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戸部なのに南房総!?京急高架の不思議な案内表示の秘密は?

ココがキニナル!

京急高架にある戸部駅の案内表示。北は銀座、押上、成田方面。南は三浦海岸、南房総方面。。。南房総?フェリー乗らないと行けないんですけど!なぜこんなに遠くの案内標識にしてしまったのでしょう(TEYさん)

はまれぽ調査結果!

1955(昭和30)年頃に実施された、京急を利用した観光開発事業による旅客誘致の一環として記載されたという説が有力!

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ライター:篠原 章公

投稿によれば、戸部駅近くにある京急の高架にはキニナル案内表示があるとのこと。
早速、現地へ赴いた。



現地へ行ってみた


 


京浜急行電鉄・戸部駅
 

駅を出てすぐの位置にある高架を確認してみると・・・
 

確かに「南房総」の記述がある


まさに投稿のとおり、表示されているほかの地域には電車を乗り継いで行くことができるが、「南房総」は久里浜からフェリーに乗り継いで行かなければならない。

実際に戸部から房総の地に降り立つにはある程度の時間が必要だとも思えるが・・・
いったいなぜ、このような案内表示をすることになったのだろうか。
京急電鉄に取材を試みた。



京急広報担当の方に聞く



―戸部駅近くの高架に書かれている案内表示ですが、「南房総」を書いた理由を教えていただけますでしょうか。

「建設当時を知る担当者がいないため定かではありませんが、京急久里浜駅近くには久里浜港があり、房総半島行の東京湾フェリーが運航されております。現在はそれに伴う割引きっぷなども販売しておりますが、それ以前に、京急では古くから当社線を通じた房総半島への旅客誘致を行っていたため掲載されたのではないかと思われます」
 


市内を走る京浜急行


―なるほど、“古くから”というのは具体的にいつ頃からなのでしょうか。

「京急久里浜駅が開業したのが1942(昭和17)年12月、戸部駅は1931(昭和6)年12月と大変古く、東京湾フェリーの開業とともに、京急線を利用した房総半島への旅客誘致が始まったものと思われます。

その当時の旅客誘致がどういったものだったか、中吊り広告や企画の資料が残っておりませんので定かではありませんが、社史によりますと、当社は1955(昭和30)年頃から観光開発に力を注いだ活動も顕著になっており、三浦半島から南房総までを視野におさめたスケールの大きな観光開発事業は代表的な事例であったとあります。」
 


京急線社内の広告


「南房総への進出は、1956(昭和31)年から着手されており、この年の7月からは定期客船が横須賀~富津間1日3往復を開始、すでにあった富津観光ホテルの増築や油壺レストハウス(現在の観潮荘)の完成などもあり、三浦・房総両地域は、ひとつの観光を形成したとあります。高架橋の方面案内自体も当時の旅客誘致の一環として記載されたものと思われます」

正確な資料や写真などが残っていないのは非常に残念だが、上記の内容から大まかに考えて、高架の案内表示は昭和30~40年代に、南房総への旅客誘致の一環として書かれたということで間違いなさそうだ。

さて、それでは戸部駅から南房総まで、案内表示の示すとおりに向かってみると、いったいどのくらいの時間がかかるのだろうか。
今回は京急電鉄から発行されている「東京湾フェリー往復きっぷ」を使用し、実際に南房総へ行ってみた。