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山手の歴史ある「横浜ユニオン教会」に教会初の日本人牧師がいるって本当?

山手の歴史ある「横浜ユニオン教会」に教会初の日本人牧師がいるって本当?

ココがキニナル!

1863年創立の横浜ユニオン教会を取材して下さい。英語で説教する教会ですが、現牧師の斎藤氏は教会初の日本人牧師で、着任以来、最長在任期間を記録。戦争で破壊された教会堂を再建した立役者です(ヨハンさん)

はまれぽ調査結果!

横浜ユニオン教会は関東大震災や横浜大空襲を経験し、今日まで存続してきたプロテスタントの教会。斎藤顕牧師は同教会で初めての日本人牧師で、この5月にアメリカに帰るとのこと

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ライター:松崎 辰彦

アメリカで牧師をしていた



さまざまな出来事があった横浜ユニオン教会。先に述べたように歴代の30人以上の牧師の中で日本人は斎藤牧師のみである。そこにはどのような経緯があったのだろうか。

「私がこの教会の牧師に選ばれた理由は、私が新教会設立の経験を持っていたからでしょうね。アメリカで牧師をしていたころ、新しい教会を作る事業に立ち会って、そのプロセスを経験していました。それで横浜ユニオン教会から招聘されたわけです。もとよりこのような事業は日本語ができなければやれるはずありませんから」と教会建設の経験を買われて自分が選ばれたのだろうと語る。

そもそもなぜ斎藤牧師はアメリカで牧師をしていたのか? ここから興味深い話が展開した。



神学校で運命が決まる



「私は東京都港区で生まれました。父方では3代目、母方では4代目のクリスチャンです。『お父さんも牧師だったんですか?』とよく訊かれますが、そうではなくて父は機械の研磨の仕事をしていました」
斎藤牧師は庶民的だった子ども時代を回顧する。

クリスチャンの両親の下、自分も教会で育ったという斎藤牧師。日曜日には教会に行き、牧師の説教を聞いていた。友人も教会関係が多かった。ならば牧師になるのは自然の成り行きのように思われるが、ご本人いわく「子どものころは『こんなバクチみたいな仕事、自分が就くわけない!』と思っていました(苦笑)。もっと安定した仕事に就くつもりでした」と牧師職は眼中になかったことを打ち明けてくれた。

 

2004(平成16)年に新しい教会堂で撮影
 

教会育ちであったがゆえに、牧師という仕事の影の部分も見てきた。

「教会にはいろいろな人がきます。そういう人たちに一人ひとり、対応しなければならない。そして何かあると『牧師のくせに・・・』と言われる。こんなに人に批判され続ける仕事はありません」と苦笑いする。

 

聖餐台(せいさんだい)。聖書が置かれている
 

慶応大学文学部哲学科で学んだ斎藤牧師だったが、当時の先生とは相性がよくなかったらしく、ケンカばかりしていたとのこと。

牧師はいやだったが、大学入学後は教会関係の仕事に就くことを希望するようになったという彼は、1978(昭和53)年にアメリカに渡り聖書大学(バイブル・カレッジ)に入学する。この学校は、文字通り聖書の内容を専門的に教える大学である。

「聖書の先生になろうと思い、入学しました。ところがそこはキリスト教原理主義の学校だったんです。聖書の記述はすべて正しいとする思想で、科学的知識も否定する。私も『進化論に反対する論文を書け』などという課題をやらされました(苦笑)。彼らの論理や主張には何の正当性もありませんでした」
偏った内容の授業を受け、盲目的な信仰の愚かしさを実感したとのこと。

 

英語の本も多い
 

その後に神学校(牧師など伝道者を養成する学校)に入学する。大量の本を読まされるなど勉強は大変だったようだが、そこである運命的な出来事に遭遇した。

「ある人が本当に感動的な説教をしたんです。私は『ああ、御言葉(みことば)をこういうふうに伝えればいいんだ。こういうふうに御言葉を伝え、こういうふうに語る人間になりたい!』と涙ながらに思いました。あのときの感動は今でも忘れません」
その時の胸の震えを思い出しつつ語る斎藤牧師。あれほど嫌がっていた牧師になることを決意した瞬間だった。

「人間の運命は不思議ですね。不思議ですよ。だって神様が介在するからね」――



リーマンショックと東日本大震災



「アメリカで牧師になり、20年以上滞在しました。日本に来たのは1996(平成8年)年です。今日までいろいろありましたが、中でもリーマンショックと東日本大震災は大きな変化でした。アメリカの景気が悪くなると日本にも影響するんです。ここの教会員のアメリカ人の多くが経済的に苦しくなり、本国に帰りました。そして、東日本大震災でも多くの外国人がいなくなりました。現在この教会にいる外国人は、配偶者が日本人である場合が多く、本日司会をしてくれたアメリカ人もそうです」

