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川崎市麻生区に飛び地ができた経緯とは!?

ココがキニナル!

地図を見ると川崎市麻生区には飛び地があるようです。まわりを町田市に囲まれ、南側は横浜市に接しています。この飛び地ができた経緯や、住民の方が困るようなことはないのでしょうか? (河童丸さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

川崎市麻生区岡上が飛び地になったのは、岡上の住民が川崎市と合併することを選んだからだった。飛び地であることでの不便や問題は特にないとのこと。

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ライター:吉田 忍

国や都道府県、市町村などの行政区域の一部が、ほかの行政区によって隔てられている場所を飛び地と呼ぶ。

川崎市麻生区にそんな飛び地がある。麻生区岡上(おかがみ)地区である。地図を見ると、このようになっている。

 
まわりを東京都に囲まれ、南は横浜市青葉区に接している(Google mapより)


なぜ、このような飛び地ができたのだろう? 麻生区役所を訪ねた。
 


まだ雪の残る麻生区役所




岡上が飛び地になった歴史的ドラマ



麻生区役所で、岡上地区が飛び地となった経緯についてうかがうと、
「岡上町内会でこんな本を出されているんですよ」と『岡上の魅力再発見』という冊子を見せていただいた。
 


地元愛を感じさせる冊子。川崎市との合併70周年を記念して編さんされた


この冊子から、岡上の歴史を紐解いてみよう。
 


江戸末期の岡上周辺 (岡上の魅力再発見より)


江戸末期の岡上村は都筑郡に属していたが、当時の主な産業は養蚕(ようさん)で、多摩郡とのつながりが強かったという。

1889(明治22)年、市町村制の施行により、都筑郡の黒川村から早野村に至る10ヶ村が柿生村となり、多摩郡の村々は鶴川村となったが、岡上村はどちらにも属さず単独で運営を続けた。この頃の岡上村は、禅寺丸柿を特産物としており、柿生村との関係が強くなっていた。

1893(明治26)年には多摩郡鶴川村が神奈川県から東京都に移管される。地図を見ると三輪村であったところが、東京都となったことが、後に岡上地区が川崎市の飛び地になる地理的要因を作ったと言えるだろう。

1927(昭和2)年に小田急線が開通し、岡上は柿生村との関係をより強くしていくことになる。

1938(昭和13)年、同じ都筑郡の南にあった田奈村、中里村、二俣川村、新田村が横浜市と合併し、東の稲田村、向丘村、宮前村、生田村は川崎市と合併。

このとき岡上村は、横浜市か川崎市のどちらかとの合併を迫られた。岡上村は関係の強かった柿生村と協議を行い、川崎市との合併を決定し、翌年1939(昭和14)年に川崎市と合併した。

岡上村は関係の強かった柿生村と同じ市になることを第一に考えたようである。特に小田急線開通後は交流が活発になり、逆に隣接していても奈良村などとは山や坂が険しいという地形的理由で交流が少なかった。

また、1938(昭和13)年当時の川崎市は大産業都市として発展めざましいころ。小田急線・南武線を利用しての通勤が可能であり、岡上村に農業以外の雇用を生み出すことにもなる。

横浜市と合併した場合、最北端の遠隔地となることも懸念されたという。岡上村の将来の発展について、川崎市の財政力、公共事業推進の資源力が魅力的だったのだ。



岡上地区の現在の様子は?

岡上が飛び地であることによる行政上の不都合や住民の不満などについて伺ったところ、特に問題などが上がってくるはないとのことだった。

ただ一時、岡上地区に小学校がなくなった期間がある。1966(昭和41)年柿生小学校岡上分校が廃校になり、1987(昭和62)年市立岡上小学校が開校するまでの間、岡上の小学生たちは小田急で柿生小学校へ通学していたのだそう。

実際に岡上へ行ってみた。岡上は1.45k㎡で、人口6700人ほど。岡上の面積は麻生区の約6%、人口では麻生区の4%ほどとなっている。川崎市の人口密度はおよそ1万人/k㎡なので、半分以下だ。

最寄り駅は小田急線の鶴川駅。駅周辺は町田市だが、南に少し進むと岡上地区に入る。駅からそれほど遠くない場所に「川崎市麻生市民館岡上分館」がある。市民館であれば、地域について教えていただけるかもしれない。
 


崎市麻生市民館岡上分館。ここは、もともと柿生小学校の岡上分校だった


分館の中に入ると、廊下にこの分館の歴史を記した展示があった。
 


写真や地図が展示されている


ほかにも岡上の古い地図などを解説する展示などがあり、かなり面白い。興味深く読んでいると、分館のスタッフの方が声をかけてくださった。

なんでも「飛び地」ということで、歴史散歩のグループなどが岡上探訪によく訪れるらしい。当時の住民が川崎市との合併を選んで飛び地になったという歴史的な経緯も注目されているとのこと。

「事前予約をされて分館を拠点に回られる方には、地図をお渡ししているんですよ」と岡上の見どころが描かれた散策マップをいただいた。
 


「飛び地」岡上の散策マップ


マップを見ると、岡上地区は、北に鶴見川、南東に和光大学があり、鶴川駅寄りにこの分館や駐在所、こども文化センターなどの施設があって、そしてその南側は果樹や野菜などの広大な農地のようだ。