横浜の老舗「勝烈庵」、店の歴史やソースを販売しない理由とは?
ココがキニナル!
横浜の老舗、勝烈庵。このお店のトンカツの歴史と人気のあるソースを販売しない理由を教えて。(トンメルンさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
勝烈庵のカツレツは、1927年創業当時のレシピをそのまま守っている。ソースは、手作りで量産できないことなどの理由で販売されていないとのこと!
ライター:吉澤 由美子
柔らかい長方形の豚ヒレカツレツ、ほっとする味のしじみ椀、さっぱりしたお新香。勝烈庵の看板メニュー「勝烈定食(1470円)」は、年に何度かどうしても食べたくなる味。
馬車道通りの1本裏にある勝烈庵馬車道総本店
上品な味わいに加え、20世紀を代表する版画家の棟方志功作品など芸術作品が飾られた店内の落ち着いた雰囲気もあって、おひとりさまの女性も多く、幅広い層に愛されている老舗だ。
小さ目の一口大で、女性でも食べやすい
勝烈庵のカツは、分厚いロースのいわゆるトンカツとは違う、洋食のカツレツ。
そこに、デミグラスソースに近い旨味たっぷりのソースが合わさって、唯一無二のおいしさ。あのソース、売っていたら絶対買うのに!
勝烈庵といえば、棟方志功作品であるこの「オカメさん」もおなじみ
そこで横浜の老舗「勝烈庵」馬車道総本店で、お店の歴史や味、そしてソースを販売しない理由などについてお話を伺ってきた。
横浜の老舗にふさわしい獅子頭共用栓
創業85年 横浜の老舗『勝烈庵』
勝烈庵の創業エピソードを教えてくださったのは、株式会社勝烈庵、代表取締役の本多初穂さん。
1927(昭和2)年創業の老舗、勝烈庵。創業者は、慶應大学を卒業し、商社勤務や外交官として長くアメリカやヨーロッパで過ごした経歴を持つ小澤竹蔵(たけぞう)さん。
「創業者はモダンでグローバルな方だったそうです」と本多さん
大正の終わりから昭和のはじめ頃、東京に豚ヒレ肉をそのまま棒状のフライにして出す店があった。まだ揚げる技術が確立されていない時代だったせいか、芯まで火が通るよう強火で長時間揚げられたカツは衣が焦げ、肉もかなり固いものだったらしい。小澤竹蔵さんはそれを食べて、「少し工夫したらおいしくなるのに」と残念に思ったそう。
本場で食べてきた西洋料理の手法を使えば、日本人がおいしいと思うカツレツを作ることができる。小澤竹蔵さんは、自分でカツレツの店をやりたいと考え始めた。
その時代にこうした経歴を持つ人が料理店を始める例はあまりなく、親戚中から大反対を受けたが、それを押し切って勝烈庵をオープンさせた。
勝烈庵の味は材料や手順も含め、創業者の小澤竹蔵さんが考え抜いたレシピを現在もそのまま引き継いでいる。
勝烈定食(1470円)
豚のヒレ肉を独自の方法で処理し、筋を丁寧に切り、四角く成形する。
長方形のカツレツ