横浜自由通路前に設置された「赤い靴の女の子」にある歌詞の内容が「嘘」って本当?
ココがキニナル!
横浜駅にある、赤い靴の女の子の歌の歌詞は嘘?実は、異人さんに連れていかれていない!?東京の麻布、六本木の周辺にて「この地に眠ります」と書かれている?事実はどんな話なの?(るぱんさん、しげさん)
はまれぽ調査結果!
有力な説は「赤い靴の女の子は『異人さん』の養女になったが結核で渡航できず日本に残留、麻布の孤児院で亡くなったため像が麻布にある」というもの
ライター:福原 麻実
「赤い靴の女の子」の生涯
文献を探していると、1979(昭和54)年3月に出版された『赤い靴はいてた女の子』(菊池寛著/現代評論社)が見つかった。既に絶版となっているこの本は、山下公園の像の除幕より先に出版されているが、そのころには既に像の制作に入っているであろうこと、またこれより前に同様の出版物が見当たらないことから、松永さんの仰った「モデルを検証する本」であろうと思われる。
残念ながら「赤い靴」の文献は決して豊富ではない(フリー素材より)
この本をはじめとする数冊の本を参考に情報をまとめると、下記のようになる。
赤い靴のモデルとされる女の子は「岩崎きみ」といい、1902(明治35)年に静岡県不二見村(現在の静岡市清水区)に生まれた。母親の名前は岩崎かよ。父親は分からない、私生児であった。
父親を知らない赤ちゃん。かよは当時18歳、両親は既にいなかったという(フリー素材より)
静岡県・日本平にある像。母子の永遠の幸せを願って建てられた(静岡市観光交流課提供)
母子二人は函館に移り住み、かよは働きながらきみを育てていた。やがて、かよは鈴木志郎という男性と知り合い、志郎はかよに娘がいることを知った上で求婚した。
北海道の玄関口・函館(フリー素材より)
結婚することになった志郎とかよの元に「開拓団(明治政府が募集した北海道開拓政策を行うための移民たちのこと)に参加しないか」という誘いが舞い込んだが、過酷であろう開拓生活に幼いきみを伴うことには不安があった。そのため、かよはアメリカ人宣教師であるヒュエット夫妻にきみを託したのだった。このヒュエット夫妻が、歌詞に出てくる「異人さん」である。
2009(平成21)年に設置された、函館の『赤い靴の少女像』(はこだて赤い靴の会提供)
ほどなく北海道虻田郡真狩(まっかり)村(現在の留寿都村)に入植した志郎とかよであったが、開拓生活は困難を極め、小屋も火災で失われた。
赤い丸で囲んだのが留寿都(るすつ)村
開拓団は2年で解散、志郎とかよは札幌に引き揚げた。その後、志郎は新聞社に就職し、野口雨情と知り合った。
札幌。像ではないが山鼻地区に「赤い靴」の歌碑が設置された(フリー素材より)
一方、きみはヒュエット夫妻に大切に育てられていたが、不幸にも結核に罹ってしまう。そんな中、ヒュエット夫妻に帰国命令が下った。しかし既にきみの病状は重く、長い船旅に耐えられない状態だったため、きみを麻布にあった鳥居坂教会の孤児院に預けて帰国した。病と闘い続けたきみであったが、1911(明治44)年9月15日、9歳でその生涯を閉じた。
実母とも養母とも離れ、9歳で亡くなってしまった(フリー素材より)
赤い靴はいてた女の子の眠る土地
麻布にあった孤児院で、きみちゃんは亡くなったとされる。投稿にあった「赤い靴の女の子の銅像に“この地に眠ります”と刻まれている」というのは、そのためだろうか。
「この街に眠っています」とある
麻布十番商店街に問い合わせ、像を管理されているのは山本仁壽(やまもと・きみとし)さんという方だと教えていただいた。残念ながら、2011(平成23)年に既にお店をたたんでおられることもあり、対面での取材は叶わなかったが、電話でお話を伺えた。
麻布十番商店街
山本さんは商店街やこの像について紹介する「麻布十番未知案内」というウェブサイトの作成や、像と一緒に置かれた募金箱に集まった募金の寄付など、赤い靴の像にまつわる活動を長く続けておられるそうだ。
麻布十番の「赤い靴の女の子像」のモデルについて伺うと「きみちゃんですよ」とのことだった。
「像が完成したのは1989(平成元)年、全国で3番目の赤い靴像です」と、山本さんは仰った。
像の足元にある募金箱。恵まれない子どもたちのために寄付される
―「赤い靴」の歌詞では、女の子は異人さんに連れられて行ってしまいましたが、モデルとされているきみちゃんは、海を渡ることなく麻布で亡くなったのですか?
「そうですよ。鳥居坂教会の孤児院で」
その孤児院があった場所には現在「十番稲荷神社」が建っているという。
十番稲荷神社
亡くなった土地に建てられた像。赤い靴の女の子の視線の先には、何があるのだろう? 実物を見るため、麻布十番に行ってみた。
目指すは真ん中当たりにある緑の「パティオ十番」
犬を散歩させていた女性に道を尋ね、途中の案内を確認し、珍しく迷子にならずスムーズに像を発見した。
あった。台座の上にちょこんと乗っている
ブロンズと石でできた像。右手をポケットに入れている
女の子の視線の先には、穏やかな街の姿