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横浜に700回以上献血している人がいるって本当?

ココがキニナル!

横浜駅西口の献血ルームに献血者が自由に書き込むノートを見ると700回以上献血してる人が。そんなに可能なの?その人の腕はどうなってるの?(orcaさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

現在の採血基準より、数字上は男性で16~69歳まで最大1260回の献血が可能。1101回の献血記録を持つ若林さんの腕は・・・逞しかった

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ライター:秋山 千花

献血1000回越えの「凄腕」を拝見!



1000回越えの「凄腕」を追って訪れたのは横浜市金沢区「富岡総合公園」
 

緑あふれる公園内を歩いていると血液まで浄化されそう


調べによると、献血回数1000回越えの大台記録保持者である若林武正(たけまさ)さんは、現在「横浜市アーチェリー協会」の会長を勤めているらしい。
 


歴史ある富岡総合公園のアーチェリー場。遠くに見えるのが・・・
 

的です
 

そして、利用者のためにその的の管理などを行っているこの方が・・・
 

1000回越えの「凄腕」を持つ若林武正さん


1940(昭和15)年5月25日生まれの若林武正さんが始めて献血を行ったのは、1956(昭和31)年5月25日、献血が可能となった16歳の誕生日のこと。

「1946(昭和21)年、ちょうど終戦の年に小学校に入ったからね。当時は貧しくて、栄養失調で亡くなる友人も少なくなかった」と若林さん。父親は相模原市の相模大野にあった旧陸軍病院の施設内で戦傷兵のための職業訓練を行っており、傷病兵の死について耳にすることも多かったという。

「ある時、父親に聞いたのよ。『一番滋養のあるものは何だ?』ってね。そしたら、父親が『血液だ』って言って。それで16歳の誕生日に、脇目もふらず献血に行ったんだよ」と献血を始めた動機を語る。

数をこなすことが目的ではなかったため、賞状や献血カードもすべてが残っているわけではないという。それでも、かき集められた献血カードはこんなにたくさん。
 


「まさかこんなに長くやるとは思っていなかった」と若林さん


始めての献血を行ったのは、通っていた高校から歩いて行った広尾の日本赤十字社本社。その後、大学を経て横浜学園中学・高等学校の社会科教諭・アーチェリー部顧問となると、県内を中心に時には出張先などでも献血に勤しんだ。

「もう、足が勝手に向かっちゃうんだよ」とのことで、献血を引退した今でも大事故のニュースなどを見ると「行ってやらなくては」と思ってしまうのだとか。

知らされた次回献血可能日に従って、ほぼ2週間に1度のペースで献血ルームへ行ったていたそう。
 


2週間ごとに献血していたことが分かる献血手帳


もちろん定期的に献血を行うために自身の健康にも充分な注意を払っていたという。高校教諭として働いていた間も仕事を休んだのはたった2日だけ。「定期的に血液を抜いていたからいい血が流れているんじゃないかな」と笑う若林さんは、実にエネルギッシュで実年齢よりはるかにお若く見える。
 


もらった記念品の中で一番のお気に入りは赤十字マーク入りの腕時計


最後の献血は70歳の誕生日を迎える前日の2010(平成22)年5月24日に行った。
 


献血1000回を記念したカード


16歳の誕生日から69歳最後の日まで献血に精力的に取り組んだ若林さん。その最終的な記録は、なんと驚きの1101回!! いっ・・・痛い!

では、ぜひその腕を・・・
 


じゃじゃん! こちらが献血回数1101回の「凄腕」


「別になんということもないよ」という言葉通りきれいな腕。いや、むしろ逞しい立派な腕・・・

「経験から言うと、神奈川県の献血ルームにいる看護師さんはみんな採血が上手だよ」と若林さん。熱心に献血に取り組む父親の姿を見て、若林さんの2人の息子さんも献血を続けてくれているのだとか。

昨今、若者の献血離れが深刻な問題となっているが「輸入血液に頼ることなく、国内で安心・安全な血液を供給してほしい」というのが若林さんの切なる願いだ。
 


管理するアーチェリー場に献血の広報誌を置くなど、献血の普及にも意欲的


血液センターによると、現在、輸血用血液は献血によって100%国内自給されているとのことだった。