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旧東海道散策など見どころ満載のはま旅Vol.63「鶴見市場編」

ココがキニナル!

横浜市内全駅全下車の「はま旅」第63回は、旧東海道散策と美味しいお店の人気メニューに舌鼓。見どころ満載の鶴見市場駅。

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ライター:篠原 章公

旧東海道を散歩

下調べによれば、駅近くを通っている旧東海道沿いに一里塚が残っているようなので、ここで一旦駅に戻り、そのあたりをふらっと散歩してみることにした。

駅を出て「アルム」や第一京浜とは逆側、「市場銀座」と呼ばれる商店街を歩いていく。
 


シャッターを下ろした商店が目立っていたのが残念


すると突きあたる道路が、旧東海道。
前方には熊野神社。これを左折する。
 


熊野神社を左折
 

こういった通りを歩いていく


地元の方々が行き来する通りを進んで行くと、時折「旧東海道」と書かれた看板を見ることが出来る。
 


このような看板が設置されている
 

通り沿いのお宅には見事なアジサイも咲いていた


旧東海道に入って7~8分は歩いただろうか。進行方向左手に、日本橋から京都方面に向かう道中に現存する最初の一里塚・市場一里塚に到着した。
 


市場一里塚


この一里塚は、慶長9年(1604年)に徳川幕府が東海道を整備した際、旅行者の目標と人馬の休憩の目安として造られたもので、日本橋から五里目(一里=約4kmなので、日本橋から約20kmの地点)にあたる。
右側に見えるのは、昭和8年(1933年)に建立された「武州橘樹郡市場村一里塚」の石碑。
 


「武州橘樹郡市場村一里塚」の碑


歌川広重「東海道五十三次」の絵を思い浮かべながら、昔の旅人はここで休憩していたんだな…などと思いつつ、さらに足を進める。

すると目の前には鶴見川にかかる大きな橋、「鶴見川橋」が現れた。
 


鶴見川橋に行きあたった


せっかくなので川沿いを散歩。
 


左手には京浜急行が走っていた
 

近くまで行けたので撮ってみた
 

鶴見川橋全景


橋を渡り切ると、鶴見橋関門の旧跡が。
 


関所があった事を示す石碑が建っている


近くに建てられていた説明書きによれば、安政6年(1859年)横浜開港に伴い、神奈川奉行は外国人に危害を加えることを防ぐ目的で、横浜へと続く主要な道路に番所や関所を設け、横浜に入るものを厳しく取り締まった。
その一環として鶴見橋関門が設けられたのは、万延元年(1860年)のこと。機能したのは世情が落ち着くまでの約10年間であったという。
先ほどの一里塚も同様、横浜の歴史を感じることが出来る重要なポイントであることは間違いない。

これにて旧東海道沿いの散歩も終了!
駅まで戻り、本日の締めとなる最後のお店を探すことに。