城京一(きんじょう・きょういち)氏にお会いするためだ。


面会場所はおきつる会館の3階。おきなわ物産センターの右横にある階段を上る



3階に上がると「一般財団法人おきつる協会事務所」と掲示された扉があった


前述したようにこの建物の正面壁面には「鶴見沖縄県人会会館」と「財団法人おきつる青少年育成会会館」の二つの表示があるが、これはこの建物が竣工した1980(昭和55)年当時の組織名だ。

終戦直後に結成された全国組織「沖縄人連盟」の鶴見支部がのちに「鶴見沖縄県人会」に改組し、そこから「財団法人おきつる青少年育成会」が生まれ、さらに同会が「一般財団法人おきつる協会」に移行…と、沿革を紐解くと部外者にはなかなかややこしい。

ともあれ金城氏は現在「一般財団法人おきつる協会理事長」にして、「横浜・鶴見沖縄県人会会長」である。「横浜・」と付いているのは、大阪の鶴見と区別するためだという。

お訪ねすると、話を伺う前に事務所の奥にある場所にいざなわれた。


そこは、驚くほど広いホールだった


ここで日常的に琉球舞踊教室の稽古などが行われ、また観客を入れて、さまざまな沖縄文化を紹介する公演も催されている。


ホールの壁面に貼られていた写真



歴代の県人会会長の写真も掲げられていた


金城会長はまさに純正沖縄人という印象の方だった。それもそのはず、会長は国頭郡にある古宇利島(こうりじま)の出身だ。1949(昭和24)年生まれの会長は、1968(昭和43)年に那覇から船に乗って本土に来た。つまり戦後派の一世に当たる。

ちなみに古宇利島は2005(平成17)年に沖縄本島とつなぐ古宇利大橋ができて以来、観光客が急増している。その故郷に8月初旬に帰郷した会長が、鶴見沖縄タウンに戻ってきた当日、取材に応じてくれた。


金城会長。舞台奥の背景はもちろん首里城(しゅりじょう)だ


――「沖縄タウン」ということで、メインストリートの仲通りには、まるで中華街のように沖縄関係の店がずらっと並んでいるのかな、と錯覚してしまったのですが。

確かに昔と比べるとお店の数はずいぶん減ってしまいました。でもそれはこの地域だからというよりも、経営者の高齢化や後継者不足、大手チェーン店の進出など、全国各地の商店街の実情と同じです。また、郷里の沖縄に帰った人も少なくありません。


――商店街としてもっとも活況を呈していたのはいつ頃でしょうか?

昭和50年頃から63年頃まででしょう。平成に入ってから急に少なくなってきました。


仲通り商店街から一筋隣りの潮田銀座商店街の現在


――なるほど、それはどこの商店街でも共通して言われることですね。

ただ、お店の数は減っていても、この地域に住む沖縄県系の住人はむしろ今のほうが増えていると思います。


――『おきつるコミュニティQ&A』では1万3000人ぐらいと書いてありますが。

それよりもう少し多いかもしれません。よく3万人などと言われることもありますが、さすがにそんなにはいないと思います。


仲通りと産業道路の間の区域で目に留まった密集する家並み


――先日「仲通り道じゅねー」を拝見し、大変感動しました。コロナ禍の中、去年・一昨年は開催されたのですか?

いえ、3年ぶりの開催です。とはいえ、時節柄練り歩きの距離など規模は縮小しました。そのほか沖縄角力大会、おきつる運動会、おきつる芸能祭など、主な行事は2年間軒並み中止になりました。

このうち角力大会は、今年は場所を入船小学校から入船公園に移して、7月31日に3年ぶりに開催することができましたが。

また、毎年秋に入船公園で催される「鶴見ウチナー祭」は、去年はリモートで行われ、今年は今のところ通常開催を予定しています(筆者注:取材時の情報)。


コロナ禍前、2019年の角力大会(写真提供:横浜・鶴見沖縄県人会)


――「道じゅねー」では、南米系の子どもたちの沖縄民謡の演奏シーンがとても印象的だったのですが。

実は沖縄からこの地に来た人たちの二世・三世は、県人会の活動にあまり興味を持たない傾向にありました。むしろバブル期に南米から移住してきた沖縄系の若者たちのほうが、とても熱心に関わってくれたんです。

彼らは日本の標準語はわからなくても、ポルトガル語だけではなく私たち以上に昔ながらの沖縄の言葉を知っていて驚きました。いわば彼らこそ生粋の沖縄人の子孫だったのですね。


「道じゅねー」取材時に見つけた仲通り沿いのブラジル料理店。サトウキビジュースもある


――この地域ならではの「多様性に内在する力」を象徴するようなお話ですね。鶴見沖縄タウンのこれからに向けて、金城会長からメッセージをいただけますか?

この地域には今、琉球民謡やエイサーなど沖縄の伝統文化を学べる教室がたくさんあります。そこには沖縄にルーツがある人たちだけではなく、ただ「沖縄が好きだから」という人たちも多く参加しています。

私たちも近々ホームページを立ち上げ、その中で県人会の会員になる方法などを伝えていきたいと思っていますが、これからはもっと、沖縄に興味を持つ人なら誰でもオープンに入会できるような県人会となって、この街を活性化していきたいですね。




取材を終えて




本文中「日本人にとって沖縄は憧憬の地と化した感がある」と安易な表現を記したが、もちろん今なお沖縄は日本の国土にある米軍基地の大半を占め、また、観光業のほかに確固とした基幹産業を持たない沖縄と本土との経済格差も大きいままだ。

沖縄のことを考えるとき、こうした負の側面に目をつむってはならないだろう。
だがそれにしても、いや、それだからこそかもしれないが「仲通り道じゅねー」のあのエネルギーを前にすると、やはり沖縄の人ってすごい、と思わざるをえない。

なんてったってたくましく、かつ、なんてったって優しい。それが沖縄の魅力だ。
横浜に暮らす人々が、そんな沖縄を感じられるもっとも近しい場所、それが鶴見の沖縄タウンだ。

―終わり―

取材協力

横浜・鶴見沖縄県人会
住所/横浜市鶴見区仲通3-74-14
電話/045-511-9813

横浜市中央図書館
住所/横浜市西区老松町1
電話/045-262-0050
開館時間/火~金9:30~20:30、その他9:30~17:00
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kyodo-manabi/library/tshokan/central/

参考資料

『おきつるコミュニティQ&A』佐藤冬彦著、横浜・鶴見沖縄県人会発行(2022年6月刊)
『沖縄・思い遥か』屋良朝信(文)・新井克英(写真)著、AWAWA発行(2017年11月刊)
『沖縄タウン鶴見マップ』鶴見区区政推進課発行(2019年4月刊)

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  • 依頼者です。鶴見には深い理由があっての事とは想像しておりましたが、想像を遥かに超える深く、辛く、そして優しく、暖かい理由があった事を知り.涙が止まりません。記事と冊子と歴史年表を見比べ、何度も記事を楽しませていただきます。ありがとうございました!

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