戸塚区の品濃一里塚が県の史跡どまりとなっている理由は?
ココがキニナル!
東海道の一里塚は戦後の都市開発でほとんど消え、場所すら特定できないものも。静岡は左右とも残るのは国の史跡レベルなのに戸塚の品濃一里塚は左右とも残っていてどうして県の史跡?(taigaa001さん)
はまれぽ調査結果!
貴重な一里塚なのは間違いないが当時のまま左右とも残っていると言えるのかは微妙。県の史跡なのは道路や一里塚の管轄の違いによるものと推測される
ライター:中田 淳也
まず、一里塚とは何なのかということを説明すると、「街道で一里(約3.927km:筆者注)ごとに道の両側に土を盛り、エノキなどを植えて、距離を示す目印とした塚。江戸幕府により全国に設置。里程標(『大辞林 第三版』)」ということになる。
また別の資料によると、その大きさは約9.1メートル四方といわれているが、ほとんどは丸塚となっており直径約12~15メートル、高さ約2.7~3.6メートルぐらいだという。
場所によっては休息所を兼ねていたところもあるので、現代風に言えば国道のキロポストと道の駅を足したようなものということになるだろう。
国道のキロポスト
江戸時代の主要街道である五街道に含まれる東海道にも、各地に一里塚が設置された。資料によって東海道の一里塚の数え方が異なるので具体的な数字は控えるが、いずれにしても投稿者が言うように現存しているものはほとんどない。その中で左右とも残っている戸塚区にある品濃一里塚はたしかに貴重な史跡である。
品濃一里塚に行ってみる
まずは品濃一里塚の現状がどうなっているのかを探るべく現地にて調査。JR東戸塚駅から徒歩10分ほどで行くことができる。
品濃一里塚地図(戸塚区区民生活マップより)
上の地図の赤線が旧東海道で、南に行くと東戸塚駅への連絡通路へつながる。旧東海道を挟んで西側が品濃町、東側が平戸4丁目になる。また、思ったよりも大きな一里塚である。
現地には品濃一里塚の案内板などがあり
上の画像の脇道に入っていくと品濃一里塚公園がある
品濃一里塚公園の全体像
公園内(塚の上)に「神奈川県指定史跡」の標柱が
旧東海道を北側より撮影
品濃一里塚の案内板の向かい側(旧東海道から平戸側)のようす
平戸側の塚の上部も公園(一里塚公園)となっている
平戸側の塚の頂上から見た案内板
それなりの大きさで地上から全景を撮影できないため多少分かりにくいかもしれないが、たしかに左右両方の塚が残っており、その上部はそれぞれ公園として整備されている。
ひとまず品濃一里塚の現状を知ることができたので、ほかの一里塚についても調査してみることに。