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ノープランで行く、出会いと発見の旅。はま旅Vol.94「井土ヶ谷編」

ココがキニナル!

横浜市内全駅全下車の「はま旅」第94回は、ノープランで「井土ヶ谷駅」の住宅街をめぐる、出会いと発見の旅。

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ライター:ナリタノゾミ

横浜市の地域史跡「井土ヶ谷事件の跡」

「KuKuRu」を出て、平戸桜木道路を南太田方面へ移動する。
井土ヶ谷交差点から蒔田寄りの裏通りを進むと、間もなく「井土ヶ谷事件の跡」を発見することができる。

1864年10月14日(文久3年9月2日)、現在の井土ヶ谷下町3の付近にて、フランス陸軍アフリカ猟歩兵第3大隊所属のアンリ・カミュが、浪人体に切り付けられ死亡。この殺人事件が「井土ヶ谷事件」と呼ばれている(史跡説明文より)。
 


事件現場は、この史跡から約110メートル南東の場所だそう


犯人逮捕に至らなかったことから、横浜居住の外国人は幕府を強く非難した。また幕府は謝罪使をフランスに派遣し、謝罪の上、遺族への扶助を申し出るなどの処置を施したという。
生麦事件から約2年後に起きた井土ヶ谷事件もまた、大きな国際問題に発展していたことを知る。



ばぁばの駄菓子屋



史跡から進路を変え、清水ケ丘方面に進む。
平戸桜木道路に出ると、手書きの看板が見えた。
 


大通りの喧騒と字面の素朴感のコントラストに思わず引き寄せられる


入店するも店内には「ばぁば」らしき人物はおらず、様子をうかがう。
 


駄菓子は昔懐かしいラインナップ

 


ドリンクだって100円を超えない。これぞ駄菓子屋


間もなくして、店舗奥から現れたのは、「駄菓子屋ばぁば」の「ばぁば」こと、永井さん。
突撃取材に戸惑っている様子であったが、事情を説明すると取材を快諾してくださった。
 


30年間、「駄菓子屋ばぁば」を切り盛りしているという永井さん


もともとは金物雑貨を取り扱っている店舗であったが、時代の流れとともに集客数が減り、30年ほど前から駄菓子屋を始めた。
「主人に先立たれて、もう閉めてしまおうと思ったこともあるけど。息子が、『ボケ防止になるから止めないで』って言ってね」と、笑った。
 


商品を差し出すと、瞬時に暗算し、手際よく袋詰めしてくれる


近所には市立南太田小学校や市立蒔田中学校などがある。
「平日は子どもたちでいっぱいよ」
取材当日は日曜だったこともあり、子どもたちの姿は見られなかったものの、賑やかな笑い声が聞こえてきそうな店内に、顔がほころぶ。
 


授業を終えた子どもたちを温かく迎える


「最近は大人のお客さんも多いわね。『懐かしい』って喜んでくれるのよ」
幼少期に駄菓子屋に親しんだ世代が、懐かしさを求めて来店するという。
 


購入した駄菓子はもろもろで160円!
あんず棒は冷えているうちに即消費してしまった


営業時間はお昼頃から17時頃まで。休日もおおむね営業しているというから、襟を正される。

掲載後に再訪することを約束して、同店を後にした。
平戸桜木道路を横断し、清水ケ丘に向け住宅街へ突入する(なお、大原隧道については別案件で調査中のため、今回は取り上げない)。
 


途中、公園にて水色のパッケージに入った「面白ボーイⅣ」を飲む

 


はずれた・・・

 


いよいよ旅も佳境に