世界の景気や経済の行方は、このようなささやかな信仰の場にも影響を及ぼすのである。
現在教会員は約30人。小さな教会だが、会員間の絆は強いようである。

 

礼拝後、参加者と懇談する斎藤牧師
 



多くの人に慕われる斎藤牧師



こうした人たちに囲まれつつ、斎藤牧師はいう。

「アメリカで暮らした経験からいうのですが、日本人はネゴ(ネゴシエーション、交渉)ができませんね。お互いが平等な立場で手の内を見せあって、『私はこれを持っている。私はこれがほしい。あなたは何をもっていますか?』というやりとりができない。相手を上から見下すか、下から見上げるかの関係しかない。だから『おれの言うことを聞け』か『あなたの言うことをすべて聞きます』になってしまうんです。これじゃあパワハラになるのも当然です。
日本企業の海外進出がうまくいかない例が多いのは、そのためでしょう。アメリカ人も中国人も、そして韓国人もシビアなトレードをしてきます。日本人はもっとコミュニケーションスキルを磨いた方がいいですね」

日本とアメリカという二つの文化を知る者として冷静な洞察を述べる斎藤牧師。日本人として頷ける意見である。

続いて斎藤牧師の妻、リンダ夫人にパートナーに関して思うところを伺った。

 

結婚30年になるリンダ夫人(左)と
 

「夫は私に対して決して支配的にならず、対等の立場で接してくれます。料理も作ってくれます。ただそれ以外の家事は私の仕事です。もっと手伝ってくれるとありがたいのですが(笑)」
これから結婚するカップルに対して、夫婦間のコミュニケーションに関するカウンセリングも行っている斎藤牧師。多くの男女を幸せな結婚生活に導いている。

 

子どもの会員も多い
 

日本に生まれアメリカという異文化の中で信仰を育み、そして教会堂再建という優れた実績を残して今年5月にアメリカに帰る斎藤牧師。長い歴史の中で初めての日本人牧師には、戸惑いや試行錯誤もあったに違いない。しかし目の前に現れた一つひとつの課題を、彼は異国で鍛えられたコミュニケーション能力で克服していったのである。

その力強い活動の背後には純粋な信仰があることが、言葉の端々から見て取れた。神の言葉に触れた若き日の感激を、彼はいまだに持ち続けている。
日本人の改善すべき点をグローバルな視点から指摘しつつも、屈託ない笑顔で人を魅了する。引退後も多くの会員の心の中に、その笑顔が生き続けることだろう。



取材を終えて



“教会の牧師”と聞けば、多くの人は謹厳実直で控えめな人物を想像するのではないか。しかし斎藤牧師はエネルギーに満ちた、ときにべらんめえ調の言葉も飛び出す気さくな人物だった。批判精神旺盛で、理に合わないことにははっきりと異議を申し立てる。こうしたところにもアメリカ生活の長さが透けて見えた。

横浜ユニオン教会は「長い歴史があるけれども、短い記憶しかない教会」とのこと。過去の文書類が関東大震災と横浜大空襲で焼失したこの教会は、過去幾多の牧師の努力によりこんにちまで存続してきた。
決して大きくはないが信仰の原点を感じさせる素朴なたたずまいが印象的。さまざまな国の人が集まるこの教会は、これからも祈りの場、集いの場として静かな、そして着実な歩みを続けるに違いない。


―終わり―


取材協力
横浜ユニオン教会(Yokohama Union Church)
http://www.yokohamaunionchurch.org/YUC-Japanese/youkoso.html
 
 

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  • 記事の中に、1872年に日本基督公会(横浜海岸教会)が設立された時に、外国人たちは超教派のグループとして山下町167番(現在の日本大通8)の小会堂を離れたとありますが、1910年に最初の山手の会堂ができるまで、1875年に山下町167番に献堂された大会堂はユニオン教会と海岸教会が礼拝の時間を午前と午後に分けて共同で使用していたようです。グランドホテル発行の地図には167番はユニオン教会と記載されています。また、1878年のイザベラ・バードの日本紀行の第一信の横浜の印象の記述の中に、「目立って醜いイギリス領事館(現在の開港資料館の場所)、ハワイ諸島で集めた寄付金で一部建てられた少々醜いユニオンチャーチ」としてJ. スメドレー設計の海岸教会の大会堂のことを記述しています。それとは別に1872年以降は山手の建物を借りて礼拝を守っていたグループがあったのでしょうか?

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