検索ボタン

検索

横浜のキニナル情報が見つかる! はまれぽ.com

  • 36年ぶりに完全復活「横浜銀蝿 40th」。オリジナルメンバーで再結成!
  • 神奈川県内の横浜家系ラーメン店がどこにあるか地図からすぐわかる!横浜の観光情報「よこはまっぷ」
  • イベント開催、店舗オープン、新商品発売などリリース情報を配信したい方へ
  • はまれぽ.comにあなたのお店・会社を無料で掲載しませんか?

相鉄線の廃車車両「2100系」の運転台が港北区の大乗寺にあるって本当?

相鉄線の廃車車両「2100系」の運転台が港北区の大乗寺にあるって本当?

ココがキニナル!

相鉄線の2000系が廃車になった時、あるお寺が運転室だけ引き取ったはず。あまり情報もなく今はどうなっているか知りたい。(シウマイさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

相鉄・旧2100系の運転台は2004年に港北区大曽根台の大乗寺に引き取られ、今でも大事に保管されていた。各機器がほぼそのまま残っており、マスコンやブレーキも現役同様に動かせる!

  • LINE
  • はてな

ライター:若林健矢

お寺に引き取られたなつかしの運転台が登場!


 
それでは実際に大乗寺に行ってみよう。大乗寺への最寄り駅は東急東横線の大倉山駅。東横線を跨ぐ歩道橋を渡り、大曽根第三公園の横を通ると近い。
 

 


橋の上から電車を眺めるのも面白い

 
歩いてだいたい7~8分で大乗寺にたどり着く。住宅地の一角に厳かな雰囲気を湛(たた)えるお寺のようだ。
 


住宅地の一角にこの山門が見えたら大乗寺に到着
 

1576(天正4)年に創立した曹洞宗のお寺だ

 
そして相鉄2100系の運転台は、本堂に向かって右側の敷地に鎮座している。写真には写っていないが、実は大乗寺の敷地外から車体の上半分が見えていた。いよいよその電車とご対面!
 


山門をくぐってすぐのこの道を通れば保存車両とご対面
 

じゃじゃん! これが2100系!「相鉄といえばこの顔」という人も多いはず

 
ここからは、住職の和田久寿(わだ・ひさとし)さんのお話も交えて、相鉄2100系をもっと詳しく見てみよう。
 


今回取材に応じてくれた、住職の和田さん

 
 
 

昭和の相鉄といえばこの顔


 
車両前面の右上にある列車番号と左上の列車種別がやや縦長に表示され、小さな前面窓が3つある。そしてアルミの銀色が輝く姿は、まさに懐かしの相鉄車両といえよう。
 


銀色のアルミボディに赤い扉が目立つ、昔ながらの相鉄の顔
 

急行横浜行き。二俣川駅からノンストップで走る姿が頭に浮かぶ

 
側面を見ると、上と下に赤いラインが入っているのがわかる。搬入されたのは2004年とのことで実に16年も前になるが、それでもアルミボディの輝きは全く衰えていない。乗務員扉の斜め下には「相模鉄道」の銘板も残されていて、小さいながらも誇らしげ。
 


 

目線を下げると「相模鉄道」の銘板もちゃんと残っている

 
最近の相鉄車両といえば、直通線に対応した、ヨコハマネイビーブルーをまとった新型車両が思い浮かぶ。また従来の車両も青とオレンジのラインが印象的だ。赤いラインの入っている2100系を前にすると、各車両のカラーリングの変化がよく分かる。
 


新型車両はヨコハマネイビーブルー一色のカラーリング(過去記事より)
 

ネイビーブルー以外の車両は青とオレンジのラインを巻いている

 

 
 
 

新聞記事を見て立候補、子どもたちの憧れの的に


 
ご自身も乗り鉄である和田さんは、そもそもなぜこの車両を引き取ることにしたのだろう。それは、当時の新聞に相鉄の「車両あげます」という記事、つまり無償譲渡についての広告があり、それを見て応募に至ったという。

譲渡車両には2100系のほか、鋼製車体の6000系(黄緑色の車両)という車両もあった。でも6000系は鋼製車体のため、塗装がはがれた場合は自力で塗り直さなければならない。一方2100系はアルミ車体のため、大部分の塗装が必要なく管理しやすい、という話を相鉄から聞き、「それならば2100系にしよう」ということで2100系を引き取ったのだ。
 


左が2100系、右の黄緑色の車両が6000系

 
「お寺というのはどちらかというとお年寄りの方が多く来るので、お孫さんと一緒に来てもらった時に、この電車を見てくれて少しでもお寺に興味を持ってもらえたら、というのもあります」と和田さんは話す。最近は主に、近所の幼稚園に通う子どもたちに親しまれているとのこと。

子どもたちの他にも、同車を知る鉄道ファンが月に1~2人ほど訪れることがあるという。また、以前にはこの車両に携わった元運転士の方が訪れたこともある。ファンはもとより、現役時代に同じ車両を運転していた方にとっては、運転台だけだとしても共に走った相方が保存されているのは、心に響くものがあったのかもしれない。
 
 
 
相鉄の協力で設置には困らなかったが・・・
 
しかし、運転台部分だけとはいえ、鉄道車両を保存しているのだから相当な苦労も予想できる。和田さんによると、数年に一回細かい部品の塗り直しを行うが、それ以外の車体の管理はさほど難しくはないそう。

搬入された当時も、固定具は和田さんが用意したものの、車体の切断、搬入そして設置まで相鉄が主体的に行ってくれたため、意外と苦労する点は少なかったとのこと。
 


車体の切断はかしわ台工機所で行われた(画像提供:相鉄グループ)
 

運転台は相鉄によって境内に搬入された(画像提供:相鉄グループ)

 
ただし保存に対しての注意としては、方向幕は破れやすいため、一般の参拝客には触らないようにお願いしている。
さらに過去には部品が盗難に遭いかけるという悲しい出来事もあった。幸いその時は何も盗まれずに済んだが、防犯カメラに映ったのは以前見学に来てくれたファンによく似た大人だったという。そうしたトラブルは過去に3~4回ほどあったようだ。

それでも同車を目的に訪れる人からの評判は良く、その感想は乗務員室内に置いてあるノートに書いてあるとのこと。これも後ほど紹介しよう。