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ココがキニナル!

新幹線が通る前の現在の新横浜駅周辺は人口の少ない湿地帯だったと話には聞きますが、実際にはどうだったのでしょうか?(機野さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

新幹線開通前、新横浜駅周辺は湿地帯で人口も少なかった。駅開発に関しては、湿地帯だったがために起きた政財官を巻き込む汚職事件もあった。

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2015年02月26日

ライター:三輪 大輔

今回、新横浜駅周辺が湿地帯だったというキニナル投稿の調査をしていたら、こんな話に出会った。

「ある日、菊名駅前の不動産屋に、大阪の土地ブローカーを名乗る者が現れ『アメリカのフォード社のために土地が必要だ』と相談に来ました。それが汚職事件の全ての始まりです」

新横浜駅建設時に起きた、政財官を巻き込む用地汚職事件。沿線タウン誌『とうよこ沿線』を主宰する岩田忠利(いわた・ただとし)さんが、その事件について話を聞かせてくれた。

 

1980(昭和55)年から35年間、地域活動を続ける岩田忠利さん
 

「地元では昔、現在の新横浜駅周辺の土地を『勝負田(しょうぶだ)』と言っていました。通常の農家ですと二毛作を行いますが、冬は麦さえ作れない田んぼです。そこで冬は、農民が集まって博打をやって遊んでいました。しかし、みんな金がない。だから負けた人はお金の代わりに田んぼを賭けていたそうです。それくらい、どうしようもない、利用価値のない土地でした」

耕作価値のない湿地帯の土地が広がっていた新横浜周辺地域。しかも、その一帯は、標高差のない土地と、鋭角に曲がる鶴見川の影響で、洪水もよく起きていたそうだ。そのため、昭和30年代から活発になった宅地開発の際も見向きもされず、人口も少ない地域であった。

 

新横浜駅建設前(1961〈昭和36〉年)の周辺の様子
(資料提供:横浜市史資料室/本田芳治撮影)
 

そこに突如として降って湧いた土地買収の話。湿地帯で利用価値のない土地だったが故に、高度成長の潮流にも置いて行かれた新横浜周辺が、にわかに活気づく。しかし、その先には思わぬ落とし穴が待っていた。

湿地帯、土地買収、そしてそれらを結びつける、ある大物政治家の存在。『夢の超特急』と呼ばれた新幹線開通の裏で起きた汚職事件を中心に、新幹線開通前後の新横浜の様子について振り返っていきたい。



大阪の土地ブローカーを名乗る者とは?

1964(昭和39)年、日本が東京オリンピックに沸いたこの年、東海道新幹線も開通した。しかし、それ以前に新幹線の元になる「弾丸列車計画」というのが、1935(昭和10)年ごろにあったそうだ。ただ、この計画は1939(昭和14)年に地形測量を開始し動き出したものの、第二次世界大戦の戦況の悪化で、1943(昭和18)年に工事中止となっている。

そして1958(昭和33)年に、新幹線の敷設計画が再浮上する。1964年の東京オリンピック開幕に間に合うように、5年半で建設を完成させる非常にタイトなスケジュールであった。

新横浜駅の設置に関しては、1961(昭和36)年8月に旧国鉄から新駅建設の発表がなされている。東海道新幹線には開業時12の駅があったが、新駅として建設がされたのは、新横浜と新大阪、そして岐阜羽島の3駅であった。工事中は、農家の方が田畑で作業をしながら、その様子を見守っていたという。

 

新横浜駅工事中(1962〈昭和37〉年)の周辺の様子
(資料提供:横浜市史資料室)
 

ちなみに現在の「新横浜」という地名は、1975(昭和50)年11月の区画整理事業によって誕生した。それ以前は、篠原町のほか、岸根町・鳥山町・大豆戸(まめど)町・新羽町など複数の町が存在していた。新横浜駅前の新横浜2丁目も、その昔、篠原町と呼ばれていた地域である。そして、この辺りのことを地元の方は「勝負田(しょうぶだ)」と呼んでいたそうだ。

なお勝負田の由来には諸説あり、菖蒲が繁茂(はんも)する沼沢地など地形的な要素からきているとも、小机城と篠原城の間で起きた1478(文明10)年の「長尾景春の乱」の戦場となったところからきているとも言われている。

 

新幹線試運転時の様子。ホームの向こうには田んぼや森が広がっている
(資料提供:横浜市史資料室)
 

しかし、そんな利用価値のない土地を買いたいと申し出る人物が、菊名駅前の不動産屋に現れる。件(くだん)の大阪の土地ブローカーが来たのは、1959(昭和34)年のことだった。その先の話を、岩田さんが説明してくれた。

「フォード社を名乗る人物は、自動車の工場を作るから、新横浜一帯で細く長い土地が必要だと言いました。元々、利用価値のない田んぼです。住民たちは『これはいい話だ』となって、その話は具体的に進んでいきます」

新横浜駅の建設の話が公表されるのは、2年後の1961(昭和36)年である。だから、男の言った「細く長い」という表現が、新幹線の駅を表すものだとは誰も夢には思わなかったのだ。しかし、この土地ブローカーを名乗る男こそ、用地汚職事件の実行犯である「中地新吾」であった。

 

「細く長い」土地に建設された新横浜駅のホーム(資料提供:横浜市史資料室)
 


 

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