山手にある「自働電話」って何? 港街・横浜のレトロな電話ボックスを巡る
ココがキニナル!
元町のエリスマン邸から山手十番館に行く途中にある、灯台のようなレトロな電話ボックスが気になります!戸塚の図書館前にも似た電話ボックスがあったと思うのですが、何か由来がある?(みきみきさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
電話100年を記念して、1990年に設置された公衆電話。公衆電話が初めて設置された当時は、「自働電話」と呼ばれていた。行政とタイアップしてそれぞれの地域に合わせたデザインで作られている。
ライター:はまれぽ編集部
開港から1899年(明治32年)ごろまで外国人居留地だった中区の山手地区。高級住宅街や美しい洋館、横浜外国人墓地など、歴史的に価値のある建物も多い場所だ。
そんな山手の街中に、灯台を模したレトロな電話ボックスがあるという。
調べてみると、それはすぐに見つかった。
こんなお洒落な電話ボックス初めて見た・・・
山手234番館の向かいに位置するこちらの電話ボックス、港町の名にふさわしいとでも言うべきか、山手の街にしっかりと溶け込んでいる。
言われてみれば灯台に見えなくもない。六角形の白灯台というと、1896(明治29)~1963(昭和38)年まで活躍していた旧横浜東水堤灯台(横浜港旧白灯台)を思い出す。
旧横浜東水堤灯台は現在、氷川丸の隣に
NTTの公衆電話担当に問い合わせてみると、「横浜ー東京間の電話交換業務開始100年を記念して、その地域の行政とタイアップして作られました。なので場所によって電話ボックスの外観は異なります。川崎市中原区役所のデュエットフォンも電話創業100周年を記念して設置されたものです」とのこと。
投稿にあった戸塚図書館の前の電話ボックスも、電話100周年を記念して1990年7月に設置されたそう。ちょうどNTT戸塚支店のビル1階にあったローソンの横に設置されていたが、同支店が撤退したことを機に電話ボックスも撤去されたという。
懐かしきデュエットフォンと同期
では、いったいどんな特殊な電話が置いてあるのだろうか。入口を見てみると、「自働電話」という謎の文字が。
自働電話ってなんぞや?
「山手」「自働電話」で検索すると出てくる!
とにかく、中に入れば謎は解けるはず!ということで、お邪魔します。
「オマエハダレダ」
!!!
目の前に唇を突き出したロボットが出てきたかと思った。びっくりした~。
全体像はこちらです
見慣れた緑色のアナログ公衆電話の上に、昔の電話機を飾っているようだ。実際に電話ボックスの中に入ると上の茶色い電話機との距離が近くて、あやうくキスしそうになる。
実際に使用できるのか試してみた!
何年ぶりだろうか、公衆電話から電話をかけてみる。10円玉を入れて1つ1つ丁寧にボタンをプッシュ、手持ちのスマホに電話をかけると・・・。
きたー!!!
電話に出てみると、当たり前だけど自分の声がすぐそばに聞こえる。学校に備わっていた公衆電話から、「お母さん、体操着持ってきて」と家に電話した記憶がよみがえる。
電話機の上に掲示してあった電話ボックスの設置理由には、「明治33年京橋(東京)に初めて設置された“公衆電話ボックス”をここに再現しました。(当時の公衆電話は「自働電話」と呼ばれていました。)」とある。
電話ボックスの設置理由(クリックして拡大)
日本の公衆電話の歴史を調べてみると、当初は六角形で白塗りの電話ボックスが主流で、昭和の初めまでこの形のものが使用されていた。独特の形は初期の公衆電話を再現したものだったようだ。
公衆電話が各地に出来るまでは横浜に一箇所しかなかった「電話所」まで出向いて、受話器をとって交換手と話し、交換手の指示でお金を投入、その後通話先につなぐ、という手順を踏んでいたというのだから、今と比べると電話することは労力のかかることだった。
便利な世の中になったものだ・・・。
家に眠っているテレホンカードを使いたくなってきた
ちょうどこの自働電話周辺には桜の木が植わっており、桜の季節には鮮やかなピンク色に包まれた電話ボックスを見ることができるそう。
新緑の季節もきっと綺麗なんだろうなぁ
さらに、山下町にはデザインの違う「自働電話」を発見!