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キニナル水着女子2017
横浜に根ざした舞台を中心に活動する、五大路子さんを徹底解剖!
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みんなのキニナル

    のかさんに便乗して、酸辣湯麺に担々麺、辛い刀削麺とか、あと麻婆豆腐も豆板醤を使う赤系か山椒(花椒の場合あり)と胡椒を使用する黒系の麻婆豆腐とか、中華料理の辛いもの料理を是非とも特集して下さい。

    ナチュラルマンさん

    横浜市内だけでどのくらいの世界各国料理や世界各国地方料理が味わえる?中華街なら北京、上海、四川、広東、香港、台湾とか…。少なくとも屋台を含めて横浜市内ではインド、ネパール、パキスタン、トルコ、ロシア、...

    ナチュラルマンさん

    横浜駅周辺で美味しいサンラータン麺を食べれるところを探しています。中華街に行けば食べられるのでしょうが、是非発掘して来てください

    のかさん

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横浜のココがキニナル!

昭和の初めごろ、大倉山の麓にスケートリンクがあったそうです。冬に池に張った氷をそのまま利用した、「天然のスケートリンク」だったそうです。当時はそんなに気温が低かったのでしょうか?(ねこぼくさん)

はまれぽ調査結果

1947(昭和22)年に閉鎖したスケートリンクの名称は「大倉山天然スケート場」。閉園時と現在(2013年時点)を比較したところ、日平均で3.1度も低かった

ライター:河野 哲弥 (2013年10月30日)

東急東横線の廃駅などの取材で、たびたびお世話になっているのが、大倉山駅近くにある大倉精神文化研究所。今回は大倉山についての投稿だったので、再訪してみることにした。
 


1932(昭和7)年に完成した、同研究所外観
 

話を伺ったのは、いつものように平井誠二先生


先生自身も、投稿にあったスケートリンクを取材されたことがあるそうで、運営者のご家族も紹介いただけるとのこと。まずは、スケートリンクが誕生した経緯から、説明していただくことにしよう。



港北区の特産品は「氷」だった?

平井先生によれば、スケートリンクは横浜港の開港と、深い関わりがあるのだとか。冷凍技術が今ほど優れていなかった当時、船舶に積み込まれる食品の保存には、大量の氷が必要とされていた。

これに目を付けたのが、当時北綱島の名主である飯田広配(ひろとも)という人物。飯田氏は明治の初期ごろ、日の当たらない斜面の北側などを利用して、天然氷の生産と販売を始めるとともに、製氷を地場産業として根付かせようと、現在の港北区内の各地にノウハウを伝授したそうである。
 


製氷イメージ。画像は以前取材した「野毛産業」のもの


大倉山北側の地主だった冨川善三(ふかわぜんぞう)氏も、敷地内にあった5つほどの池を利用して、1910(明治43)年から、製氷業を手がけるようになった。
 


1933(昭和8)年当時の『冨川善三氏宅地平面図』(冨川家所蔵)


この平面図を見ると、複数のアイススケート場のほかに、釣り堀や池などもあったようだ。現地には後で訪れるので、ここでは先に、史実をおさらいしておこう。

さて、昭和期に入ると、電気などを利用した人口氷が登場し、保管などに手間のかかる天然氷の需要は激減することになった。冨川氏がスケートリンクを開設しようと考えたのは、こうした状況の中での、ジャストアイデアだったに違いない。
国内ですでに開設していた関東各地のスケートリンク場を視察した冨川氏は、1928(昭和3)年、「大倉山天然スケート場」をオープンするに至った。
 


この経緯は、平井先生の著書『わがまち港北』にも詳しく載っている


池の広さによって、大小さまざまなリンクがそろった同スケート場は、次第に人気を呼んでいったようだ。1936(昭和11)年には、東京急行電鉄(現在の東急電鉄)から融資の申し出を受け、広さ約1300平方メートルのスケートリンクにリニューアルした。

営業は1月から3月までで、氷の状態によっては、休業する場合もあったそうだ。平井先生によれば、「一年を通して、合計10日間程度しかオープンしていなかったのでは」とのこと。

このため、最寄り駅の大倉山駅には、2時間ごとに営業の可否を知らせる案内板が設置されることになった。また、沿線のほかの駅でも、乗客の問い合わせに対応できるよう、大倉山駅からの連絡を随時受けられるような体制が整えられた。

なお、この時点での入場料は1時間25銭、現在の価格で400円程度といったところ。ほとんど原資を必要としない天然氷であったことを考えると、冬季に10日ほどの営業でも収益は確保できていたのだろう。



当時は気温が低かったのか

その後戦争が始まると、電気などの戦中統制を受けても氷結していた「大倉山天然スケート場」は、慶応大学の学生や海軍の兵隊たちを中心に、かなり人気があったようである。しかし、1947(昭和22)年、ついに営業を廃止した。

その理由について平井先生は、「冨川家からは、この年を境に暖冬の影響が出始めたと聞いている」と話す。
そこで、横浜地方気象台のサイトで発表している横浜市内の最低気温を、年ごとに追ってみた。
 


スケートリンク開設時の気温の様子(横浜地方気象台より)


ちなみにこの表にある「日最低」とは、月内各日の最低気温の平均値という意味。
「大倉山天然スケート場」がオープンした1928(昭和3)年、横浜市の2月の最低気温の平均値は、-0.9度であった。
では、閉鎖した時点での気温はどうだったのだろう。
 


スケートリンクが閉園された1947年の気温の様子(横浜地方気象台より)


これを見ると、同じ2月の最低気温の平均値は-1.4度であり、創業時よりも低い様子がうかがえる。この点について平井先生は、「閉鎖年月は冨川家へのインタビューに基づくもの。覚え違いの可能性もあるし、平均値だけを見て『暖冬』の傾向を判断するのも危険だ」という。

参考までに、スケートリンクが廃止された1947(昭和22)前後の様子(日最低)を抜粋しておく。
1945(昭和20)年、1月同値-3.1度、2月同値-2.5度。
1946(昭和21)年、1月同値-0.6度、2月同値0.4度。
1947(昭和22)年、1月同値0.2度、2月同値-1.4度(閉鎖年)。
1948(昭和23)年、1月同値0.1度、2月同値1.2度。
1949(昭和24)年、1月同値1.5度、2月同値2.9度。

ちなみに、今年2013(平成25)年のデータはこのようになっている。

 

2013年の同データ。近年では「最低」気温も記載されている


例えば2月。最低気温は-0.4度を記録しているものの、1928(昭和3)年と比べて、日平均は2.4度、日最低では3.3度ほど上昇していることになる。

平井先生のおっしゃるように、平均値などのデータだけですべてを判断するのは危険である。投稿にあった「当時はそんなに気温が低かった」のかどうかは、読者の判断にゆだねたい。
では、いよいよ運営者だった冨川家を訪ね、詳細を伺ってみることにしよう。



それではいざ現地へ!・・・続きは次のページ! 
 

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