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JR桜木町駅周辺に存在した幻の島「姥島」って!?

ココがキニナル!

横浜の浮世絵や古地図にある、埋め立て前の桜木町辺の「姥島」という島。今は埋立て地ですが現在のどのあたり?痕跡などは?(象の鼻さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

姥島があったのは現在のJR桜木町駅周辺だが、埋め立てにより痕跡はない。もっとも、姥島に祀られていた神は、現在、伊勢山皇大神宮に祀られている。

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ライター:ナリタノゾミ

奇妙な岩として愛された島

 (つづき) 


横浜港から野毛の浦を見た図(再現イラスト:ナリタノゾミ)


上掲のイラストは、浮世絵によく使われるアングルから見た野毛の浦を再現している。
番号はそれぞれ、①姥島②野毛の浦③平沼橋④弁天社⑤太田屋新田⑥吉田橋⑦吉田新田⑧伊勢山・・・となっている。
上掲の絵を地図に起こすと、以下のような位置関係になる。
 


記事末尾にあげた文献に基づく、1860年代の野毛の浦、周辺地図


なお、地図には、伊勢山の陰に存在するランドマークたる⑨野毛橋(現・都橋)⑩太田屋新田内の沼地、を加えた。また、再現イラスト上の③平沼橋は情景がわかりやすいようにと便宜上加えたものの、地図を起こすとだいぶはみ出る位置にあったため省略した。

現在の地図と比較してみよう。
 


上掲地図と比較した現在の地図
 

両者を比較すると、吉田橋の架かる桜川(現・首都高速神奈川1号横羽線)と、大岡川の交わるあたり一帯が、かつては内海になっていたこと、そして、その内海と桜川が埋め立てられ、大岡川が延びたことがわかる。野毛~高島町の埋め立てが完成したのは1871(明治4)年頃。内海の埋め立てに伴い、姥島が姿を消したのもこの頃ではないかと考えられる。
 

埋め立て前の景色から姥島の場所を予測する



では、イラストと地図に振った①~⑩のスポットをめぐりながら、姥島の位置を推定しつつ、江戸時代後期の景色とにぎわいにも触れていきたい。

姥島(①)が存在したあたり一帯は、「野毛の浦」(②)と呼ばれた。
現在の野毛町、花咲町、宮川町にかけてが「野毛の浦」に該当する。
再現イラスト上の③の橋は帷子川に架かる「平沼橋」である。

野毛の浦沿岸は、一部が切り立つ崖であり、崖の下には白波の寄せる浜辺が広がる。
この海岸では高品質の牡蠣やアサリ、海苔を生産していたので、江戸時代には御用幟(のぼり)を立てた押送船(おしおくりぶね)が、毎日のように江戸へ向かっていたという。
 
野毛の浦は遠浅の砂浜で、海面には海苔を養殖するために海中に立てられた篊(ひび)が並んでいた。
 


「江戸名所図会」の中の、丸で囲った部分に海苔養殖用の篊(ひび)が描かれている


大岡川には野毛橋(⑨/現在の都橋)が架かり、対岸の吉田新田(⑦)と繋がる。吉田新田の沼地では上質のウナギが獲れたそうで、野毛の浦に店舗を構える「ウナギ屋勘左衛門」が提供する蒲焼は、頬が落ちるほど美味だったとか。

野毛の浦の北側には伊勢山(⑧)がそびえ、海を望む断崖には、松が点在した。野毛の浦は、姥島、そして、大岡川を挟んで対岸にある弁天社(④)の森と一体になり、美しい光景をなしていたという(「横浜中区史」より)。
多くの浮世絵で、弁天社と姥島がセットで描かれているのは、そのためであろう。

また、「杉田日記」には、約5年で島の形状が変化したことを示唆する記述があるため、姥島が存在したのは、波による浸食(しんしょく)の影響が比較的強い内海の入り口付近と推定できる。

ということは、姥島は、野毛の浦エリアに含まれる内海の入口付近で、かつ、弁天社のあった半島の延長線付近に存在したのではないだろうか。
果たして、その場所をピンポイントで特定することはできないが、下掲画像の赤の楕円で着色したエリア、すなわち、JR桜木町駅構内を含む周辺エリアと推定することができる。
 


赤の楕円で着色したエリアに姥島があったと推定できる
 

JR桜木町駅周辺のどこかに姥島があった!?